ブラームス
交響曲第4番 ホ短調 作品98

(文:青木さん)

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■ 曲について

 

 高校生の頃に読んでいた『週刊FM』誌に「デーヤンのれこおど横丁」という連載記事がありました。出谷啓氏がコテコテの関西弁で名曲の名盤を紹介していくという内容で、クラシック音楽の初心者だったワタシにとっては最初の羅針盤のような存在だったのですが、そこに書いてあったことがマイナスの先入観になってしまったこともあります。この曲もその一例でした。

 「陰々滅々たる雰囲気はやりきれん、若者の音楽でない」「若い指揮者のものはおおむねあかんみたいや」「アバードやマゼールなんてのはぐあいが悪いし、カラヤンですらこの曲の境地にはまだまだ」という調子で、推薦されていたのはワルター盤とバルビローリ盤。ワタシはアバドもしくはアッバードのことを「アバード」と表記する癖がありますが、それほどまでに影響を受けた(?)出谷氏のこの連載記事のせいで、ブラ4は暗くてつまらぬ老人向きの曲、というレッテルを貼ってしまいました。

 その誤りに気づいたのはザ・シンフォニーホールで実演を聴いたときです。凝った構成の第1楽章は地味ながら面白いオーケストレーションですし、古風な第2楽章、対照的に躍動的な第3楽章、そして変化に富んだ第4楽章で息詰まるクライマックス(とティンパニの活躍)を体感し、ようやくこの曲のユニークな魅力が分かりました。といってもそんな理解はブラームスの作曲意図から外れていたのかもしれませんが、とにかく好きな曲になったのです。

 そういうわけで、ワタシがこの曲に期待するものは、出谷氏流の価値観とはまったく異なります。例えば件の記事にはワルター盤の魅力の一つとして「終楽章のティンパニのトレモロなんか、弱音を強調してどこか死の足音をきくような思いで気味が悪い」ことを挙げています。しかしそんな演奏は願い下げでして、ティンパニはあくまでダイナミックに強奏してもらいたい。バルビローリ盤は「デリケートで優しく、まさに「薄明の美学」とでも形容したい演奏」だそうですが、ワタシはメリハリを付けた雄弁で豪快な演奏を好みます。以下はそういう人間による感想文だということをお含み置きいただければ幸甚に存じまス。

 

■ リッカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

CDジャケット

録音:1990年10月 コンセルトヘボウ、アムステルダム
デッカ(国内盤:ポリドール POCL9495〜8)

 シャイー37歳での録音。落ち着いたテンポで進む演奏はどこまでも伸びやかでグラマラス、ここには感傷も諦観も死の足音もありません。それにはシャイーの若さもあるのでしょうが、そもそもリッカルド・シャイーはそういう音楽家だったはず(マーラーを聴けばよくわかります)。とはいってもブラームスのシンフォニーにはもう少し深みというか奥行きというか、内省的な側面も必要なのではないか。

 そんな思いを忘れさせてくれるものこそ、コンセルトヘボウ管の素晴らしい音色なのです。これが並みのオーケストラだと明るく能天気な演奏になってしまいかねぬところを、ほの暗い翳りを残す管弦楽の重厚なサウンドが絶妙な効果をもたらし、絶妙なるバランスを成しています。そして特筆すべきはティンパニの音響。渋く鋭いアタック音とズッシリした芯とを併せ持つヘヴィな音色が充分な音量で捉えられ、まったくもって理想的な響きです。これがデッカの録音マジックなどではないことは、彼らの2003年1月の演奏会をライヴ収録したブートレグ盤を聴けばわかります。

 さらにこのCDの特徴は、余白にシェーンベルクの「管弦楽のための5つの小品」が組み合わされていることでしょう。ブラームスと現代音楽の組み合わせは奇をてらったものに思えますが、実はこの両曲の作曲時期にはたった25年の開きしかありません。ブラームスがいかに古めかしい手法でこの曲を作ったかということを痛感できるこのカプリング、1993年に交響曲全集として出たときも同じ構成が守られていました。ですので2003年に「デッカ・ニュー・ベスト100」シリーズで再発売された国内盤は交響曲第3番と組み合わされていてお徳用ではあるものの、アルバム制作者のユニークな意図は無視されており、「CD作品」としてはまったく別物といわざるを得ません。

 

■ エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

CDジャケット

録音:1958年5月 コンセルトヘボウ、アムステルダム
フィリップス(輸入盤:Philips 462 534-2)

 ベイヌム先生のブラームスといえば交響曲第1番がその代表作で、荒々しい生気が漲るデッカ旧盤に対してフィリップスの新盤は落ち着き払った演奏、みたいな言われ方がよくされます。無理にそんな比較をして優劣をつけたりする必要もないと思いますが、ではその新盤の少し前に録音された第4番はどうなのか。もちろん名演奏であります。

 先生のブラームスにはある共通した特徴があって、この録音もその例に漏れません。言葉でうまく言えないその「特徴」のぼんやりしたイメージをあえて表現してみますと、19世紀後半という時代にしてはアンティークで古典ぽい作風という「ズレ」が「ブラームスらしさ」を特徴づける一因であり、ベイヌムとコンセルトヘボウはなぜかそれをうまく表現できている、とでも言いましょうか。ベイヌムの表現スタイルがメンゲルベルクの「ロマン性」と対極にあることや、当時のコンセルトヘボウ管が蒼古たる音色をかろうじて保持していたことなどと関係ありそうな気もしますが…。

 第1楽章は速めのテンポでキビキビと歯切れよく進行していくので、寂寥感や憂愁の色といったものはシャイー盤以上に感じられないものの、管弦楽の音色はグッと古風なセピア調。そのため第2楽章に入るとしっとりとした情感が出てきて、不思議な味わいです。第4楽章は長いフルートのソロがたまらなくいい音色で、他の演奏だと正直退屈することもある「静」の部分もじっくりと聴かせます。「動」の部分は第1楽章と同傾向。全曲を通じて強弱や静動の構成が絶妙に感じられました。飽きのこない、格調ある名演奏といえるのではないでしょうか。

 ステレオ最初期の録音で鮮明度はやや乏しいものの、全体としてはバランスのいい好録音。ティンパニのよい音色もくっきり分離されて聴こえますが、個人的にはもうちょっとオンマイクにしてほしかったところです。

 

■ コンセルトヘボウ管弦楽団による他の録音

 

 メンゲルベルクのブラームスは、Archipelから出ている交響曲全集を買ったのですが、まだ全部聴き終わっていません。1938年11月録音の第4番を含めて全体に音が貧弱でして、聴きやすいように加工修正された結果として細かいニュアンスが消えてしまったようなサウンドになっているのです。生々しい実在感がなくて、まるで隣の部屋で鳴っているかのよう。テンポや強弱の変化からある程度は想像できるエモーショナルな要素が直接に伝わってこないもどかしさが先に立ちました。

 ハイティンクのブラームス交響曲全集は、最後に録音された第2番が瑞々しく美しい名演だったのに対して、1972年録音の第4番はかなり劣ると感じます。あまり感情が込められているようには聴こえず、さりとて別の側面を強調しているわけでもなく、すべてが中途半端で捉えどころがないという印象。オーケストラの美音はこのCDが最高なのですが。

 他にはヨッフムの1976年のライヴがTahraから出ています。録音のせいか木管が強調されたバランスで、不思議な感覚。CDのトラック割にミスあり。

 

■ 他のオーケストラの録音

 

 かように偏ったブラ4観を持つワタシがこよなく愛するCDをご紹介します。我が家にはブラ全が1.5ダースほどあるのですが、なぜか以下はいずれも単独で録音されたものばかりです。

 

■ カルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ交響楽団

CDジャケット

録音:1969年10月15日 メディナ・テンプル、シカゴ
EMI(輸入盤:7243 5 85974 2 4)

 ジュリーニは1968年にニュー・フィルハーモニア管とこの曲をEMIに録音し、フィルハーモニア管時代に入れていた1〜3番と合わせて全集を完成しました。その翌年に同じレコード会社で再録音するというのは、どう考えても異常です。68年盤がよほど不出来だったのか、あるいはどうしてもシカゴ響と録音したかったのか。しかし背景に潜んでいるその事情は、この凄い演奏の前ではどうでもいいことに思えます。

 後のウィーン・フィル盤ほどではないものの、かなり遅めのテンポ。エッジの立ったソリッドな音色。そして一音一音をゆるがせにせず、驚くほど深みのある響き。内に秘めたクールな情熱が伝わってくるほどです。中でも圧巻は第4楽章。ジュリーニのものと思しき唸り声…緊張の糸は途切れず、金管の咆哮が息詰まるようなクライマックスを形成します。強靭で押しの強いシカゴ響の個性をうまく活かした大名演といえましょう。彼らのEMI録音を集成した4枚組の中でも飛び抜けて素晴らしいと思うのですが、詰め込み収録の結果CD二枚にまたがっているのが難点。国内盤の単売もあります。

 シカゴ響はレヴァイン、ショルティ、バレンボイムらの指揮でもこの曲を録音しており、いずれも悪い演奏ではないものの、これほどの凄みは感じられませんでした。

 

■ イーゴル・マルケヴィッチ指揮ラムルー管弦楽団

CDジャケット

録音:1958年11月20-24日 ポリドール・スタジオ、パリ
ドイツ・グラモフォン(輸入盤:474 400-2)

 ロシア生まれの指揮者と、一流とはいえぬフランスのオーケストラによるブラームス。マルケヴィッチに興味がある人以外は聴きたいと思わないかも知れませんが、それではあまりにもったいない。鋭利なカミソリのようなシャープさと醒めた熱気が併存するかのような、ユニークかつ圧倒的な演奏です。明るめの音色でグイグイと進行し、ものすごい推進力。しかし粗っぽさはなく、フレージングなどは丁寧とさえいえるでしょう。重量感はほどほどながら、その面での物足りなさはありません。引き締まった響きでメリハリの効いたダイナミズムを形成し、フランスのオーケストラに対して抱くイメージとは正反対です。そして最も目立つのはティンパニの強奏で、狂気さえ感じられるほどの凄まじさ。この曲としては型破りな異常演奏でしょうが、ワタシが最も気に入っているCDでもあります。

 10年以上前に国内盤が単売されたもののとっくに廃盤で、8月発売の「20世紀の巨匠シリーズ」のラインナップからも外れたため、いまかろうじて入手できるのはマルケヴィッチのDG録音を集めた「オリジナル・マスター」シリーズの9枚組ボックスセットしかなく、そんな音源を推薦するのは気が引けるのですが、探す価値は大ありです。

 

■ カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

CDジャケット

録音:1980年3月12-15日 ムジークフェラインザール、ウィーン
ドイツ・グラモフォン(国内盤:ポリグラム POCG3815)

 最後は定番中の定番。上記の個性的なCD群の中にあってはむしろオーソドックスに思えるほどですが、前向きな推進力がありますしメリハリもそれなりに利いており、常識的な(=ワタシにとっては物足りない)演奏とは一線を画しております。その意味でバランスの取れた、まさに名盤と呼ばれるにふさわしいCDだと思います。オーケストラもいい音色で鳴っていて、満足できました。

 

(2006年7月22日、An die MusikクラシックCD試聴記)