コンセルトヘボウ管のページ

オットーボイレンでのブル5

文:大木正純

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ヨッフムの指揮術の真骨頂を示す もっとも得意としたブルックナーの感動的なライヴ 大木正純(CDジャケットは最新リマスタリング盤)

CDジャケットドイツの生んだ今世紀最高の指揮者の一人、オイゲン・ヨッフム。彼が亡くなって、そろそろ3年が過ぎようとしている。突然の訃報が飛び込んできたのは1987年の早春だった。享年84歳とはいえ、その前の年の秋、ほかならぬ王立アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を率いて来日してから、わずか数ヵ月しかたたぬ日のことである。その感動的な名演奏がまだ耳の底に焼き付いていただけに、筆者には信じ難い、悲しい報せだった。

ヨッフムが生まれたのは1902年11月1日、場所はバイエルンの小都市バーベンハウゼンである。音楽の勉強を積んだのもアウクスブルクやミュンヘンといったバイエルンの町の音楽院だし、1926年、コンサート指揮者としてのデビューを飾ったのも、ミュンヘン・フィルハーモニーの演奏会だった。その後もこの地方との関わりは深い。たとえば戦後、1949年にバイエルン放送局の音楽監督に就任し、バイエルン放送交響楽団の設立に尽力、その常任指揮者としてオーケストラを ヨーロッパ屈指の実力団体にまで育て上げたのは、ヨッフムの生涯のひときわ輝かしいキャリアの一つである。もちろん彼は、ミュンヘンのビールをこよなく愛した。

ヨッフムが他界したのは1987年3月26日、日本では「ミュンヘンの自宅にて死去」と報じられた。しかし正確には、ミュンヘン郊外の町トゥッツィングの自宅である。シュタルンベルク湖に臨む美しい町トゥッツィングは、ブラームスが《ハイドン変奏曲》や2曲の弦楽四重奏曲を書いた場所でもあるが、そこからさらに50キロメートルほど南下すると、リヒャルト・シュトラウスゆかりのリゾート地ガルミッシュ=パルテンキルヒェンに着く。ここまで来ると、オーストリアとの国境はもう目と鼻の先である。ヨッフムがいわゆるドイツの三大B、すなわちバッハ、ベートーヴェン、ブラームスや、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスとともに、いやむしろそれら以上に、4番目のB、ブルックナーの音楽に終生こだわり続けたのは、彼が生まれ育ち、生涯の大半を過ごした南ドイツと、ブルックナーを生んだ上部オーストリアの人々とが、おそらくカトリックの信仰と、アルプスの裾野に広がる美しい自然の中で育まれる、共通の精神風土を持つことと無関係ではないに違いない。

それにしても、ブルックナーへのヨッフムの想いは人一倍深く大きい。溯れば「少年の頃から教会でオルガンを弾いていた」という経歴がすでにブルックナー風であるし、前述のミュンヘン・フィルでのデビュー演奏会では、彼はブルックナーの《第7交響曲》を振ったのであった。その後も、ベルリン放送局との契約――そこからベルリン・フィルや市立歌劇場での指揮の道が拓かれた――のきっかけになったのが、1932年のブルックナー《第5交響曲》の演奏の成功だったというし、さらにハンブルク国立歌劇場への就任(1934年)に際しても、 彼は同じ曲をいわば名刺代わりに演奏している。バイエルン放送交響楽団の第1回演奏会で取り上げたのが、これまた《第5交響曲》だった。間もなくヨッフムが国際ブルックナー協会ドイツ支部の理事長に推戴され、同協会からブルックナー・メダルを捧げられたのも、むべなるかなというべきである。彼はまた、ブルックナーの交響曲の全曲録音を世界で最初に行った指揮者であり、名曲《テ・デウム》はもとより、あまり取り上げられないこの作曲家の宗教音楽の諸作品の多くをレコード化した数少ない一人でもある。そして1986年秋、コンセルトヘボウ管との最後の来日公演でも、彼はブルックナーの《第7交響曲》の最高の名演奏を、私たちに聴かせてくれたのであった。ヨッフムはそれこそ、ブルックナーとともに音楽家生活をスタートし、ブルックナーによってそれを閉じたといっても決して大げさではないのである。

このCDに収められている《第5交響曲》の演奏は、1964年5月の末、ヨッフム61歳のときに、生まれ故郷バーベンハウゼンからさほど遠くないオットーボイレンのベネディクト修道院で、ライヴ録音されたものである。ブルックナーの交響曲の中でも、この《第5番》はヨッフムのお気に入りの一曲で、レコード録音もこれを含めて少なくとも前後4回行なわれていると思われる。それは、最もポピュラーな《第4番 ロマンティック》や、後期の名作《第7番》ならびに《第8番》、あるいは《第3番》や《第6番》とくらべても取り上げられる機会の比較的少ないこの曲が、実はブルックナーの最高傑作の一つであるという、ヨッフムの静かな主張の表れであるに違いない。

来日公演の《第7交響曲》がまさにそうであったように、この《第5交響曲》の演奏も、ブルックナーの音楽へのヨッフムの大いなる愛をひしひしと感じさせるものである。ブルックナーの長い長い心の小道を辿ることに、彼が無上の喜びを見出していることは、ほとんど疑う余地がない。しかもその愛は、この上なく無垢でありながら、溺愛とははっきり一線を画した、つまり内におのずと批判精神を秘めたものである点が、ヨッフムの本当に偉大なところである。彼はこの作曲家の音楽の美しさも、弱みもわかりにくさも、すべてまっすぐに受けとめて、その上に高くブルックナーの真実を打ち立てようとする。したがって音楽は、最高の自然さをもって、太く、とうとうと流れていく。しかも、表面には表れないヨッフムの強力なリーダーシップが、それをしっかりと牽引しているために、流れは瞬時も放縦に傾くことがない。雄大無比の第4楽章、一歩一歩踏みしめてゆく着実な足どりを一貫して守りながら、そのただならぬ偉容をおのずと明らかにするあたり、ヨッフムの指揮術の真骨頂を示すものといえるだろう。

どこか屈折した、世紀末的なマーラーの芸術に対して、自然児ブルックナーの音楽は、はるかに健康で大らかで、人生肯定的な性格を持っている。それがブルックナーのかけがえのない魅力である。そしてそのことを、およそヨッフムほど美しく語り尽くした指揮者はほかにいない。

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(An die MusikクラシックCD試聴記)