An die Musik 開設8周年記念 「大作曲家の交響曲第8番を聴く」

ショスタコーヴィチ篇

文:伊東

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 かつて私はムラヴィンスキー指揮レニングラードフィルの演奏(BBC LEGENDS、1960年録音)についての試聴記の中でこの曲をどのように感じているかをつらつらと書いたことがありますが、もう一つショスタコーヴィチの音楽について書き記したいことがあります。

 それはショスタコーヴィチの音楽を*できれば*政治から切り離して鑑賞したいということです。ショスタコーヴィチが旧ソヴィエト連邦という激しく抑圧的な体制のもとで生き、その間には第2次世界大戦という極限的な状況にも曝されていたことを考えると、その音楽を政治から完全に切り離すことにはどうしても無理があり、かえって正確な理解を阻みかねないことは十分理解しています。

 しかし、いつも解説を読んでいて私は気が滅入ってきます。活字がなければ楽しめない、鑑賞できない音楽などないと私は思います。また、ショスタコーヴィチの音楽は、歴史的・政治的な知識がなくても、聴き手の心を捉えて放さない魅力を持っていると思います。

 ショスタコーヴィチの音楽は、破壊的であり、暴力的であり、諧謔的であり、絶望的であり、厭世的であるなど、およそ通常の音楽の楽しみから外れた要素を持っていますが、叙情的であり、ロマンチックであり、詠嘆的であり、感傷的であり、そして爆発的であって、それら様々な要素が複雑に絡み合ってできています。言うなれば、ありとあらゆるものが音になってショスタコーヴィチの交響曲に内在します。その音には、解説不要の圧倒的な訴求力があるのです。おそらくあと100年後の聴衆は、政治面を切り離し、ほぼ純粋にショスタコーヴィチの音楽を楽しむことができるのではないかと私は考えています。

 この曲の録音には、ロシアのオーケストラか、ロシア出身の指揮者によるものが目立ちます。それらはもしかしたらショスタコーヴィチが作曲時に想定していた独特の響きを聞かせてくれるものかもしれませんし、ロシア人ならではの特別な譜読みが反映されたものであるかもしれません。音響的にも興味深い録音はあります。

 しかし、私はもう少しニュートラルにこの曲を聴きたいと考えることがあります。そうした私に最もしっくりくる演奏はハイティンク指揮コンセルトヘボウ管による録音です。

CDジャケット

ショスタコーヴィチ
交響曲第8番 作品65
ハイティンク指揮コンセルトヘボウ管
録音:1982年12月、アムステルダム、コンセルトヘボウ
DECCA(国内盤 FOOL-29050/62)

 これは有名な全集に含まれている演奏です。ハイティンクは1977年に全集録音に着手しました。まず交響曲第10番をロンドンフィルと録音し、1984年には交響曲第13番「バビ・ヤール」をコンセルトヘボウ管と録音して完結させました。丁度その頃、ハイティンクは少しずつ巨匠の道を歩み始めていました。ご多分に漏れず、このショスタコーヴィチが登場するまで私もハイティンクはあまり面白みのない指揮者だとさほど評価してこなかったのですが、ショスタコーヴィチの長大な音楽が不思議にもこの実直そうな指揮者の波長とぴったり符合したのですね。その指揮者と、手兵であり、最高のオーケストラのひとつであるコンセルトヘボウ管が音楽的に純度と密度の高い演奏を生み出すに至ったわけです。録音がDECCAだったことも幸いしたと私は思っています。ショスタコーヴィチの音響は、DECCAにうってつけという感じがします。ハイティンクのショスタコーヴィチは何度も形を変えて再発されていますが、既に普遍的な価値を持つ全集と認められているのかもしれません。

 交響曲第8番はコンセルトヘボウ管を起用して録音されています。最大の魅力は、オーケストラのアンサンブルを徹底して楽しめることにあります。仮にこれがいくつものセッションを経由して作られたパッチワークであったとしても、このような高度なアンサンブルと、洗練された音を聴ける録音は貴重だと私は思います。ハイティンクは真正面から地味に音楽に取り組みます。それを名器コンセルトヘボウ管がこれ以上は容易に望むことのできないアンサンブルで表現し、聴き手を楽しませてくれます。暗く、陰鬱な部分が延々と続く交響曲第8番の、どの瞬間を取ってみても、比類のない美しさを垣間見ることができます。これはある意味で究極のエンターテイメントと言えるでしょう。

 ハイティンクは交響曲全集を数多く作りましたが、ショスタコーヴィチについては再録音するのでしょうか。既に録音時から20年以上が経過していますから、今の彼であればもっと深い感銘を与える演奏を実現してくれそうです。が、現在の最新録音と比較しても全く遜色のない録音を含めて、交響曲全15曲をロンドンフィルやコンセルトヘボウ管による演奏と同等かそれ以上に仕上げて再度世に問うのは、さしものハイティンクにしても難儀なのではないかと私は考えています。

 

(2006年11月20日、An die MusikクラシックCD試聴記)