An die Musik 開設8周年記念 「大作曲家の交響曲第8番を聴く」

ドヴォルザーク篇

文:伊東

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 クラシック音楽をほとんど聴かない我が家の女房をも虜にするドヴォルザークの交響曲第8番、通称「どぼっぱち」。木管楽器、金管楽器、打楽器、弦楽器がそれぞれ活躍し、どこかのパートが陰に隠れることがないというすばらしい曲です。もし私がオーケストラの団員であったら、演奏してみたい曲の筆頭です。

 この曲の魅力は、飾り気のないボヘミアの旋律です。この曲にはいつも特別な地域性を感じます。そのボヘミアのイメージは、ドヴォルザークが我々に植え付けたイメージだと思って間違いないでしょうが、私が勝手に「ボヘミアだ」と思い込んでいるだけなのかもしれません。悪影響がある幻想とは思えませんから、それはそれで結構でしょう。

 この名曲には夥しい名録音があります。この曲も古くから大指揮者が腕によりをかけて演奏をしてきたわけですね。私の好きな演奏にはカラヤンやセルの新旧両盤がありますが、いずれもAn die Musik上で取りあげています。今回は私の愛聴盤であるジュリーニ盤、それもロイヤル・コンセルトヘボウ管盤を取りあげたいと思っています。この曲のスタンダードとして認められることは将来的にもまずありえない録音でしょうが、必聴の名演奏です。

 ところが、ジュリーニの「どぼっぱち」は他にもあるのです。私の手元には1962年にフィルハーモニア管と録音したEMI盤、1978年にシカゴ響と録音したDG盤があります。私は学者ではないのでもっと他にもあるのかどうか知らないのですが、少なくとも3種類はあるわけですね。しかも、それぞれ個性があって面白いのです。

 まずは演奏時間を見てみます。

 
フィルハーモニア管
1962年
シカゴ響
1978年
コンセルトヘボウ管
1990年
第1楽章
10.11
10.48
11.17
第2楽章
10.57
11.25
11.38
第3楽章
6.55
6.48
7.17
第4楽章
10.03
10.38
11.34

 では、究極の「カンタービレ」男であったジュリーニの奇跡を辿って見ます。

CDジャケット

ドヴォルザーク
交響曲第7番 ニ短調 作品70
交響曲第8番 ト長調 作品88
交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界から」
「謝肉祭」 序曲作品92、スケルツォ・カプリチオーソ作品66
ジュリーニ指揮フィルハーモニア管(「謝肉祭」と「ロンド・カプリチオーソ」はロンドンフィル)
録音:交響曲第7番:1976年4月、交響曲第8番:1962年1,4月交響曲第9番:1962年4月
いずれもロンドン、キングスウェイ・ホール
EMI(輸入盤 5 68028 2)

 この録音が行われたのはジュリーニ48歳のときです。既に名指揮者としてその名を知られていたのですが、ウォルター・レッグによれば、レパートリーが少ないという欠点を抱えていました。そのジュリーニの数少ないレパートリーにドヴォルザークが入っているのは何とも嬉しい限りです。

 この録音は私のCD棚の奥に眠っていたものです。買ってきた私自身が気にもとめていなかった録音なのですが、ふと聴いてみるとこれがすばらしい。この曲のかっこいい聴かせどころをことごとく決めています。テンポも第1楽章の終結部で畳みかけるように終わるなど、生気溌剌とした躍動感に満ちた演奏が楽しめます。そして何よりも、ここぞというときにはカンタービレで演奏するところにジュリーニらしいところが窺えます。

 なお、この録音に私は非常に好感を持っています。1962年の録音ですが、いかにもアナログという感じがします。ジュリーニの3つの録音の中では最も古いのですが、おそらくは毀誉褒貶の激しいEMI録音の中ではかなり聴きやすく、バランスが良く取れた音と言えるでしょう。CDに刻まれた音の善し悪しは年代とは直接に関係がないようです。

CDジャケット

ドヴォルザーク
交響曲第8番 ト長調 作品88
シューベルト
交響曲第4番 ハ短調 D.417「悲劇的」
ジュリーニ指揮シカゴ響
録音:交響曲第7番:1978年3月、シカゴ
DG(国内盤 UCCG-3968)

 EMI盤から16年も経ってからの再録音です。テンポは数値上よりもずっと遅くなったように感じられます。この頃、ジュリーニは盛んに名曲を、それも大作曲家の交響曲第9番を録音しています。ジュリーニ最大のヒットは、シカゴ響を指揮したマーラーの交響曲第9番(DG、1976年録音)だと私は思っていますが、そうした充実期に録音されたこのドヴォルザークも名盤の誉れが高いようです。

 ジュリーニはここでシカゴ響の強力な金管をおそらくはかなり抑えていると思われますが、それでも目立って仕方がないのがこの録音です。ゆったりとしたテンポの上に、低い重心の、重厚で分厚いサウンドが聴かれます。この点がこの録音の評価の分かれ目です。この演奏にはボヘミア色は片鱗もありません。一方、交響曲はこのように格調高く、重厚に演奏すべきであるという考えに立てば、これほどの名盤はありません。ジュリーニの演奏は厳つくて、極めて交響的です。が、悪く言えば無国籍料理で、ドヴォルザークらしくないと私は思っています。ここは好みの問題でしょう。

CDジャケット

ドヴォルザーク
交響曲第8番 ト長調 作品88
ラヴェル
組曲「マ・メール・ロワ」
ジュリーニ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管
録音:交響曲第8番:1990年12月13、14日 「マ・メール・ロワ」:1989年11月23,24日、アムステルダム、コンセルトヘボウ
SONY(国内盤 SRCR 2015)

 ジュリーニはさらに12年後に再録音します。そして、その演奏が、彼の過去のどの演奏とも、さらに他のどの指揮者による演奏とも完全に違う独特の存在感を備えていることに注目されます。ジュリーニ晩年の面目躍如たる演奏です。

 テンポはシカゴ響盤よりも遅くなり、通常の聴き手がドヴォルザークらしさと考える小気味よさがここでは否定されています。このCDを聴く人の多くは、あまりに遅いテンポに嫌気がして、最後まで聴けない可能性があります。第3楽章の出だしを聴くと、これが「どぼっぱち」なのかと疑いたくなるでしょう。

 私はオーケストラがよくこのスローテンポについてきていると感心するのですが、その音のすばらしさは筆舌に尽くしがたいものがあります。テンポが遅くなった分、オーケストラは極限的なカンタービレの世界に突入しています。私はスピーカーから出てくる音に聴き惚れ、陶然となります。しかも、音楽には緩みが感じらません。この演奏にかけるオーケストラの集中力が非常なものであったことが窺えます。スローテンポであるという理由だけでこの演奏を拒絶するにはもったいなさ過ぎます。

 この演奏も、ボヘミア的であるとは言えません。ただし、無国籍であるとは思えません。私は最高に洗練されたヨーロッパの音を感じます。このような音、そして音楽は他のどの演奏にも求められません。ジュリーニ同様に誰かがスローテンポで演奏したとしても、多分同じようにはならないと思います。1990年という特定の時期にジュリーニという稀代のカンタービレ指揮者がいて、ロイヤル・コンセルトヘボウ管という名器があり、コンセルトヘボウという会場があったこと。さらに、その演奏を録音しようとしたプロデューサーがいて、それを可能な限り美しい状態で録音できるスタッフがいたこと。こうした数々の条件が全て揃って初めて可能になったのだと思います。

 もしこの録音がなければ、ジュリーニの指揮者としての評価はかなり違っていたのではないかと私は思っています。他のどの指揮者もこうしたスタイルの演奏をしていませんが、ジュリーニは62年の録音で、おおよそありがちな「どぼっぱち」の演奏スタイルを追求した後は、演奏のスタイルを変貌させていきます。その結果がコンセルトヘボウ管との録音に聴かれる世界になるわけですが、音楽とは人間が生み出すものであり、演奏する人間の成熟や成長がこのように反映されるものなのですね。

 

(2006年11月11日、An die MusikクラシックCD試聴記)