An die Musik 開設9周年記念 「大作曲家の交響曲第9番を聴く」

マーラー篇

文:ゆきのじょうさん

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CDジャケット

マーラー
交響曲第9番
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー
録音:1979年11月、1980年2月、ベルリン
独DG(輸入盤 453040)

 

■ 伝説

 

 まったくの私見として一言でこのディスクを表現するのなら、「クラシック音楽において最後の伝説を遺した録音」だと思います。その前に事実としては、このようになります。

 1979年10月 バーンスタインは生涯ただ一度だけベルリン・フィルを指揮して、マーラーの第9の演奏会を行った。

 1982年9月 カラヤンはベルリン・フィルとマーラーの第9をライブ収録したデジタル録音として、再度世に出した。

 私が知る限り、ここに以下のような「伝説」が散りばめられています。

  • カラヤンは一度も演奏もリハーサルもしていなかったのに、10月のバーンスタインの演奏会の後の11月に録音セッションの予定を組んでいた。
  • マーラーの第9のパート譜には既にカラヤンの指示が書き込まれていた。
  • バーンスタインは、自分の解釈をオケに徹底させるのに手間取った。オケとの関係は険悪なものとなり、リハーサルは第二楽章くらいまでしか出来ず、後半の二楽章はぶっつけ本番であった。
  • バーンスタイン指揮の演奏会は二回行われたが、収録されたのは最初の一回だけで二回目の演奏会の録音は何故か残っていない。収録された録音もカラヤンの生前には世に出すことは許可されなかった。
  • このような経緯から、カラヤンは最初からバーンスタインにこの曲の練習指揮者としての役割を担わせたのである。
  • その後、演奏会でカラヤンはこの曲を何度も採り上げている。自分の解釈を徹底させた後、ライブ収録という形式で再録音をした。
  • カラヤンとベルリン・フィルは、その後アメリカ・ツアーで、アメリカ人指揮者としてのバーンスタインの牙城とも言えるカーネギー・ホールで、この曲を演奏し、その後は一度も演奏することはなかった。つまり、カラヤンはバーンスタインに報復して、この曲を演奏することが終わったのである。

    云々

 これらの伝説の真偽は不明です。しかし、その伝説がどうであれ、このディスクは私にとっては人生の分岐点で出会った演奏と言ってもよい存在なのです。

 

■ 喪失

 

  この演奏がLPで発売された頃、大学生であった私はマーラーの第9番を、このカラヤン盤で知るところになりました。さて、このカラヤン盤を一度聴いて、不気味な、滅びの音楽だと思いました。上記の伝説を当時私は一つも知りませんでした。バーンスタインがベルリン・フィルを指揮した演奏会のライブ録音もFMで聴きましたが、目の前のレコードと関連づけることは何一つ思い浮かばなかったのです。

 1年も経たないうちに私を取り巻く環境は激変しました。自分自身のアイデンティティを喪失するような二つの大きい出来事が起こりました。一つは自分が歩んできた人生そのものが消失するようなもの、もう一つは自分自身が情熱を傾けてきたものが一人の悪人もいないのに崩壊していくこと。社会を知らない無邪気な学生であった私が、本当の意味での大人になっていく過程であったかもしれぬと、今は思えるのですが、当時は自分が生きていることすら儚いとすら思い、苦しんだ時期でもありました。

 

■ 涅槃

 

  そんな時、私はこのディスクをよく聴いていました。滅びに向かっている(と勝手に思っている)自分に対しての自己陶酔と言われても致し方ない行いだったかもしれません。この曲は分裂的で不気味で、まとまりがないと思いました。そして、カラヤンはこの曲に対して、ねじ伏せようとするかのごとく格闘していると思いました。音は美しく、アンサンブルも極上であることは、いつものこのコンビの特徴ですが、澄ましたようなところが一つもないのです。第1楽章冒頭の弦楽器の音型が浮かんでは消えるところでも、一つ一つのフレーズを確認し、あがきながら音にしているように聴こえました。第2楽章でもやけに真剣に演奏していると感じ、第3楽章は狂気すら感じました。これらがいつものカラヤンの美音とともに飛び込んでくるのです。当時置かれていた環境でボロボロになっていた私の心には辛い仕打ちでもありました。

 そして、あの終楽章がやってきます。耽美的で感情は横溢し、弱音でこの上もなく儚げで・・・まさに涅槃の彼方に連れて行かれそうな感覚でした。本当に、私は泣いてしまうこともありました。

 こんな辛い、それでいて美しい世界があるのかと、青二才の私は思ったのです。

 

■ 青春

 

  あれから、四半世紀が経とうとしています。この曲のディスクは、カラヤンの82年盤や、バーンスタインのベルリン・ライブ盤も含めて沢山のディスクを聴いてきました。この79/80年盤についてだけはCDを買わずに、二年に一度くらいの割合でLPを取り出して聴いていました。それは暗い青の空と雲海に浮かぶ儚げな虹のジャケットです(紹介したCDは今回この文を書くにあたって、別に買い求めたものです)。私は、この頃のカラヤンとベルリン・フィルの音を、暗く青光りするようなものと感じることが多いのですが、それはこのLPジャケットから印象かもしれません。

 あの当時の、心がねじ切れるような思いは、今にして思えば何ともたわいもない、取るに足らない出来事とも言ってしまえるのですが、やはりそこには感傷があります。このディスクを聴いていると、一抹の懐かしさもあります。あの当時が自分にとっての青春だったのだと、今なら言えます。そして、あの当時はカラヤンもバーンスタインもいて、伝説が作られていた輝ける時代だったとも思います。人がひたむきに何かと格闘し、何かを生み出そうとする極限の苦しみと、その結果生まれてきたもののかけがえの無さ。そんなことを郷愁と感じる自分は、やはり年を取ったのだと感じます。

 

(2007年11月28日、An die MusikクラシックCD試聴記)