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CD2015年2月17日:ブログ形式に移行

ブログ形式に移行しました。今後はこちらをご覧ください。

 

CD2015年2月15日:諸国民の讃歌

 私は金曜日に大量のCDを売却しましたが、手放さなかったCDも結構あります。トスカニーニのCDはベートーヴェン交響曲全集、ブラームス交響曲全集をはじめ、多数を手許に残しました。どれも古いモノラル録音ばかりですが、それを補って余りある燃焼度の高さに私はずっと惹かれたままなのであります。中には以下のような珍盤もあります。

CDジャケット

ヴェルディ
歌劇「リゴレット」:第1幕
歌劇「ナブッコ」〜行け、わが思いよ、黄金の翼にのって
カンタータ「諸国民の讃歌」

  • テノール:ジャン・ピアース
  • ウエストミンスター合唱団

テ・デウム(聖歌四篇より)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団
「諸国民の讃歌」録音データ:1943年12月8日、20日、NBC 8-Hスタジオ
RCA=BMG(国内盤 BVCC-9723)

 声楽曲には宗教曲が多いためか、非常に生真面目なものが多く、聴く方もひたすら生真面目でなくてはいけないという雰囲気が濃厚です。悪く言えば辛気くさい。その一方で「諸国民の讃歌」は抱腹絶倒、奇妙奇天烈というほかありません。気分がふさいだ時はこれが最適であります。

 この曲にはイギリス国歌、フランス国歌、イタリア国歌が盛り込まれています。トスカニーニはこれを独自に改変し、ヴェルディの曲にソ連の「インターナショナル」とアメリカ国歌「星条旗よ永遠に」を継ぎ足しました。それを爆裂演奏しているのであります。ヴェルディ自身は大まじめに原曲を作ったと思われますが、トスカニーニの改変が激しく、しかも熱烈であるために歴史的な珍盤となっているのです。

 もっとも、私は珍曲の熱烈演奏であるとは思っていますが、決してマイナス評価をしているわけではありません。曲の最後に「星条旗よ永遠に」が出てくるところは大げさすぎるために何回耳にしても笑いがこみ上げてくるのを禁じえませんけれども、戦時下のアメリカでこの曲を指揮しているトスカニーニは大真面目に取り組んでいるのであります。そして、演奏に参加している音楽家の誰もこれを馬鹿馬鹿しいなどと思って演奏しているわけではなく、トスカニーニに刺激されて燃え立っているのであります。これをスタジオ録音でやっているのですから本当に驚かされます。

 残念ながら、この曲のCDは他に見当たらないようです。他の指揮者による演奏も聴きたいと思ったことはあるのですが、どのように考えてもそれが70年も前に録音されたこの音の悪いトスカニーニ盤に及ぶことはあるまいと予想しています。それも、足許にも及ばないだろうと思うのです。珍曲であろうと、作曲家に成り代わった馬鹿馬鹿しい編曲がされていようと、トスカニーニの輝きは圧倒的です。こんなCDは珍盤と思いつつも処分するわけにはいかないのであります。

 詳しい解説はこちらのサイトをご覧ください。「なんだこれは?」と思いつつ、興味を持つこと疑いありません。

 

CD2015年2月13日(金):CD売却

 1日が終わろうとする時間になって、今日が13日の金曜日だと気がつきました。私が子どもの頃は、13日の金曜日には不吉なことが起きるのではないかと本気で心配したものでした。長じて、それがキリスト教起源の言い伝えであることを知ると、キリスト教には全く縁のない私は安心して13日の金曜日を迎えることができるようになりました。

 とはいえ、今日は私の人生の中でも大きな節目となる1日でした。手持ちのCDのほとんどを売却したのであります。すぐに思いつく、私にとって重要なCDをピックアップした後は、まとめて業者に渡してしまいました。さすがの私も全量売却となると心理的に耐えられなかったでしょう。しかし、不思議なことに、これはというCDを手許に残した後はさほど後ろ髪を引かれることなく大量のCD売却に踏み切れたのでした。CDラックはオーディオルームだけではなく、もうひとつの部屋を丸ごと、さらに通路にまで進出していました。それらはすべて3階にあるので、一時は、CDの重量で床が抜けるのではないかと危惧したほどです。そのCDラックは1日にして空っぽになりました。空になったラックを見ると、そこにCDがぎっしり詰まっていたことが夢のようであります。

 私はCDが市場に出回り始めた頃から購入を始めました。CDの収集は私の人生の大部分を占めていると言って過言ではありません。最初期には私が住んでいた学生街でクラシックのソフトを入手することができなかったため、中央線に乗って遠路はるばる銀座の山野楽器に通ったものです。その後はソフトも増え、学生街のお店でもCDを購入できるようになりました。今振り返ってみると、当時のCDは輝いていましたね。新しい時代のパッケージ商品としてその将来を疑うことはありませんでした。それからというもの、私は30年にわたってCD収集に邁進してきましたが、いつの間にかCDの時代は終わりが近づいております。人々は今や音楽をPCでダウンロードして聴くようになっています。それはもはやパッケージ商品とは言えません。輝くように見るパッケージ商品としての音楽はCDが最後でしょう。

 CDの時代の終焉は間近ですが、私が音楽を聴くにはやはりCDが不可欠です。これからもCDを聴いていく予定ですし、このサイトの名称「An die Musik クラシックCD試聴記」も変更する予定はありません。むしろ、これからは手許に残したCD、これからまた購入するであろうCDをもっと大事に聴いていこうと思うのであります。

 

CD2015年2月8日(日):メンデルスゾーン

 「CD試聴記」に「メンデルスゾーンの交響曲第2番「賛歌」を聴く」を追加しました。比較試聴記を書くつもりでしたが、時間不足でギブアップです。


 先週は寒い1週間でした。外が寒いのはもちろん、家の中も強烈に寒かったです。私の部屋のガスのエアコンは、日曜日の朝に故障し、水曜日に奇跡的に直りました。ところが、その前日、火曜日に居間のガスエアコンが故障してしまいました。こちらは部品を取り替える程度ではどうにもなりませんでした。これには東京ガスの担当者も音を上げてしまい、完全にアウトです。東京ガスはエアコンの生産をとうの昔にやめているので、新しく入れるエアコンは電気エアコンにしました。ガスのエアコンは暖房の効き方が電気とは格段に違うので名残惜しいのですが致し方ありません。

 居間のエアコンが壊れている間は本当に寒かったです。朝ご飯を食べる時の室温を見ると5度です。よりによって寒波が押し寄せてきている時にエアコンが壊れてしまったのですから涙目です。エアコンなんて、スイッチをピッと押すだけで良くて、簡単に部屋が暖まるものだと私は思っていたのですが、それは実に有り難いことだったのですね。冷え切った部屋で朝ご飯を食べながら、暖房がいかにすごい文明の利器であるか身にしみて分かりました。私は、暖房がなかった時代の人たちはどんな生活をしていたんだろうとふと考え込みました。

 新しいエアコンが設置されたのは金曜日の夕方であります。嬉しい! 暖かいぞ! 予期せぬ出費でしたが、寒波には勝てません。ほっと一息ついた私でした。

 

CD2015年2月6日(金):ポリーニ

  CDの整理をしていたらポリーニのベートーヴェンが出てきたので、久しぶりに聴いてみました。

CDジャケット

ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 作品101
ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 作品106「ハンマークラヴィーア」
ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 作品109
ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 作品110
ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 作品111
ピアノ:マウリツィオ・ポリーニ
録音:1975年6月、ウィーン、ムジークフェラインザール(第28、29,32番)
   1977年、ミュンヘン、ヘルクレスザール(第30、31番)
DG(輸入盤 449 740-2)

 ポリーニは39年もかけてベートーヴェンのピアノ・ソナタを全曲録音しました。完成したのは昨年でした。完成間近だったので、私はここ10年ほど、ポリーニが後期ピアノ・ソナタ集を最後に再録音するのではという淡い期待を持ち続けました。「ワルトシュタイン」の再録音が前例としてあったためです。特に、第30番から第32番までの3曲は老成した音楽家としての演奏を是非聴きたいと願っていました。しかし、この期待は全集完成の報とともにが早々とボックス化されることでものの見事に打ち砕かれました。本当に残念であります。

 それはともかく、40年も前のポリーニは何と素晴らしい演奏をしているのでしょうか。私は第28番の千変万化する響きに魅了され、第30番の第3楽章の歌に耽溺し、第31番の第3楽章では悲歌とにフーガに心打たれ、第32番の悪魔的な響きと舞曲のようなアリエッタに時間を忘れます。そして、第29番「ハンマークラヴィーア」では第3楽章に心を激しく揺さぶられるのでした。まさに圧倒的な演奏です。

 私は若い頃からずっとポリーニのこの演奏を冷ややかに見てきたのですが、50を過ぎてやっと真価が分かったようであります。何度もこのCDを聴き、スピーカーから現実に出てくる音をこの耳で聴いていたのに、どうして今頃になって目から鱗が落ちるようにこの演奏が聞こえてくるんでしょうね。

 私は過去の自分を反省し、次のように言い切ってしまいます。

 ポリーニは正確無比なテクニックをもったピアニストとして知られていましたが、これはそのテクニックを最大限に生かした偉業です。「正確無比なテクニック」上等じゃないですか。そのテクニックがあったからこそこんな演奏ができたのです。全5曲を聴き終えて、私は「これ以上はない」と確信しました。それだからこそ再録音はないのですね。「無人島の1枚」です。

 

CD2015年2月1日(日):シューベルト

 「CD試聴記」に「シューベルトのピアノ三重奏曲第2番」を追加しました。私には自覚がなかったのですが、私はシューベルトが好きらしいです。そういえば、このホームページのタイトルも「An die Musik」ですものね。自分では気がつかないうちにすっかりシューベルトに浸っていたようです。


 今朝起きてみると、私の部屋のエアコンが故障していました。昨晩まで元気に作動していたのに。仕方なく、となりの部屋のエアコンで暖気を作り、それを私の部屋に取り込むようにしてみました。しかし、この寒波の中では限界があり、手先・足先がどんどん冷えてきます。夕方以降の冷え込みにはもはや耐えられなくなり、ついにデスクトップパソコン一式を机の上から撤去し、居間に移動させました。今度は快適です。今日の原稿は居間で書いているのですが、故障したと分かった時点でこうすれば良かったのですね。やせ我慢しても仕方がありません。エアコンの修理は部品がないので火曜日か水曜日になる模様です。その部品代が23,000円もするのだとか。私はそのお金でボックスセットをいくつ買えるだろうかなどと計算してしまうのですが、寒くてはCDどころではありません。馬鹿な考えを頭から振り払うのでした。

 

CD2015年1月30日(金):無人島の1枚

 「無人島に持っていくCD」もしくは「棺桶に入れるCD」というのが誰でもいくつかは思い浮かべられるでしょう。私の場合は何だろうとふと考えてみました。真っ先に思いついたのがクーベリックがDGに録音したスメタナの「わが祖国」でした。

CDジャケット

スメタナ
交響詩「わが祖国」
ラファエル・クーベリック指揮ボストン交響楽団
録音:1971年3月、ボストン、シンフォニー・ホール
DG(国内盤 UCCG-9514)

 クーベリックの「わが祖国」は私のCD棚に6種類の演奏があり、しかもマスタリングが異なるディスクまで置いてあります。その中でも1971年のDG盤は長く私が愛聴してきたもので、いったい何回これを聴いてきたか分かりません。そのため、しばらく耳にしていなくてもどのような演奏なのか、ほとんど隅々まで思い出せるほどです。

 しかし、よく考えてみると、それを「無人島の1枚」として真っ先に挙げるというのはまことに奇妙です。なぜなら、隅々まで演奏を覚えているような演奏なら、聴かなくてももいいということになるからです。なぜ聴かなくてもいいものをわざわざ無人島に持っていくのか。答えは簡単です。このCDが私の人生の一部になっているからです。隅々まで覚えるほど聴いたCDには私の人生の歩みがそのまま詰まっているような気がするのです。だから、いくら新しい録音が出てきたとしても、愛聴盤としての地位が揺らぐことはないのです。

 では、そのようなCDは、自分のCDラックの中にいったい何枚あるのでしょうか。気がついてみると、同曲異演盤を聴き比べするためだけに購入したCDがラックの中にひしめいています。それを見て、私はいよいよ複雑な気持ちになりました。

 私が無人島に持っていくCDは、もしかしたら、100枚もないかもしれません。いや、それどころではありません。50枚くらいかも。もっと少ない? だって、仮に今すぐリストを作れと言われても50枚を挙げることができないのです。なんだか恐るべき真実に気がついて、私は驚愕してしまいました。皆様はいかがですか?

 

CD2015年1月25日(日):シューベルトの「グレイト」

 久しぶりに「CD試聴記」を書いてみました。タイトルは「シューベルトの交響曲第9番(第8番)「グレイト」 を聴く」としました。いつの間にか「グレイト」は交響曲第9番ではなく、第8番になっているようですね。正しい表記を取り入れなくてはと焦ってタイトルをつけてはみたものの、手持ちのCDで交響曲第8番と明記してあるものはありませんでした。皆様のCDではどうなっていますか?

 

CD2015年1月23日(金):自分がどう思うか

  先日、最上一平著『銀のうさぎ』(1984年、新日本出版社)という本を手にして表紙をめくると、「著者のことば」が目に入ってきました。そこにこんなことばが書かれていました。

 失敗ばかりで、いつも笑われてばかりいる。やっぱりはずかしいし、くやしい。
けれど、自分がみとめてしまうまでは、まだ負けてはいない。

 著者である最上一平さんを私はよく知らないのですが、わずかこれだけの字数で多くのことを語っていますね。私はこのことばをしばらく噛みしめていました。人生不如意をまざまざと感じさせられるこの頃ですが、まだまだがんばるぞと決意を新たにしました。

 

CD2015年1月5日(月):トップページのデザイン変更

  昨晩この「What's New?」を更新した後、トップページのデザインを変更してみました。私の中ではこれがずっと懸案になっていました。新年のこの時期を逃すとまた1年手をつけられなくなると思い、えいやっと直してみました。CDのジャケット写真の位置を右側から左側に移したことと、「直近の更新でとりあげたCD」という場所を作り、そこへCDジャケット写真をいくつも並べたことが大きな変更点です。画面を調整していると切りがないので今回はこの程度にとどめておきます。我ながらどうにも垢抜けないデザインになってしまったのでもう少し手を加えたいところですが、これから折を見て少しずつ手を入れていくつもりです。

 

CD2015年1月4日(日):謹賀新年

 あけましておめでとうございます。

 年末年始は小学3年生の次女を連れて新潟県の苗場スキー場に行ってきました。苗場で私を驚かせたのは大量の雪でした。私がスキーを始めて以来、見たこともないような量の雪です。道路の両脇には雪の壁ができていて、自動車以外が通れる道がなくなっている場所が何ヵ所もありました。お陰で徒歩でどこかに行くのに難儀したほどです。次女は10分ちょっと歩く間に何度も雪に埋もれていました。年末年始には雪が少なくてスキー場も宿も悲鳴を上げる年だってあるのに、こんなに雪が降るのを目の当たりにすると、日本は氷河期に入っているのではないかと心底思います。無論、夏になると日本は熱帯の天候に変わっていると確信するわけですが。

 さて、今年最初のCDについて書いておきます。カラヤンのモーツァルトです。

CDジャケット

モーツァルト
交響曲第40番 ト短調 K.550
交響曲第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1959年3月、1962年5月、ウィーン
DECCA(国内盤 UCCD-7017)

 昨年はアーノンクールのモーツァルトに熱狂して終わりました。そんな人がカラヤンのモーツァルトを聴いて面白いのかという疑問もあるかもしれませんが、もちろん面白いです。それも、かなり面白いです。大オーケストラを起用し、レガート奏法で演奏するカラヤンのモーツァルトは今や完全に過去のものとなった感があります。しかし、それが何だというのか、と私は思います。

 交響曲第40番の颯爽とした明快な演奏や交響曲第41番の威風堂々とした豪華な演奏を聴くと、これこそカラヤンの演奏だと唸らざるを得ません。この演奏に対する文句を考えるよりも先に自分の身体がこれを受け入れてしまいます。何といっても痛快です。カラヤンには自分の頭の中に自分のやりたいことがはっきりとあって、それを音にできた人なのだとよく分かります。もしかしたら、カラヤンは現代に生きていても、これと同じ演奏をするかもしれません。カラヤンは周りに自分を合わせる気も、その必要もないのです。カラヤンは時代を作ってきた人なのですね。周囲の顔を窺いながら流行を取り入れた演奏をするのとは訳が違います。オーケストラの音も最高。1959年と62年の録音だというのに、最新録音よりずっと肉も血も骨もある音を聞かせてくれます。低弦の音が見事に捉えてあるのも嬉しい。だから、このCDは聴いていてこれ以上ない小気味よさを感じさせます。新年に聴くにはやはりこういう演奏が一番です。

 さあ、明日から現実に戻って頑張りましょう。

 

CD2014年12月29日(月):アーノンクール

 昨年の12月にこのホームページを再度立ち上げてからあっという間に1年が経ちました。その後、バリバリと更新したかったのですが、更新回数は数えるほどしかありませんでした。我ながら情けないです。誠に申し訳ありません。CDの購入枚数はこのところ激減しているとはいえ、それでもクラシック音楽は聴き続けています。CDを聴きながらこの次はこのCDについて書こうと心に思い浮かべたりしています。しかし、その時間が取れないまま年末を迎えてしまいました。今年はニールセンの交響曲に熱中し、シューマンの声楽曲(『楽園とペリ』『ファウストからの情景』)に耽溺し、最後にはモーツァルトのオペラと交響曲に浸っていました。2014年の思い出にモーツァルトの交響曲についてメモを書いておきます。

 モーツァルトの交響曲ではアーノンクールの再々録音が登場しましたね。

CDジャケット

モーツァルト
行進曲第1番 ニ長調 K.335(K.320A)
セレナード ニ長調 K.320『ポストホルン・セレナード』
交響曲第35番 ニ長調 K.385『ハフナー』
ニコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
録音:2012年6月9,10日、12月1,2日、ウィーン・ムジークフェラインザール
SONY(輸入盤 88883720682)


CDジャケット

モーツァルト
交響曲第39番 変ホ長調 K.543
交響曲第40番 ト短調 K.550
交響曲第41番 ハ長調 K.551『ジュピター』
ニコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
録音:2012年10月12-14日(第39番、第41番)、12月1,2日(第40番)、ウィーン・ムジークフェラインザール
SONY(輸入盤 88843026352)

 アーノンクールは1980年代初頭にコンセルトヘボウ管と後期交響曲を録音した後、そのちょうど10年後にヨーロッパ室内管とも録音をしていました。

 コンセルトヘボウ管との録音は今聴いてもなお刺激的で、オーケストラの技量も申し分ない上に、音まで良く、アーノンクール節を十分楽しめます。極端なフォルテなどは何度聴いても痛快であります。刺激的というより、昔はそれこそ革命的でさえありました。それ故に、コンセルトヘボウ管盤はアーノンクールのファンを作った可能性もありますが、アンチ・アーノンクールも大量に作ったに違いありません。私も昔大嫌いでした。

 その後のヨーロッパ室内管との演奏はさらにすごい。激越さの点でコンセルトヘボウ管盤を遙かに上回るものでした。ヨーロッパ室内管盤を聴くと、コンセルトヘボウ管との録音時にはアーノンクールはまだまだオーケストラに遠慮でもしていたように感じられてきます。ヨーロッパ室内管はアーノンクールの手足となって大暴れです。聴き慣れないフレーズが頻出します。さすがにもう慣れてきましたが、アーノンクールの繰り出す「今のは何だ?」的なフレーズに私は驚き、呆れ、喜んだものです。それだけに、これでアーノンクールは満足していたのだろうと私は思っていたのですが、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスとの最新盤(2012-2013年録音)は私を驚嘆させました。ヨーロッパ室内管盤ともまた違う演奏を聴かせているからです。アーノンクールは人を驚嘆させ足りなかったのですね。金管楽器の強奏やティンパニの強打など、基本は変わらずともまた一段と先鋭化しています。さらに、音の美しさを必ずしも追求していない点で画期的です。汚い音を意図的に作り込んでいます。さすがにアーノンクールも、こんな演奏は1980年代のコンセルトヘボウ管相手にはできなかったでしょう。古巣のウィーン・コンツェントゥス・ムジクスだからこそアーノンクールのやりたいことが実現し尽くされたのかもしれません。お陰で私は「ハフナー」の激烈さに改めて満足し、「ジュピター」の光り輝かんばかりの神々しさ・大きさに浸ることができました。この指揮者には老化という言葉がまるで似合いませんね。男子たる者、アーノンクールのように歳を取りたいものだと思わずにはいられません。

 私の中ではずっといろいろなことが渦巻いています。人に言えないことばかりなのですが、そんな中でも音楽は私にとって大きな慰めであります。美しい曲の優れた演奏を聴くことができるのはそれだけで嬉しいものです。来年もすばらしい音楽、すばらしい演奏に出会えることを期待して今年の更新を終了します。

 

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An die MusikクラシックCD試聴記