武満徹を(少しだけ)聴く

(文:青木さん)

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CDジャケット

武満 徹
ノヴェンバー・ステップス
横山勝也(尺八),鶴田錦史(琵琶)
ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1969年12月17-19,21日 コンセルトヘボウ、アムステルダム(Live)
フィリップス(国内盤:日本フォノグラム PHCP3857)
(カプリング:メシアン「さればわれ死者のよみがえるを待ち望む」)

 

■ 楽曲のこと

 

 武満徹を初めて意識したのは、映画音楽でした。『どですかでん』や『あこがれ』の切なく抒情的なテーマ曲、磯崎新らとともに本人も一瞬登場した『他人の顔』のデカダンなワルツなどを聴いて、その素晴らしいメロディ・メーカーぶりが強く認識されたのです。『乱』のマーラー風の曲も印象的でしたし。

 そんな彼の代表作品『ノヴェンバー・ステップス』をハイティンクとコンセルトヘボウ管がフィリップスに録音している!というので激しく期待して聴いたのですが、その結果は…「なんだこりゃ」。あえなく惨敗です。演奏会用の作品でも映画音楽と同じノリを楽しめる伊福部昭とはまったく異なる作曲家らしいということだけを理解し、タケミツは興味の枠外の存在となったのでした。

 その後、ヴァレーズやジョリヴェやペンデレツキやルトスワフスキやベルクやザッパや、あるいはワケのわからぬあれこれを経験し、先日あらためて再聴した『ノヴェンバー・ステップス』。それは、胸に深く沁みいるスーパークールな大傑作へと変貌していたのです。要するにワタシの聴き方が以前とは違っていたからですが、まさにその点を作曲者自身が指摘しておりました。

 〔まず、聴くという素朴な行為に徹すること。やがて、音自身がのぞむところを理解することができるだろう〕。

 印象に残る旋律、曲の構成や展開、独奏楽器と管弦楽の協奏ぶり…そういったことを追い求め理解しようと努めてはいかんのです。“Don’t think. Feeeeeeeeeel!”。言わずと知れた『燃えよドラゴン』のあの名セリフを想起セヨ。そういうスタンスで聴きますと、和楽器とオーケストラが対峙しているというシチュエーションからしてもう興奮してくるほどです。精妙でゆらめくような管弦楽の音響が静謐な背景をなし、尺八の掠れた息遣いが一気に空間を押し拡げて、琵琶の鋭いひと掻きがその空間を引き締める。「緊張感」と「空間」が緩急自在に変幻していくようで、このような面白さを持つ曲はちょっとありません。

 

■ 演奏のこと

 

 そんなわけで楽曲の魅力は伝わってきたものの、このCDの演奏はといえば、いいのかよくないのか何度聴いてもピンとこないのでした。和楽器のインパクトが強すぎるせいかオーケストラの個性もさほど感じられず、どうにも評価が難しいのです。そもそもこのCD(もとはLP)はいったいどういう経緯で制作されたのでしょうか。邦人演奏家の録音ばかりが並ぶこの曲のディスコグラフィにおいて海外の指揮者とオーケストラによるものはこの録音だけらしいですし、「名曲」と「全集」がほとんどを占めるハイティンクのフィリップス商業録音の中にあって(カプリングのメシアンともども)きわめて異色の存在なのです。

 

■ 録音のこと

 

 これがライヴ盤であるということも、当時のレコード商品としては珍しかったはず。とはいえ拍手などは入っていないので、言われなければ気づきません。録音日として4日間がクレジットされていますが、そのうち21日はコンセルトヘボウのクロニクル本によると別プログラムの演奏会だったようですので、21日のリハーサルの間などに終結部などの一部分を録音し、17〜19日の実況録音分と合わせて編集されたものと推測できます。アムステルダム滞在は一週間ほどだったことを、尺八の横山氏が『武満徹を語る15の証言』(小学館,2007)で語っていました。

 さて、ハイティンクとコンセルトヘボウ管の放送録音を集めたボックスセット(Q Disc)にも、この『ノヴェンバー・ステップス』が収録されています。奇妙なことにこの曲だけ録音年月日のクレジットが抜け落ちていますが、解説書を読むと1969年の録音らしいので、おそらく上記3日間のいずれかの収録でしょう。その解説によりますと、1968年にコンセルトヘボウ管が来日した際に、日本フィリップスのBen Joppe氏(後にハイティンクの秘書となった人物)がヘボウ当局に武満徹のことを紹介し、その縁で翌シーズンのプログラムに採りあげられたとのことです。

 しかし、そのライヴ録音をフィリップスがわざわざレコード化した理由まではわかりません。なんといっても、小澤征爾指揮ニューヨーク・フィルによる初演のたった二年後のことであり、海外でのタケミツの名も今ほど知られていなかった頃でしょうから。このディスクの国内盤はLP時代から何度も再発売が繰り返されていますが、手持ちのCDをよく見るとアート・ディレクション担当者として日本人の名前が記載。もしかすると日本側で企画された商品だったのかもしれません。

 

■ 若杉盤との比較

 

 こうなると他の演奏も聴いてみたくなるのが人情というもの。フィリップスには小澤征爾の新録音もありますが、若杉弘の新録音がDENONの1000円シリーズで出ているので、それを買ってきました。琵琶と尺八の独奏者はハイティンク盤と同じで、というよりもこの曲の全録音に彼らが参加しているといいます。実演でもこの二人で100回以上は担当したとのことで、1995年に鶴田氏が亡くなった後は小澤征爾も『ノヴェンバー・ステップス』の演奏を断念しかけたそうですが、後に弟子の中村鶴城氏が受け継ぐ形になったようです。

 この若杉盤は作曲者自身が立ち会って監修をした録音ですが、その決定盤的な先入イメージに反して、どうも面白味に乏しい演奏だと感じました。ハイティンク盤と比較すると、緊張感が薄くて立体感もなく、平板なものに聴こえるのです。初演から四半世紀が経過する間に繰り返されて手慣れた演奏と日本人だけによるスタジオ収録作業に、初演から二年後の海外公演と同じテンションなど望むべくもないのでしょう。でもこの曲の場合はそのテンションが魅力の一部であり、家で録音を聴く分には圧倒的にハイティンク盤が○で若杉盤は△ダゼ、というのが個人的な感想でした。

 そう思って聴くと、コンセルトヘボウ管のダーク系のくすんだ響きや明瞭に分離しきらないブレンド感までもが、曲想にぴったり合っているように感じられる始末。若杉盤は音がクリアすぎるせいでかえって雰囲気に欠けるという印象なのですけれど、しかしこういうことをあまり言い過ぎると贔屓の引き倒しになりかねませんので、このへんで。ただハイティンク盤のフィリップス盤は、尺八と琵琶をはっきり左右に振り分ける定位がもっとも徹底していて、これこそ好ましい音響設計だというべきでしょう。放送録音盤と比べると、両者は異なる音源らしいことがわかります。

CDジャケット

若杉弘指揮東京都交響楽団
録音:1991年7月29-31日 東京芸術劇場
DENON(国内盤:日本コロムビア COCO70428)

 

■ 『ヴィジョンズ』も聴く

 

 ハイティンク盤にカプリングされたメシアンの曲は、弦楽器が入らない編成ながら、一聴の価値はあると感じました。少なくとも聴いていて退屈するようなシロモノではありませんし、もっと人気が出てもよさそうな作品です。

 一方の若杉盤は「武満徹作品集」であり、名曲『弦楽のためのレクイエム』や『遠い呼び声の彼方へ!』が入っていて、さらに世界初録音とされる『ヴィジョンズ』という曲が最後に置かれています。これはシカゴ響の委嘱作品ということで、その初演者であるバレンボイムとシカゴ響もテルデックに録音済。シカゴ響発注の三作品を集めたそのCD、所有してはいるものの2回しか聴いていません。久々に引っぱり出して武満曲だけを傾聴しました。

 かつて吹雪でシカゴに足止めをくらった際に通った美術館でルドンの絵画に感銘を受け、そこから発想されたのがこの曲だそうです。オーケストラの編成は『ノヴェンバー・ステップス』よりずっと大きいものの、全体の雰囲気は静謐とさえいえるもので、作曲者によると「シカゴ交響楽団の音楽家たちを信ずればこそ可能になる類の冒険」とのこと。シカゴ響向けの曲だからといって単純にダイナミックな方向に向かわないあたりがいいですねぇ。確かに、抑えた音響ながら内に秘めた強靭なエネルギーのようなものを感じさせる曲であり演奏です。低音楽器が多用されているせいか、ずっしりした安定感と重量感があり、その土台の上で色彩的な会話が繰りひろげられている、といった印象。

 しかし、一方の若杉盤もさほど聴き劣りするものではなく、都響としても『ノヴェンバー・ステップス』とは気合の入り方が違うように思えました。その理由が慣れぬ曲の演奏による緊張感や初録音の気概だとすれば、四半世紀後にはまたつまらぬ演奏をしている可能性もありますけど。

 この曲はシカゴ響創立100周年記念作として委嘱され、1990年3月にバレンボイムの指揮で初演。翌4月のシカゴ響来日公演で採りあげられたのが日本初演となったとのこと。若杉盤の録音はその翌年、そしてさらに二年後のシカゴ再演時の放送録音がテルデックによりCD化された、という経緯です。日本人作曲家の作品をシカゴ響が本邦初演したという例は他にないでしょう。ちなみに『カシオペア』という作品も、ラヴィニア音楽祭の委嘱作品として1971年にシカゴ響が初演(指揮は小澤征爾、打楽器独奏はツトム・ヤマシタ)。また1995年のレヴァインとウィーン・フィルの来日公演では武満徹の新作が初演される予定だったものの病のため作曲が間に合わなかったそうで、実際に演奏された曲はこの『ヴィジョンズ』でした。

 こうしてみると武満徹という作曲家は、その作品が世界の超一流演奏家によって初演されたり商業録音されたりしているわけで、その偉大さは国民栄誉賞ものだといえましょう。というような権威主義やミーハー根性など吹き飛ばしてしまう痛快作の数々が映画のサウンド・トラックにたくさん記録されているという点こそ、武満徹のユニークな魅力だと思います。それだけに彼の全貌を(たとえある程度でも)把握することは、ほとんど不可能といわざるを得ません。

CDジャケット

ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ交響楽団
録音:1993年1月9日 オーケストラホール、シカゴ(Live)
テルデック(国内盤:ワーナー WPCS4562)

 

■ 附録

 

 最後に、武満徹に少しでも興味を持った方へ。没後10年となった昨2006年に行われた『武満徹の宇宙』という演奏会を収録した同名のCDが大推薦盤。楽曲・演奏・録音・解説・装丁・価格などすべてが充実、最高です。赤×黄の某大手輸入CDショップの独占限定販売ですのでご注意を。以上、宣伝に非ず。

 

(2007年6月17日、An die MusikクラシックCD試聴記)