ジュリーニ指揮の「火の鳥」を聴く

(文:青木さん)

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■ Part 1. ジュリーニ盤

 

ストラヴィンスキー
バレエ「火の鳥」組曲(1919年版)

CDジャケット

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1989年11月23-24日、コンセルトヘボウ、アムステルダム
ソニー(国内盤 CSCR8289)

  <参考盤>
CDジャケット

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ交響楽団
録音:1969年10月13-15日、メディナ・テンプル、シカゴ
EMI(輸入盤 5 85974 2)

 

■ ジュリーニの「火の鳥」

 

 2005年6月14日、カルロ・マリア・ジュリーニが亡くなりました。既に現役を退いていたこともあり、個人的には例えばショルティの死を知った時のようなショックはありませんでしたし、そもそもワタシはジュリーニのよい聴き手ではなく、持っているCDはほとんどシカゴ響とコンセルトヘボウ管のものばかりという有様。それでもその中には感銘を受けたものがいくつかあり、追悼の意を込めてそれらを聴きました。今回はその中で、ヘボウとの初録音となった「火の鳥」を採りあげます。

 ジュリーニはあまり広くないレパートリーを何度も繰り返すというタイプのようでして、晩年にヘボウと録音した曲は再録音や再々録音ばかりです。この「火の鳥」はその典型例で、フィルハーモニア管、シカゴ響に続いて三度目の録音。「ペトルーシュカ」は変な短縮版が一つ残されているだけですし「春の祭典」に至ってはまったく録音がなく、ストラヴィンスキーの三大バレエに対してこのような関わりをしていた指揮者も珍しいのではないでしょうか。

 

■ 「火の鳥」のバリエーション

 

 この曲には次の4つのバージョンがあり、このうちジュリーニの録音はいずれも1919年版組曲です。

  1. 全曲(1910年)−バレエ用に書かれた音楽。4管編成(+バンダ)の大編成、演奏時間は45分前後。
  2. 1911年版組曲−全曲からの抜粋。編成は同じく4管。録音もほとんどないようで、個人的には聴いたことがありません。
  3. 1919年版組曲−2管編成、演奏時間20分強。もっともポピュラーな版でしょう。
  4. 1945年版組曲−2管編成、演奏時間30分弱。1919年版よりも曲数が多くなっています。

 これら各組曲の構成については、ある個人サイトにたいへん分かりやすいチャート図が出ていました。googleで“「火の鳥」各組曲と全曲版との関係“を検索すると出てきます。

 

■ ジュリーニ盤の感想

 

 今回は、コンセルトヘボウ管(以下RCO)とシカゴ響(以下CSO)を聴き比べていきます。

(1)イントロダクション

 本編に先立つ導入の部分で、舞台となる「魔法の国の夜」の雰囲気を出すための音楽。そのグロテスクで不気味な情景が、遅いテンポにのせた精緻な演奏によって、見事に描かれています。晩年のジュリーニに特有のねっとり感がうまく活かされていると思えたのですが、意外なことにCSO盤も基本的には同じでした。ただ、闇に蠢くかのような木管の艶っぽさはRCOに分があります。一方で、弦を指で触れるというハーモニクス奏法の気味悪さはCSOの方が上です。これらはわずかな差なのですが。

(2)火の鳥の踊り〜火の鳥のヴァリエーション

 きらめきながら跳ね回るような曲で、冒頭の切迫感はシャープなCSO盤の方が鮮やかですが、全体的な音色の鮮やかな魅力はRCO盤。しかしながら、冒頭からここまでほとんど明確なメロディのない音楽を実にしっかりと聴かせる演奏、という点では共通していて、ジュリーニと楽曲との相性のよさが伺えます。他のCDにはものすごく退屈な演奏もありましたが、そういうものとは格が違うという印象です。

(3)王女たちのロンド

 この曲でようやく息の長い美旋律が出てきます。異常にスローテンポのRCO盤は、室内楽的な精妙さと芳醇な音色がたまらなく魅力的。CSO盤も遅めのテンポで、共に旋律美を際立たせた演奏です。これを、ジュリーニの持ち味であるカンタービレと言ってしまうと月並みですけど、そのせいで前二曲との対比も鮮やか、という結果となっていて、聴いていて集中力が途切れません。

(4)カスチェイ王の凶悪な踊り

 RCO盤の録音はここまでの音量がかなり低く、ヴォリュームを上げたままでこの曲に突入するとえらいことになります。音の大きさだけでなく、空気感を伴った底力のあるド迫力で、コンセルトヘボウ大ホールの大空間の共鳴が感じられるほどの和音の一撃です。しかしその後は各楽器が美しく溶け合って、まとまり感のあるサウンドが展開します。これに対してCSO盤では金管群が豪快に炸裂し、硬めの威圧感もあって、ここまでの雰囲気が一変。指揮者よりオーケストラの個性が大きく発揮された結果となりました。2回繰り返されるトロンボーンのグリッサンドも効いており、こういう演奏はジュリーニの本意ではなかったのではないか…とさえ思ってしまうものの、さすがにこの曲に関してはこのCSO盤に軍配を上げたくなります。

(5)子守歌

 次は木管がメロディを淡々と吹く曲なので、逆にRCOの魅力が強く出ています。CSO盤はやや単調に陥っているように聴こえました。

(6)終曲

 最後の曲も同じ旋律が繰り返される構成ですが、ホルンに始まって楽器がどんどん重なっていき、途中で7拍子になって、絢爛たるクライマックスを成していきます。ジュリーニはコラール風に立体感をつけながらこれをじっくりと盛り上げていき、見事なエンディングを構築するのです。CSO盤の方がエッジの効いた音響ですが、もはやオーケストラの違いはあまり意識されません。全曲盤にも劣らないほどの充足感が得られるという点で、どちらも共通しているせいでしょうか。

(7)まとめ

 こうして聴き比べてみると、ジュリーニ自身の成熟(または老化)といった変遷よりも、オーケストラの個性の違いのほうが大きく感じられました。RCOとCSOは持ち味がまったく異なる楽団なのでこれは当然の結果ですが、ドヴォルザークの場合はCSO盤とRCO盤がかなり異なる音楽作りでしたので、「火の鳥」に関してはジュリーニのスタイルが20年の間にあまり変化しなかった…というよりは1969年の時点でかなり完成していた、というべきなのでしょう。テンポの遅さひとつとっても、CSO盤ですでに特徴が出ているのです。

 
ジュリーニ
ベイヌム
ハイティンク
RCO
CSO
イントロダクション
3:24
3:21
2:44
2:56
火の鳥の踊り〜ヴァリエーション
1:41
1:40
1:17
1:38
王女たちのロンド
6:22
5:45
4:32
4:37
カスチェイ王の凶悪な踊り
5:07
5:08
4:40
4:53
子守歌
3:54
3:46
3:02
3:22
終曲
3:26
3:13
2:50
3:14
23:59
23:02
19:20
20:40

 やはり「火の鳥」という曲は、ジュリーニが持つ資質にマッチしているのだと思います。「ペトルーシュカ」に求められるある種の軽妙洒脱さや、「春の祭典」に必要なシャープなダイナミズムなどがジュリーニにふさわしいか、と考えればなんとなく納得できます。全曲版でも聴いてみたかったところですが、このように濃密な表現が50分間も続くことを想像すると、あるいは全体に占める「歌」の部分の比率を考えると、組曲版がちょうどいいサイズだったのかも知れません。

■ Part 2. コンセルトヘボウ盤の聴き比べ

 

 エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮

CDジャケット

録音:1956年4月、コンセルトヘボウ、アムステルダム(mono)
フィリップス(輸入盤:Retrospective RET044)

 ベイヌムの放送音源ボックスセットにはこの曲の1948年のライヴ録音が入っていましたが、フィリップスによるスタジオ録音が英レトロスペクティヴ・レーベルから復刻されていますので、今回はそちらを聴き比べました。”SUITE 1919-1945”と表記があるものの、1919年版のようです。

 モノラルとはいえ音質は最高。演奏も絶妙で、ジュリーニと対照的に速いテンポで駆け抜けていくにもかかわらず、もの足りなさはなくしっかりとした聴き応えがあります。これはベイヌムの大方の演奏に共通する要素なのですが、その理由をうまく表現できないというもどかしさだけが本盤の欠点?といえましょう。美しい色彩感と深いコクのある素晴らしい管弦楽のサウンドが大いに貢献していることは確かです。

 

■ ベルナルト・ハイティンク指揮

CDジャケット

録音:1961年9月、コンセルトヘボウ、アムステルダム
フィリップス(国内盤:ユニバーサル PHCP20425)

 ハイティンクの初期の録音。彼はこの後ロンドン・フィル及びベルリン・フィルと全曲版を録音しましたが、これは1919年版組曲です。冒頭からしてダークな雰囲気がまったくなく、全体に表現が浅くて単調、ベイヌム盤のようなオツでイキな味わいもありません。残念ながら彼の若さが未熟さとなって出てしまった演奏です。オーケストラの技術面と音響面については素晴らしいのですが。

 

■ サー・コリン・デイヴィス指揮

CDジャケット

録音:1978年11月6-7日、コンセルトヘボウ、アムステルダム
フィリップス(国内盤:ポリグラム PHCP24003)

 全曲版。三大バレエの完結篇として録音されたもので、たいへんな名演奏・名録音と評価が高く、何度も繰り返し再発売されています。そのうち上記の番号のCDは24ビットリマスターの紙ジャケット盤です。ワタシが最初に買ったCDは全曲47分が1トラック設定という、CDの機能をちっとも活かしていない問題商品でしたが、この再発盤はちゃんと22トラックに分割されていて、曲の進行の把握が容易です。1919年版の構成にするためには、1,4,10,18,19,22とプログラムするとだいたい同じになります。しかしこんな聴き方はもちろんお薦めできません。

 この録音は全曲版に特有の4管編成のオーケストレーション、というよりチェレスタやシロフォンを始めとする多彩な打楽器群の魅力を存分に楽しめるもので、それは組曲でカットされた曲にもたっぷりと出てくるのです。とはいえそれだけならば、例えば以前に「この音を聴いてくれ」の企画でご紹介したドラティとロンドン響のマーキュリー盤なども同様に鮮烈なのですが、アナログ末期にフィリップスが録音したコンセルトヘボウ・サウンドはやはり違います。“極上”としかいえません。演奏も丁寧でメリハリがあり、オーケストラの瞬発力や表現力も当盤が随一。名演奏・名録音の世評に偽りなしです。

 

■ リッカルド・シャイー指揮

CDジャケット

録音:1995年9月、コンセルトヘボウ、アムステルダム
デッカ(国内盤:ポリグラム PHCL1784)

 1945年版。以前、「コンセルトヘボウのシャイー CD目録」において「通常の組曲版(1919)と全曲版との中間的なサイズもちょうどいいように感じられる」と書きましたが、昨年のデイヴィスとロンドン響の来日公演で全曲版の素晴らしさに目覚めた今となっては、逆に中途半端な感が否めません。それでも、1919年版にはない「黄金の果実と戯れる王女たち(スケルツォ)」が入っているのは大きな魅力なので、2管編成の手頃さを優先する場合は1919年版ではなくこの1945年版の方が主流になっていけばいいと思います。

 デイヴィス盤に比べるとオーケストラの音色は明るめになっていて、これはこれで独特のヴィヴィッドな色彩感が魅力的です。録音も最高で、打楽器のリアルな迫力などはデイヴィス盤以上。演奏面では、終曲で7拍子になったところでテンポが上がり、スタッカート気味の歯切れよさが印象的です。これはシャイーの解釈というよりは、1945年版の特徴であるとのこと。

 次に映像版を見てみましょう。NMクラシックスによるシャイーの放送音源ボックスセットにはDVDが付いていて、「プルチネルラ」「春の祭典」と並んでこの曲が収録されているのです。デッカ盤と同じく1945年版。2003年12月25日のライヴで、つまりへボウ伝統のクリスマス・マチネですね。ハイティンクの時代はマーラーでした。

 オルガンに紫の照明が当てられていて一種妖しい雰囲気のコンセルトヘボウ大ホールで展開される「火の鳥」、実演でこれほどの高い完成度は驚異的です。演奏の内容はデッカ盤と大差なく、音響はそれより劣るものの映像の魅力はその欠点をはるかに上回り、これはたいへんな見ものです。弦のハーモニクス奏法、トロンボーンのグリッサンド、ピアノや木琴の活躍など見たい箇所はちゃんとアップで出てきますし、コンマスのケールを始めフルートのバイノン、トランペットのマスーズ、トロンボーンのマイレマンス、ティンパニのウォルドなどおなじみの面々もみんな揃っています(他の二曲はちょっと違うメンバー)。スコアでは1台と指定されたハープが2台いることなど音だけではまず気づきません。シャイーの無精ひげがむさくるしいのはいただけませんが、それ以外は大満足のDVDでした。

 

■ ピエール・モントゥー指揮

CDジャケット

録音:1950年10月19日、コンセルトヘボウ、アムステルダム(mono/live)
(輸入盤:Tahra TAH541-542)

 このライヴ録音には版の表記がないものの、26分ほどの演奏は1919年版よりも曲数が多く、どうも1945年版の抜粋のようです。さらにオーケストレーションが聴き慣れた1919年版と違っていて、「カスチェイ王の凶悪な踊り」でトロンボーンのグリッサンドがない(フルートが同じ音形を吹いている)ことなどからすると、全曲版の編成のようにも思われます。

 録音があまり鮮明でないのとワタシの知識がないせいで、それ以上はっきりしたことが分からないのが残念ですが、こういう話も聞きました。モントゥーは1956年にパリ音楽院管弦楽団を指揮してこの曲をデッカへ録音していますが、それは1919年との表記があるにもかかわらず、使用されているスコアは4管編成の全曲版のものだそうで、全曲版から1919年版の曲を抜き出したダイジェストのようなものだというのです。「ペトルーシュカ」と「春の祭典」を初演したモントゥーは、「火の鳥」についても独自の見識をもっていたのでしょうか。

 

■ 他のオーケストラ

 

 最後に、他に聴き比べたものを簡単に。

オーマンディ指揮フィラデルフィア管のRCA盤はワタシが最初に聴いた「火の鳥」でした。その廉価盤LPは奥行きのない平面的な音場と乾いた響きの録音があまり気に入らなかったのですが、いまCDで聴いても同様です。ライナーノートによると、1919年版にもかかわらず編成を4管に拡大し、他にもいくつか手を加えているとのこと。確かに厚みのあるサウンドで、やや鈍重ではあるものの立派な演奏ではあります。

ケンペ指揮シュターツカペレ・ドレスデンは同じく1919年版組曲。打楽器がやたらと明瞭に聴こえる箇所があり、異色の録音です。演奏面でも細部を拡大するかのような猟奇性があり、オーソドックスではありませんが面白いCDといえます。

ブーレーズ指揮シカゴ響の全曲盤はクールな雰囲気で、逆に面白みに乏しい演奏です。スコアを正確に再現しただけという感もあって、あまりお薦めできません。

ドラティ指揮ロンドン響のマーキュリー盤については以前も採りあげましたが、デトロイト響とのデッカ盤ともども、手堅く鮮やかな演奏と素晴らしい録音で、大いに楽しめます。ともに全曲版。

ストラヴィンスキーが自ら指揮した録音は何種類もあるようで、手持ちの自作自演集(輸入盤”THE ORIGINAL JACKET COLLECTION”シリーズ)にはそのうち二種類が収録されていました。1961年録音の全曲版と1967年録音の1945年版組曲で、ともにコロンビア響。前者は4管編成とは思えぬ軽いサウンドですが、なんというかエッセンスの部分を効率よく聴かせているかの演奏で、意外かもしれませんがベイヌムの表現に近いものを感じました。後者の録音時にストラヴィンスキーは実に85歳、さすがにキレのよさはかなり減じているようで、さらにオーケストラの技量も冴えません。ラストのコラールのスタッカートは、オーケストラのサウンドにふくよかさがないこともあってシャイー盤より徹底して聴こえ、やはりこれは1945年版の特徴ということのようです。

 

(2005年7月11日、An die MusikクラシックCD試聴記)