ポリーニのベートーヴェンを聴く

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■ 前編 「熱情」

CDジャケット

ベートーヴェン
ピアノソナタ第22番 ヘ長調 作品54
ピアノソナタ第23番 ヘ短調 作品57「熱情」
ピアノソナタ第24番 嬰ヘ長調 作品78
ピアノソナタ第27番 ホ短調 作品90
ピアノ:ポリーニ
録音:2002年6月、ミュンヘン
DG(国内盤 UCCG-1143)

国内盤付録CD

1.ベートーヴェン

ピアノソナタ第24番
ピアノソナタ第23番 ヘ短調 作品57「熱情」
録音:2002年6月、ウィーン、ムジークフェラインにおけるライブ

2.マウリツィオ・ポリーニ・インタビュー


 

 ポリーニは今どのような評価をされているのだろうか。これだけ著名なピアニストになると周囲の評価が厳しくなって、本当はすごい高みにいるにもかかわらず、それを正当に評価されないなどという事態が起こりそうだ。私の知人にも、「ポリーニは老いてしまい、技巧的にもかつての輝きを失ってしまった。」という人がいる。ポリーニだって人間だから、そのキャリアのどこかで「輝きを失う」時があったかもしれないが、本当だろうか?

 このCDで聴く「熱情」はどうなのか。

 「輝きを失う」どころの話ではない。これは非常にスケールが大きい、重量級のベートーヴェンだ。それも、辺りを払うがごとき威容を誇る。重量級でありながらもピアノの響きはきらめいていてまばゆいばかりだ。第3楽章は手に汗を握り、プレストからは荘厳でさえある。私は完全に圧倒された。ポリーニのピアノは確信に満ち、これ以外の演奏をリスナーの頭から完全に追い出すことができる。「熱情」を聴き終えたとき、猛烈なアルペジオの響きとともに、頭に残るのはベートーヴェンの音楽の、最も完成された演奏の形である。

 面白いのは、この本編に収録された「熱情」が、ミュンヘンにおけるいわゆるスタジオ録音であることだ。国内盤にはウィーンのムジークフェラインザールにおけるライブ録音、しかも同じ月内における録音が収録されている。両者の基本的な演奏スタイルは変わらない。ピアノ演奏に詳しい人が聴けば二つの演奏に大きな差異をいくらでも探すことが可能だろうが、私は基本的に同じだと思う。違うのはライブ録音に会場のノイズがたんまり入っていることと、音の粒だちがスタジオ録音の方がきれいに収録されていることくらいだと思っている。

 何が言いたいのかというと、ポリーニはライブ録音と同じ集中力と燃焼度で「熱情」を弾き切っていることである。

 このライブ録音が聴けるのは国内盤においてだけだと思われるが、ある意味では当然だろう。スタジオ録音は音楽家の演奏をどれだけ表しているのか疑問に思うことが私も多々ある。しかし、今回ばかりはポリーニが録音にどれだけ真剣に取り組んでいるかということが明確に伝わってくる。

 ポリーニへのインタビューによれば、ベートーヴェンの後期ピアノソナタ集も再録音されるという。ここで初めて書くが、私は1970年代に収録された有名なあの後期ソナタ録音を愛聴したことがない。しかし、この「熱情」を聴いた今では期待せずにはいられない。

(2004年12月18日)

 

■ 余談

 

何に対する熱情か?

(2004年12月19日)

 

■ 後編 「ワルトシュタイン」

CDジャケット
1988年録音盤

ベートーヴェン
ピアノソナタ第17番 ニ短調 作品31-2「テンペスト」
ピアノソナタ第21番 ハ長調 作品53「ワルトシュタイン」
ピアノソナタ第25番 ト長調 作品79
ピアノソナタ第26番 変ホ長調 作品81a「告別」
ピアノ:ポリーニ
録音:1988年6月、ミュンヘン、ヘルクレスザール
DG(国内盤 UCCG-7069)

 

 この国内盤のライナー・ノーツには近藤憲一氏によるポリーニ紹介文が掲載されている。曰く、「・・・以来現在まで、ポリーニを超える超人ピアニストは全く出現していない、と評しても過言ではない」。

 この「ワルトシュタイン」を聴くと、「超人ピアニスト」という大げさな表現もあながち誇張ではないと感じる。私はCDを何回も繰り返し聴いたが、これこそ超人的な演奏だと思う。磨き抜かれたピアノの音、寸分の隙もない音楽の流れ、ダイナミックな表現。ピアノを極限まで使い切って音楽表現をしているように聞こえる。

 演奏に当たって、ポリーニは音符のひとつひとつの意味を考えつくし、それをそのまま完璧なテクニックで現実の音にしているようだ。それは「練られた」というレベルを通り越していて、あたかも石板に刻み込んだかのような明晰さを持っている。確信に満ちた演奏に疑念を挟み込む余地がない。多分ポリーニは知能の高い人なのではないかと思う。もともと理論的な構築性の高い曲なのだろうが、ポリーニの手にかかると壮麗な建造物になる。

 音質的にも申し分なく、これだけの演奏がデジタル録音で収録され、後世に残されることは実にすばらしい。まず間違いなく、「ワルトシュタイン」の規範的な演奏のひとつといえる。これを超える演奏は、超人ピアニストが現れなければまず実現できないと思われる。

 ところが、これをあっけなく乗り越える演奏が出現している。他ならぬポリーニ自身の演奏で、しかもポリーニはそれをライブ録音で世に問うた。

CDジャケット
1997年録音盤
(ライブ)

ベートーヴェン
ピアノソナタ第11番 変ロ長調 作品22
ピアノソナタ第12番 変イ長調 作品26
ピアノソナタ第21番 ハ長調 作品53「ワルトシュタイン」
ピアノ:ポリーニ
録音:第11,12番=1997年1月、第21番=1997年2月、ウィーン、ムジークフェラインザール
DG(輸入盤 435 472-2)

 

 旧盤は1988年録音で、新盤は1997年録音である。この間にポリーニは一皮むけたというか、別人になっている。同じ曲を演奏しているにもかかわらず、その曲が一段も二段も高いところに昇華されている。この演奏を聴いて、「ワルトシュタイン」という曲に対する認識を新たにする人が多いのではないだろうか。

 特に第1楽章の演奏はすさまじい。レコードショップの誇大な売り文句ではないが、度肝を抜かれる。ポリーニは第1主題及びそれに付随するフレーズを目もくらむようなスピードで弾ききっている。そのスリリングさは筆舌に尽くしがたい。このようなタイプの演奏は過去にあったのだろうか? 第1楽章をアップテンポで駆け抜けているグルダの演奏とも違う。ポリーニの演奏はグルダとは異なりあくまでも重量級なのである。これほど強靱さを感じさせながらハイスピードで演奏を繰り広げ、それが全く自然な音楽の流れに聞こえるのである。演奏のダイナミズムも激しく、音楽が巨大な奔流のようになっていく。

 演奏のデータを見るとさらに驚く。第1楽章の演奏時間は旧盤では9分58秒、新盤では9分59秒で、何と新盤の方が1秒長いことになっている! 物理的なデータが聴感と一致していない。これはどういうことなのか。猛烈なアップテンポに聞こえるが、それ一本槍で突き進んでいるのではないのだ。演奏は第2楽章ももちろん違う。導入部は旧盤に比べればややあっさりしているが、ロンドに入って演奏はどんどんスケールを増してきて広大な海原を連想させる。「ワルトシュタイン」にこれほどの演奏解釈の余地が残っていたことと、それを音として我々に聴かせるポリーニという天才に驚くばかりだ。

 ところで、こうしたスリリングで白熱した演奏ができたのは、ライブだからなのだろうか? 「ライブだからこそ」とか、「ライブならでは」という言葉がどこかから飛んできそうだが、私はライブだからこうした演奏になったとは考えていないのである。ポリーニという真摯な演奏家はおそらくスタジオ録音であろうがライブであろうが、自分の考えた音楽作りを自分のテクニックで完璧に実現できる人であり、スタジオだから燃えない、などということがあまりないのではないかと私は考えている。

 であれば、ポリーニが再録音をリリースしたのは、たまたまライブでいい演奏が収録できたからなのではなく、ポリーニの「ワルトシュタイン」に対する解釈が大きく変わったからだと考えるべきだろう。そして、スタジオで録音しても、これと同レベルかそれに近い驚異的な演奏をすることができただろうが、より自然な音楽の流れを重視してライブ録音をリリースしたのではないかと私は考えている。事実はどうなのか分からないが、「熱情」のケースを思い出すとそう考えたくなる。

 それにしても、音楽家の円熟とは何とすばらしいことであろうか。クラシック音楽の世界で「円熟」とは音楽家が年老いてきてテンポが少しずつ遅くなってきたり、それこそ丸くなってきたりすることの婉曲的表現なのだろうと私は皮肉的に認識していたのだが、全く違う。ポリーニは高齢にさしかかりつつあるのに、その音楽表現に先鋭さを失わない。というより先端を走り続けているようだ。こういう演奏家に私は畏敬の念を覚える。

(2004年12月21日)

 

■ ご参考

 

ポリーニの「ワルトシュタインソナタ考」 ―伊東さまの試聴記を契機として―
文:松本武巳さん

(2004年12月23日)

 

(2004年12月18-21日、An die MusikクラシックCD試聴記)