シューベルトのピアノ三重奏曲第2番を聴く

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CDジャケット

シューベルト
ピアノ三重奏曲第2番 変ホ長調 作品100 D929

  • ピアノ:アルトゥール・ルービンシュタイン
  • バイオリン:ヘンリク・シェリング
  • チェロ:ピエール・フルニエ

録音:1974年4月13-19日、ジュネーブ、ヴィクトリア・ホール
RCA(国内盤 BVCC-35073)

カップリングはブラームスのピアノ三重奏曲第3番

 私は自分の棺桶にCDを入れることを望みませんが、私が死ぬまでにはもっと繰り返して聴きたいと思うCDはあります。例えば、ルービンシュタインによるシューベルトのピアノ三重奏曲第2番です。

 シューマンはこの曲を「能動的で男性的、かつドラマティック」と評したそうです。確かに、この曲は力強く開始されますし、ピアノ五重奏曲「ます」にも通じるシューベルトらしい歌謡性に富んでいます。家庭で楽しめる娯楽作品として作曲されたのでしょうから、シューベルトらしい旋律線を楽しみながら聴くのが正しいでしょう。ただし、この曲はそれだけではないのです。私はシューマンとは別の聴き方をしてしまうのです。

 ピアノ三重奏曲第1番と違って、この曲には陰影があるのです。人が今は失った過去の幸福を回顧して遠くを見つめているようなフレーズが軽快で優美な音楽の中に何気なく散りばめられているのであります。第1楽章にそれが顕著で、私はドキッとしながら、あるいは切ない思いをしながらこの曲を聴くのです。過去の自分がどれほど恵まれていて、どれほどの幸福に浸っていたのかをこの曲は私に思い出させてくれるのです。ピアノソナタ第21番のように、未来を感じさせるわけでも永遠を感じさせるわけでもありません。ひたすら過去を向いた曲に思えます。それも、失った幸福を思い出させるという実にやるせない曲なのです。第2楽章は全体が懐古調です。第3楽章スケルツォを挟んで第4楽章は力強く、明るい曲になっているのですが、その中にも第2楽章の主題が回想されるなど、最後まで過去を向くシーンに事欠きません。

 若い頃の私は、こんな曲を聴いてセンチメンタルになってはいけない、シューベルトは甘すぎる、などと本気で思っていたのですが、私も歳を取ったのです。50歳を超えて、髪の毛もすっかり寂しくなり、体力も明らかになくなりました。度重なる足の怪我でいくつかのスポーツは諦めました。また、家族がずっと家族のままいられるわけではなく、別離もあることも知りました。さらに、人生は決して平坦ではなく、自分にだけは起きないだろうとをくくっていたような事件が次から次へと我が身に降りかかってくることもよく分かりました。そんな男がこの曲を聴くと、まるで自分の人生を表しているように思えてくるのです。これをシューベルトは30歳をちょっと超えた時に書いたわけです。どうしてそんな若者がそんな人生の機微を知っていたのでしょうか。

 この曲が好きなのでCDも数多く集めました。そして、落胆もしました。この曲はルービンシュタイン盤で約45分かけているように、やや長いのです。それをルービンシュタインのように緩みを感じさせずに演奏することが難しいらしいのです。リピートをするかどうかの問題ではなくて、リピートをしなくても、緩んだ演奏はどうにもなりません。著名な演奏家が録音したものもありますが、完全に間延びしていることが少なくありません。そうなると、この曲は台無しです。本当にこの曲が好きで録音したのだろうかと疑問に思うことしきりです。あのブレンデルの録音がないことは本当に悔やまれます。

 ルービンシュタイン盤は大家たちによる夢の共演です。だからといって良い演奏ができるわけではないのですが、これはルービンシュタインのリーダシップが強く発揮されたのか、シューベルトの精髄を見るような名演奏になっています。録音後40年も経っているのに、この演奏に比肩する録音がほとんど現れていません。もっとも、そうした演奏が現れなくても私は構いません。私は死ぬまでこの演奏を聴き続けることができるのですから。

 

(2015年2月1日、An die MusikクラシックCD試聴記)