■アメリカ東海岸音楽便り〜ボストン響のコンサート・レポートを中心に

2002-2003 シーズンを振り返って
ゲルギエフさんの『震える手』

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ヴァレリー・ゲルギエフ指揮キーロフ管弦楽団

2003年3月30日 午後7時30分〜 
マサチューセッツ州アムハースト、ファイン・アーツ・センター・コンサート・ホール

今世界でもっとも忙しい指揮者。それはヴァレリー・ゲルギエフさんではないでしょうか。キーロフ歌劇場、ロッテルダム・フィルの音楽監督、首席指揮者、メトロポリタン歌劇場の首席客演指揮者を務めるだけでなく、最近親密な関係を築いているウィーン・フィルを初めとする世界各国の一流のオーケストラとの共演を行っています。またここ最近、彼が指揮したCDはクラシックCDにしては驚異の売り上げを記録しています。本当に大活躍中、今まさに旬の指揮者です。

今回のコンサート、当初はロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団の演奏でマーラーの交響曲第6番が演奏される予定でしたが、戦争のためロッテルダム・フィルが急遽アメリカツアーを中止し、開戦前にツアーのため来米していたキーロフ管弦楽団が代わって演奏するという異常事態でようやく開催の運びとなったものです。これもひとえにゲルギエフが両オーケストラの主席指揮者、音楽監督であるが故の離れ業ですが、こんなところにも戦争の影響が出てきているのは悲しいかぎりです。

ところでタイトルにも書きました『震える手』ですが、『震える手』と言うと真っ先に思い出されるのはフルトヴェングラ―さんですね。私はフルトヴェングラ―さんの映像は見たことがないのですが、このゲルギエフさんも一風変った指揮をします。あの手を細やかに震えさせる方法です。今回私も初めてそれを生で体験することが出来ました。

前半のプログラムはチャイコフスキーの幻想序曲《ロミオとジュリエット》とブルッフのバイオリン協奏曲。ゲルギエフさんにはどちらかというと爆演系、スペクタル系のイメージを持っていましたが、どちらも曲の美しさを教えてくれる丁寧な演奏でした。《ロミオとジュリエット》は弱音部こそこの演奏の聴かせどころとしていました。ブルッフはソリストの高音部での音色の美しさが特に際だっていました。オーケストラの伴奏はどちらかというとおとなしく、私としてはもっと劇的にもり立ててもいいのではと思えるほど端正な演奏でした。

後半の《幻想交響曲》では第三楽章からの出来が素晴らしかったと思います。深沈とした恐ろしさが出た第三楽章。第四楽章では打ってかわってものすごいティンパニの打ち込み、うなるブラスの音が興奮させます。休みなく入った第五楽章もすごいです。今までエネルギーを貯めていたのではないかと疑われるほど、ブラス群が荒々しく響き、弦楽器群がギュルギュルとしなります。終結部の音の大波の連続はじっとしていられないほどの興奮の演奏でした。ただ、しかし、第一、第二楽章ではゲルギエフさんならばもっともっとやれそうな気がします。

私は指揮のことはもちろんよくわかりませんが、誤解のないように書いておくとゲルギエフさんは常に手を震わしているわけではありません。ここぞと言うときに手首から先をブルッブルッとやっています。そしてそういった時にはその波動がオーケストラにも伝わっているみたいな演奏で、私には特に疑問は感じませんでした。

ところがある日面白い記事を見つけました。抜粋しますと、

メトロポリタン歌劇場の団員・歌手からゲルギエフに対し最近こんな不満が上がっている。『彼の特異で、焦点のない指揮に我々は混乱している。』
(ニューヨーク・タイムスより)

と言うものでした。

この『特異で焦点のない指揮』と言う言葉どこかで聴いたことないですか。そうフルトヴェングラ―さんの指揮を表すときによく使われる言葉ではないでしょうか。一見まったく違って見えるこの二人、音楽造りに意外な共通点があった。といったら皆さんに大笑いされるでしょうか(苦情が殺到したりして・・・)。

この記事の中には、“団員や歌手がその指揮者に文句を言うのは年中行事のようなものだから心配ない。”というようなことも書いてありましたが、当のゲルギエフさんはまったく意に介してないようで、“メトでの仕事はとても楽しい、自分は人(ジャムズ・レヴァイン;音楽監督として長年メトで振っています)とは違う新しい解釈を持ち込みたいんだ。”というようなことを言っているようです。

最後にもうひとつ、ゲルギエフさんの手の話題を。このコンサートの終演後、楽屋を訪ねてみました。訪ねていったのは私たちだけだったようで缶ビール(たぶん?)を片手にラフな格好で迎えてくれました。私が「あなたのファンです。」と言うと、「本当に?実は僕も自分の大ファンなんだよ。」とジョークを言ってはにかむように笑っていました。舞台では野性味あふれる指揮を見せるゲルギエフさんでしたが、話してみると意外なほどに物腰のとても柔らかい人でした。サイン後、握手してもらったのですが、その手が異常に柔らかかったのです。フワフワモチモチと表現してもいいほどです。これもブルッブルッと震える手の秘密のひとつなのでしょうか。

(2003年7月23日追記)

先週末、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場へ行き、ゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場による二つのオペラ(7月18日がヴェルディの《マクベス》、7月19日がチャイコフスキーの《エフゲニ・オネーギン》)を観てきました。オペラを観始めたのは(聴き始めたのは)こちらに来てからで、全くの初心者ですので偉そうなことは言えませんが、少しコメントを。

《マクベス》はマクベス夫人の迫真の歌唱(特に「夢遊の場」)がゾクゾクさせられました。《エフゲニ・オネーギン》は若い美しい歌手達を中心に見事な歌が聴けました。そしてゲルギエフ指揮するオーケストラがそれ以上に素晴らしかったです。舞台はメトと比較するとかなりシンプルに見えました。ゲルギエフさんは相変わらずお元気そうで両曲とも指揮棒を持たず、肩から腕全体で指揮し、時々手首から先をブルッブルッとさせていました。《エフゲニ・オネーギン》はこの秋、全く同じ組み合わせで日本でも公演されるようですが、期待してもいいと思います。


(2003年8月4日、岩崎さん)