コンセルトヘボウ管のページ

常任指揮者、第一コンサートマスター、第一チェリスト

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■コンセルトへボウ管弦楽団の常任指揮者、第一コンサートマスター、第一チェリスト

これは、コンセルトへボウの100周年を記念して出版された書物である
"HISTORIE EN KRONIEK VAN HET CONCERTGEBOUW EN HET CONCERTGEBOUWORKEST 1888-1988 Deel 2"(コンセルトへボウ及びコンセルトへボウ管弦楽団の歴史と年代記 1888-1988 第2巻)の巻末に掲載されている<付録1>の部分です。

内容は、正副指揮者・コンマス・首席チェロの氏名、生誕及び死亡の年月日と場所、契約期間。このうち契約期間については、次のような注釈が付けられています。

「データは、別途言及のない限り、コンセルトへボウ株式会社のRaad van Bestuurの給与帳簿、年次報告と議事録、コンセルトへボウ管弦楽団の運営に当たるオランダ・オーケストラ協会の年次報告を根拠としている」

これからしても、これ以上の公式性は望めそうにない、まさに決定版とも言うべきオフィシャル・データと考えてよいでしょう。

<掲載にあたって>

1.第一指揮者 (Eerste dirigenten)

Willem Kes ウィレム・ケス

Willem Mengelberg ウィレム・メンゲルベルク

Eduard van Beinum エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム

Bernard Haitink ベルナルト・ハイティンク

Riccardo Chailly リッカルド・シャイー

2.第一指揮者に最も近い常任指揮者 (Vaste dirigenten naast de eerste dirigenten)

Gustav Kogel

Karl Muck カール・ムック

Pierre Monteux ピエール・モントゥー

Bruno Walter ブルーノ・ワルター

Rafael Kubelik ラファエル・クーベリック

George Szell ジョージ・セル

Eugen Jochum オイゲン・ヨッフム

Kirill Kondrasjin キリル・コンドラシン

3.第二指揮者 (Tweede dirigenten)

J.F.Wedemeyer

Wouter Hutschenruyter Jr.

J.Martin S.Heuckeroth

Jean J.Th.Renard

Gottfried Mann

Andre Spoor

Cornelis Dopper

Evert Cornelis

Eduard van Beinum

Johannes den Hertog

Jan Koetsier

Hein Jordans

Henri Arends

Jan Brussen

4.補佐指揮者 (Assistent-dirigenten)

Peter Eros

Edo de Waart

Hans Vonk

Willem Frederik Bon

Ed Spanjaard

5.第一コンサートマスター (Eerste concertmeesters)

Christiaan Timmner

Louis Wolff

F.Hladky

Leopold Kramer

Andre Spoor

Louis Zimmermann

Louis Phal

Heinrich Fiedler

Julius Thornberg

Hendrik Rijnbergen

Ferdinand Helmann

Zoltan Szekely

Jan Bresser

Jan Damen

Jacob Krachmalnick

Steven Staryk

Herman Krebbers

Jo Juda

Theo Olof

Jaap van Zweden

Victor Liberman

6.第一チェリスト (Eerste solo-violoncellisten)

Henri Bosmans

Isaac Mossel

Frits Gaillard

Gerard Hekking

Marix Loevensohn

Carel van Leeuwen Boomkamp

Raphael Lanes

Henk van Wezel

Tibor de Machula

Annar Bijlsma

Jean Decroos

Harro Ruijsenaars

以上です。この中で、Andre Spoorという人は、「第二指揮者」と「第一コンサートマスター」の両方に掲載されていて、契約期間は同一となっています。するとここでいう契約期間は、コンセルトヘボウと何らかの契約があった期間が役職に関係なく記載されているだけなのでしょうか。
そうではないらしいことは、ベイヌムの欄を見ればわかります。1938年1月10日までが第二指揮者、それ以降が第一指揮者。契約期間は、ちゃんと分けて記載されているのです。これからしますと、Spoor氏は第二指揮者とコンマスを兼ねていたということになります。

なお、これに続く<付録2>は「1888.11.3.〜1988.11.3.のコンセルトへボウ管弦楽団の団員」(コンサートマスターと首席チェロ以外)で、姓のアルファベット順に在籍期間と担当楽器が記載されています。これはとても転記できない分量なので省略しますが、例えば有名なところでは

パウル・ファン・ケンペン

エド・デ・ワールト

H.バルワーザー

といった調子です。あるCDのライナーノーツに、ケンペンは指揮者になる前はコンセルトへボウ管のコンサートマスターだったと書いてありましたが、それは誤りということになります。

ちなみに、それ以降の付録は次のような内容です。時間と気力があれば全てをご紹介したいところですが…

ボタン付録3 自作をコンセルトへボウ管弦楽団と演奏した経験のある作曲家(指揮者または独奏者として)

例:グスタフ・マーラー 1903-4,1904-5,1905-6,1910-11
  セルゲイ・ラフマニノフ(ピアノ) 1908-9,1910-11,1929-30,1930-31,1938-39

ボタン付録4 コンセルトへボウ株式会社、コンセルトへボウ管弦楽団、役員でない首席指揮者に委託をされた作曲家

例:セルゲイ・ラフマニノフ「鐘」
  コンセルトへボウ管弦楽団及びメンゲルベルクより委託
  初演:1923.12.22.

ボタン付録5 オランダ国内でコンセルトへボウ管弦楽団が演奏をした場所
(地名とシーズン)

ボタン付録6 海外でのコンセルトへボウのコンサート
(国名、シーズン、都市名、指揮者名)

ボタン付録7 役員
(氏名、期間)


(An die MusikクラシックCD試聴記)