An die Musik 開設7周年記念 「大作曲家7人の交響曲第7番を聴く」

プロコフィエフ篇
マルティノン指揮パリ音楽院管

文:青木さん

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CDジャケット

交響曲第7番 嬰ハ短調 作品131「青春」
ジャン・マルティノン指揮パリ音楽院管弦楽団
録音:1957年10月29日〜11月2日、ラ・メゾン・ド・ラ・ミュテュアリテ、パリ
プロデューサー:ジェームズ・ウォーカー
エンジニア:ケネス・ウィルキンソン
デッカ(国内盤:ポリグラム POCL4557)

 

■ 曲を聴くまでの長いイントロ

 

 今回の7周年企画のお蔭を持ちまして、かような名曲を初めて聴く機会を得られましたことを、本企画の関係者各位に感謝申し上げる次第で御座います。

 とはいえワタシも一応はその関係者なのでした。An die Musik客演陣の一員としては、もっとも投稿が少なそうなこの曲を自ら率先して採りあげる責任があるであろう。でも聴いたことないんだよな。他の6人の第7番は妥当だけどこの曲だけえらくマイナーなんじゃねえの? などと悪態ついたりしていたものの、シューベルトの「未完成」は断じて第7番ではなく第8番でありますし、ヴォーン=ウィリアムズの「南極交響曲」も異質です。ハイドンやモーツァルトというわけにもいかず、うーんやはりこれしかないのか・・・

 などとあれこれ考えるよりさっさと聴いてみればよさそうなものですが、プロコフィエフの交響曲は個人的には苦手でして、知っている曲といえば

  • 第1番「古典」…悪くはないけど淡白すぎるし、似たようなコンセプトならブリテンの「シンプル・シンフォニー」のほうがずっといい〔←まったく違うものを比較して優劣を決めつける悪例〕
  • 第3番…やたらとやかましくアバンギャルドで難解でつまんない〔←よく聴きもせず表面的な印象で判断してしまう悪例〕
  • 第5番…印象に残るメロディーが皆無で無味乾燥、どうしてこんなのが名曲扱いされているのか?〔←自分が理解できないものを切り捨てる悪例〕

という具合で悪例の見本市状態、とはいえこれでは第7番に気が進まないのも当然でございましょ? しかし伊東さんに背中を押していただいたのと、たまたま入ったCDショップで7年前に出たマルティノン盤(デッカ70周年記念「ロンドン偉大なる指揮者たち」シリーズ)が売れ残っているのを見つけたのとで、とりあえず買ってみたわけです。そして気乗りがしないまま聴いてみますと・・・

 

■ 聴いてみての感想

 

 劈頭いきなりのメランコリーな旋律にたちまち引きつけられました。そして2分ほどして出てくる荘重なメロディは、プロコの作品中で例外的に大好きなピアノ協奏曲第1番の冒頭と雰囲気がそっくりで、これで早くも極私的「名曲」に仲間入り。

 溌剌とした第2楽章、情緒的なワルツの第3楽章と、魅力的な旋律が次々と現れます。それらが気の利いたモダンな響きのオーケストレーションで奏でられ、ラヴェルを思わせる部分さえあったりして、ワクワクしっ放しです。第4楽章は活き活きとしたリズムが印象的、そして…第1楽章のあの荘重なメロディが再び出てきたではありませんか! もう堪えられません。

 で、最後は静かに終ったな、と思ったらその後にこれまた気の利いたエピローグが。もはや完全にこの曲の虜となり、そのあと続けて二回も聴いてしまったほどです。こんなにいい曲だったとはまったく意外で、実に嬉しい驚きでした。

 

■ 曲について考える

 

 プロコフィエフの全交響曲におけるこの曲の位置づけは、偶数番号の曲をまったく聴いたことがないワタシには考察のしようがありません。ある本によると、一時は亡命していたプロコフィエフがソ連に復帰してからは国家の意向に配慮して平明な作風に転じたとのこと。特にこの曲は、ソ連放送国家委員会・児童ラジオ部から「軽い交響曲を」と発注されたと、CDの解説書に書いてありました。すると、ショスタコーヴィチの曲のように、この平易さや軽妙さの裏から政治的な意味をあれこれ深読みしなければならないのでしょうか。そんなことにはあまり興味ありませんので、お好きな方にお任せしたいところです。

 そしてこの曲には、あまり使われないようですが、”YOUTH”=「青春」という標題が付けられています。ユースといえばラフマニノフの「ユース・シンフォニー」がありますが、これは若書きの交響曲という意味のようですので、最後の交響曲がユースというのは、それに比べるとちょっと奇妙な気も。同じく第7番までしか交響曲を書かなかったシベリウスがその後30年以上も生き続けたのに対して、プロコフィエフはこの第7番を完成した年に62歳で亡くなっています。もう少し長生きしていれば第8番や第9番を作ったかも知れず、青春交響曲が最後の交響曲となったのは偶然というか結果論に過ぎないのでしょう。

 

■ CDのこと

 

 さて演奏ですが、カルショーの自伝でこき下ろされていたパリ音楽院管という点が聴く前は気になっていたものの、特に不満はありません。むしろ独特の味わいのある管の音色や奏法などが、ラヴェル風の曲想と大いにマッチしているように感じました。というより、「ラヴェルを思わせる」などという感想は、この演奏で初めて聴いたゆえの誤解だったのかもしれません。しかしこれほど気に入ったのですから、自分としてはカン違いでも何でも構わない、という心境です。新しい曲(自分にとっての)と次々に出会い続けていた10代の頃の気分に戻れたようで、新鮮な体験でありました。

 マルティノンとパリ音楽院管は1959年に第5番を録音しており、それと組み合わされたCDがTESTAMENTから出ていますが、第7番のLPオリジナル・カプリングは同時に録音された「ロシア風序曲」だったようで、今回ご紹介しているCDもそうなっています(さらにロンドン響とのロシア物をフィル・アップ)。なおマルティノンは後にフランス国立管弦楽団を指揮してこの曲を含む交響曲全集を録音しているそうです。

 ところで、第4楽章ラストのエピローグ的な部分が付いていない版による録音もあるらしく、そういうものも含めて、他の演奏を聴き比べるという楽しみが次に待っております。いやークラシック音楽ってホントにいいものですね。またご一緒に楽しみましょう!(こらこら)

 

■ 番外  伊東からのコメント

 

青木さんが書かれているとおり、この企画の対象となった7曲のうち、プロコフィエフの交響曲第7番は多くの人にとって最も馴染みの薄い曲だと思われます。でもこういう機会にじっくり聴いてみると新しい発見があってとても楽しいです。プロコフィエフの7番は、交響曲として作られていますが、「交響曲」という硬いタイトルはこの曲に似つかわしくありません。バレエ音楽として紹介されていれば「ロミオとジュリエット」並の人気を博していたのではないかと私は思っています。どの楽章も簡潔、精妙で、実に良くできています。20世紀の半ばにこのような音楽が作られたことに驚きますが、名曲だと思います。私は今回の企画のために曲を何度も聴きまくってすっかりファンになってしまいました。

プロコフィエフがこの曲を作曲したのは1952年。マルティノンが録音したのが1957年です。作曲後これだけ早いうちに録音されているのは、プロコフィエフの世界的名声の故もあったのでしょうが、指揮者が十分にこの曲の真価を理解していたからでしょう。

 

(2005年11月23日、An die MusikクラシックCD試聴記)