An die Musik 開設7周年記念 「大作曲家7人の交響曲第7番を聴く」

ショスタコーヴィチ篇
バルシャイ指揮WDR響(ケルン放送響)

文:みっちさん

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CDジャケット

交響曲第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」
ルドルフ・バルシャイ指揮WDR交響楽団(ケルン放送交響楽団)
録音:1992年9月、ケルン・フィルハーモニーにおけるスタジオ録音
Brilliant Classics (輸入盤 634/4)

 

 このCDは、「激安ボックスセット」として評判になったショスタコーヴィチ交響曲全集の1枚です。私自身、これ以降、CD購入は廉価盤中心となり、メジャーレーベルのレギュラー盤を買うことがほとんどなくなった、そのきっかけとなったものです。各曲の演奏に耳を通したのは1回程度で、聴き込んだとは到底いえない状態ですが、なかでも第7番は優れたものだと感じていました。

 私のショスタコーヴィチ体験は、コンドラシンが交響曲録音を出し始めたころから始まり、第7番もコンドラシン盤で曲を知りました。当時は、コンドラシンの表現もあいまってのことと思いますが、ショスタコーヴィチのスラップスティック的というか、どこに連れて行かれるかわからないような異様な昂奮にかられる音楽が刺激的で、面白く感じていました。いまでも比較的よく聴くのは、6番、9番あたりで、この好みはあまり変わっていません。声楽入りのものや、重く激しいものは敬遠気味で、第7番もCDでは持っていませんでした。激安ボックスになっていなければ、買うことはなかったかもしれません。

 今回、あらためて聴き直しましたが、以前の印象を再確認しました。バルシャイ盤は、ひとことでいえば、純音楽的演奏です。さらに誤解を恐れずにいえば、室内楽的演奏といってもよいと思います。これは、音響的に迫力がないということではありません。むしろ迫力は相当なものです。ケルン放送響は高水準で、弦は美しいだけでなく、金管の強奏にも負けない強さを持っています。木管のモノローグなどのソロもうまくて表情豊かです。金管は、ぎらつかない、重心の低い音色で、表出力が見事です。フォンク指揮のシューマン交響曲全集(この曲のマイベスト)で理想的な響きだと感じたオーケストラは、ここでも健在です。録音も適度な残響を伴って大編成をよくとらえており、音響的な快感も得られます。しかし、圧倒的な音量のもとでも、アンサンブルが整然さを崩すことはありません。音楽が標題的に激しく高揚するような部分でも、バルシャイは徹底して様式的な美しさを打ち出そうとしているようです。仮に、この曲に対して浴びせられることのある「緊密な構成を欠く」との批判にも十分に耐えられる演奏をめざしているのだとしたら、それは達成されていると思います。

 多少曲の進行に沿って記述すると、第1楽章の冒頭「人間の主題」から、ごくあっさりした表現で淡々と進む印象ですが、オケの響きが立体的なので、平板な感じはあまりしません。とくにヴァイオリンによる第2主題はきれいで、心に残ります。「戦争の主題」による部分では、なにか異常なものが迫ってくる、というような標題性よりも、むしろ弦の弱音のピチカートなど細部の美しさが印象的だったりします。やがてもたらされるクライマックスも、破壊的なものというより、音色や音量バランスを緻密に計算して練り上げられたものとして響きます。第2楽章は、典雅で整然とした進行です。第3楽章では、弦による主部は非常に美しいのですが、痛切さは薄めです。両楽章とも中間部での金管楽器の噴出は威力十分ですが、暴力的な要素はありません。終楽章は前半部の緊迫感がいまひとつですが、後半の高揚は十分圧倒的で、大音量の快感もたっぷり味わえます。

 バルシャイは『レコード芸術』のインタビューだったかと思いますが、ショスタコーヴィチの交響曲の「二面性」について語っていまして、おそらくはこの演奏でも、音楽が興奮の極地にあっても、その一方で冷静な作曲者の存在を意識しているのではないかと思います。ショスタコーヴィチの解釈をめぐっては、いわゆる「証言」をめぐっていろんな立場があるようですが、バルシャイは基本的に「証言」を肯定しているのだろうと思います。別のいい方をすれば、バルシャイはショスタコーヴィチの音楽を対象化し、主観に没入したりデフォルメすることなく、ありのままに再現しようとしたということなのかもしれません。ただ、演奏する側の理屈はいろいろあるでしょうが、聴く者にとってそもそも音楽とは、その美しさに陶然としたり、圧倒的音響に興奮したり、醒めた客観性を離れて感動し、夢中になるものではないのか、との疑問もぬぐいきれないのです。でもひょっとするとこれは、私自身がコンドラシンの「刷り込み」から脱しきれていないということなのかもしれません。そういう、いろんな意味で、ショスタコーヴィチ演奏を代表する1枚ではないかと感じます。

 

(2005年11月20日、An die MusikクラシックCD試聴記)