ハイティンク指揮の「ドン・ファン」を聴く 後編
コンセルトヘボウ盤の聴き比べ

(文:青木さん)

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■ ハイティンク旧録音

CDジャケット

1973年録音、フィリップス
演奏時間 16:30

 参考に、旧盤も聴きました。音響設計は新録音とほとんど同じで、ハイティンクの音楽づくりも、基本的には変わりありません。新録音の方が少々余裕のある演奏に感じられるのは、こちらの方が若干テンポが速いせいもあるのでしょうが、やはりハイティンクの円熟の結果なのでしょう。しかしこの曲の場合、せっかちで粗っぽい要素は決して弱点にはならないと思いますので、この旧盤もこれはこれで悪くないと思います。ラストの余韻はさすがに新盤に分があるようですが。

 

■ セミヨン・ビシュコフ指揮

CDジャケット

1988年録音、フィリップス
演奏時間 18:03

 次は、ヘボウによるこの曲の(そしてフィリップスによるヘボウのスタジオ録音の)最新盤。プロデューサー兼バランス・エンジニアとしてクレジットされているのはフォルカー・シュトラウスで、ハイティンク盤と(おそらく)同じです。そのせいか楽器配置やバランス感などの音響設計もきわめて似通っていますが、演奏の方は質実剛健なハイティンクとはかなり異なっており、演出上手という印象。ドン・ファンの押しの強さや女性の色っぽさなどの表情付けが効果的で、カラフルな色彩感があります。しかし、やはりもっとシャープでソリッドなサウンドの方が曲想に合うのでは・・・という思いは、ハイティンク盤と変わりません。

 

■ オイゲン・ヨッフム指揮

CDジャケット

1960年録音、フィリップス
演奏時間 16:07

 続いてはヨッフム盤。1952年の旧録音は国内盤CDが出ましたが、ステレオによるこの再録音のCDはTAHRAが復刻したものしかないようです。ビシュコフ盤より2分も短い演奏時間からもわかるようにスピーディーな演奏で、溌剌とした躍動感があります。そして聴かせどころのツボを心得ているというか、緩急のメリハリが効いているというか、どうも言葉にしにくいのですがとにかくいい演奏です。オーケストラの木質感のある音色も最高で、ハイティンク盤やビシュコフにある違和感はほとんどありませんでした。

 

 エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮

CDジャケット

1955年ライヴ録音、IMG
演奏時間 16:13

 ヨッフムを聴いてベイヌムに共通するものを感じたので、続いてベイヌム盤を。デッカのSP録音があるらしいものの未確認、しかし「20世紀の偉大な指揮者たち」のベイヌム篇に、シュトゥットゥガルトでのライヴ録音が収録されています。モノラルですが音は鮮明。演奏もすっきりした中にメリハリを利かせており、ライヴゆえの粗さは多少あるとはいえ、ベイヌムらしい名演と思います。

 

 ウィレム・メンゲルベルク指揮

CDジャケット

1938年録音、テレフンケン
演奏時間 16:20

 コンセルトへボウの「ドン・ファン」は、他にもカラヤン(1943年、ポリドール)やワルター(1952年ライヴ録音)があり、メンゲルベルクのものも1939年や1940年のライヴなど何種類かが残されているようです。ブラ1に次いで、ヘボウ史上の最多録音曲かも知れません。

 あまり古い録音ばかり聴き比べても仕方ありませんので、ここでは代表としてメンゲルベルクのスタジオ録音を採りあげました。「テレフンケン・レガシー」シリーズで復刻されたCDで、「英雄の生涯」の余白に入っています。演奏の特徴は、原ライナーノートに「メロディを組み上げる際の永遠の広がりを感じさせるテヌートのニュアンスと、要所での絶妙な木管の際立たせかた」と書かれていて、前者はよくわかりませんが後者には同意、そして個人的な印象は「あまり濃厚ではなく意外と普通の演奏」というものでした。録音はかなり鮮明ではあるものの、さすがに量感は乏しく痩せた音です。

 ところで、その原ライナーノートには重要な記述がありました。1903年にメンゲルベルクとコンセルトヘボウの「英雄の生涯」を聴き自分でも指揮をしたシュトラウスが、メンゲルベルクに次のようなアドバイスをしたというのです。

「優雅さと芳醇さを持ったオーケストラのサウンドではありますが、ある種の鋭利なアクセントを付与して頂きたい」
「もう少し活力と荒々しさを感じさせる風な演奏が理想です」

ヘボウが演奏するシュトラウスにワタシが感じていた違和感を、作曲者自身がすでに指摘していたとは・・・。

 

■ 他のCDの聴き比べ

 

 ヘボウのCDでいろいろ聴いているうちにこの曲がますます好きになり、別のオーケストラでも聴いてみたくなったので、まず世評の高いカラヤン盤を買ってきました。ベルリン・フィルを指揮したもので、グラモフォンによる1972年録音です。聴いてみますと、冒頭の〔悦楽の嵐〕のモチーフからして何かもったいぶっているみたいで、勢いが感じられません。全体に過剰気味な演出があまり曲想に合っていないようで気になりますし、オーケストラは鳴ってはいるものの何か窮屈な印象。録音も自然なコンサート・プレゼンスに乏しく、どこがいいのかよく分からないCDです。これなら、ウィーン・フィルとの古い録音のほうが遥かによい出来だと思いました。

 次に聴いたのはショルティ盤。シカゴ響を指揮した1973年のデッカ録音で、個人的には20年以上前から愛聴しているものですが、こうして比較をしてみると改めて圧倒されました。オーケストラの豪快な迫力と技巧性を極限までアピールした鮮烈な演奏で、全体的な流れを最優先する中で細かい部分のニュアンスが付けられています。ここではドン・ファンの心理や思想、行動といった表題性はほとんど無視され、ただひたすらサウンドのカッコよさが追求されているのです。しかしそれをここまで完璧に極めれば十分な説得力と魅力を持つというところが、シュトラウスの交響詩の面白いところといえるでしょう。ショルティは自伝の中でこの曲を、「モーツァルトのような輝かしい音が生き生きと飛び交っている」と表現しています。感覚派のショルティらしい捉え方だと思いますし、カラヤン盤に違和感があったのはこの生き生きとした要素が欠けているからです。外面的なパワーと内面的な情緒性の両方を狙っている(らしい)カラヤンの演奏は、ワタシには中途半端なものにしか思えませんでした。

CDジャケット

 最後はやはりシュターツカペレ・ドレスデンを。ケンペ指揮のEMI盤で、彼らのシュトラウス・チクルスの第一弾として1970年に録音されています。冒頭部はまさに「嵐」の勢いで、続くティンパニの連打はちょっと弱いものの、その後も切迫した勢いがあって、意外なほど熱い演奏。これこそ、シュトラウス本人がメンゲルベルクとヘボウに要求したという「活力と荒々しさ」です。考えてみれば、シュトラウスがこの曲を作ったのは20代半ばであり、ドン・ファンその人も「青春」の世代として描かれているとのこと。この曲を演奏する上ではアクティヴな若々しさの表現が必要なのではないでしょうか。どっしりと落ち着いたハイティンクや妙に老練なカラヤンらの表現は、そして重厚・豊饒なコンセルトヘボウ・サウンドは、その点においてもの足りなかったのでした。

 なおケンペ盤ですが、〔ドン・ファン〕第2主題のホルンの咆哮は力強さと芯の強さを感じさせる理想的な音色ですし、第2ロンドの謝肉祭の興奮が鎮まるあたりではティンパニの雄弁さも際立ってきます。そして再現部でも活気溢れる演奏が続いていくので、コーダの無情感も自然と対比的に浮かび上がってくるのです。ちょっと潤いが欠けるEMIの録音も、木質感のあるオケの音色やこの曲の曲想にはむしろマッチしていて、もうすべてが最高。たまりません。天下の名演・名盤と評価される所以を深く納得させられたのでした。

 
 

(2005年6月10日、An die MusikクラシックCD試聴記)