禿山の四夜

文:青木さん

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 山登りが好きだ。中でも北アルプスや南アルプスでの縦走は格別にすばらしい。なのでシュトラウスの「アルプス交響曲」を愛好することでは人後に落ちぬ。北アルプス北端部は立山連峰、となれば黛敏郎の交響詩「立山」もある。ダンディの「フランスの山人の歌による交響曲」は行ったことのないセヴェンヌ山脈。67番まであるホヴァネスの交響曲の中には第2番「神秘の山」をはじめ山をテーマにした曲がいくつもあるらしい。

 しかし。こういった山々に皆様をご招待するのは登山シーズンの夏季までお待ちいただき、その前に欧米各地の禿山に登らねばならない。前回の「ポピュラー名曲集」に続く流れとして、必然の展開だ。だが中には得体の知れぬ魑魅魍魎が巣喰うデンジャラスかつアブノーマルな禿山もあり、とても一晩では登りきれない。そこでワーグナーの「リング」に倣い、四夜を費やすことにした。

 

■ 序夜 通常版の禿山 

 

 まずは足慣らしとしてごく普通の、すなわちリムスキー=コルサコフ改訂版の禿山を目指す。これは比較的なだらかで安全な初心者向けコースなので、欧米の禿山を一気に縦走してみたい。――と思ったものの、禿山の本場ロシアのオーケストラによるディスクが手元に皆無。いきなり出鼻をくじかれた。拙宅のCDラックにおける禿山密集地帯は英京ロンドンなのだが、明晩以降はそのロンドンの禿山が続くので、英国には寄らず欧州大陸からスタートする。

 起点はオランダ。本土最高峰のファールス山は標高わずか322mで、山がないといってもいい国だが、コンセルトヘボウ管の禿山が旧フィリップスに二つある。ジャン・フルネ(1959年)とコリン・デイヴィス(1979年)だ。前者はカッチリした隈取りの濃い表現とコンセルトヘボウ・サウンドが不思議なコントラストを成していて、聴きごたえのある演奏。ダークな雰囲気も出ており、なかなか深みのある禿山だと思う。後者はオーソドックスではあるものの、演奏も録音もなんとなくこぢんまりまとまっている印象で、いまひとつ生気に欠けるのが残念だ。

 次は東へ向かう。隣国ドイツは2962mのツークシュピッツェ山が最高峰で、山岳国のイメージからすると意外なことに3000m峰は存在しない(日本には21座ある)。これまた意外にもカラヤンがレコーディングを残さなかった禿山だが、カラヤン時代の最初期にベルリン・フィルが二度録音していた。1958年DG録音のロリン・マゼール盤は、テンポや強弱のメリハリがなかなか効果的な、演出過剰気味の禿山。1959年のゲオルグ・ショルティ盤はデッカのベルリン・フィル初録音(その次は1972年)というレアなもので、同じアルバムに収録の「ルスランとリュドミラ」序曲ほどではないものの、相当にテンション過剰気味な禿山。ともにオーケストラのうまさが光っている。ライプツィヒに移動すると、イーゴリ・マルケヴィッチ指揮ゲヴァントハウス管はまことに異色の禿山というほかない。弾丸登山のような両ベルリン・フィル盤とは大違いだ。ドレスデンやミュンヘンに禿山があるか否かは、寡聞にして存じ上げない。

 続いてオーストリアに南下する。最高峰のグロースグロックナー山は富士山をわずかに上回る3798m。2000年にウィーン・フィルがヴァレリー・ゲルギエフの指揮で録音している(旧フィリップス)。オーソドックスでありながら迫力にも美音にもこと欠かない、すばらしい禿山だと思う。

 その隣国スイスの最高峰はモンテ・ローザ(3634m)。ジュネーヴにある禿山は、エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管による1964年録音のデッカ盤だ。モタモタした展開と冴えないサウンドがもどかしく、これは意外にも大外れといわざるをえない。音に関してはキングレコード社CDのリマスタリングに問題があるのかも知れぬ。フランスやイタリア、北欧東欧等の禿山は、手持ちCDの中にはなかった。

 では欧州大陸を離れて北米大陸に移動する。まずはカナダで、最高峰は5959mのローガン山。禿山はケベック州にあり、シャルル・デュトワ指揮モントリオール管、1985年録音のデッカ盤だ。すべてにわたってオーソドックスな演奏で、もっとも印象に残るのはサウンド面の充実ぶり。ある意味でデュトワらしいCDといえるかもしれない。

 アメリカに入ると、6168mのマッキンリー山が最高峰。ペンシルベニア州ではフィラデルフィア管に禿山が複数あるようだが、手持ちはユージン・オーマンディ指揮のRCA盤(1971年)。輝かしくグラマラスなサウンドに圧倒されるものの、さすがにこれでは違和感の方が先に立ってしまう。彼らの演奏が「ゴージャス」などと評される一因を垣間見てしまった思いだ。イリノイ州の禿山はもちろんシカゴ響で、フリッツ・ライナー(1959年、RCA)、小澤征爾(1968年、RCA)、ダニエル・バレンボイム(1977年、DG)の三種。聴きくらべると、ライナーの別格ぶりがひときわ際立つ。小澤盤は余裕と風格が足りずバレンボイム盤は緊迫感と風格が足りず、さらに録音面でも古いライナーに及ばないというのは情けないことだ。ニューヨーク、ボストン、クリーヴランド等にも禿山の存在が確認されているが、やはり手元にはCDがなかった。

 というわけで無理をして登山行程を稼いだ第一夜だったが、以上の中から独断で厳選した「通常版禿山サミット」ベストスリーを発表。ちなみに指揮者個人を選ぶ「ミスター禿山」はショルティ、オーマンディ、マルケヴィッチの三名だ。理由は深く考えないでいただきたい。

 

【金賞】

CDジャケット

フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団
録音:1959年3月14日 シカゴ、オーケストラ・ホール
RCA(海外盤:88883701982)

 一点一画もゆるがせにせず入念な彫琢を凝らした造形美。固く引き締まったリズムとゴツゴツした低音。シカゴ響がタイトかつソリッドな音色で完璧に合奏し、ルイス・レイトンのエンジニアリングがそれを生々しく捉えている――前回「管弦楽名曲集」とまったく同じ感想となり、面目次第もない。付け加えるなら、超高速で驀進するパートの圧倒的迫力。桁外れの剛毅な風格と完成度にひれ伏すばかりという、孤高の禿山だ。「立山信仰」や「白山信仰」があるなら、このライナー盤限定の「禿山信仰」を提唱したい。

  もとはロシア物を集めた“FESTIVAL”(LSC2423)に収録。CDでは「展覧会の絵」の余白に組み込まれたが、最終的には63枚組“The Complete RCA Album Collection”(←結局買いました)でオリジナルの体裁が復元されている。

 

【銀賞】

CDジャケット

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:2000年12月 ウィーン、ムジークフェラインザール
フィリップス(国内盤:ユニバーサル UCCP1053)

 当方ゲルギエフをあまり好まぬのだが、この堂々たる正攻法の禿山にはまったく文句なし。CDメインの「展覧会の絵」と異なりセッション録音とされているがライヴ感に満ちた豪放な演奏で、同時に細部の詰めにも抜かりがない。実にバランスがよく、聴きごたえ満点だ。ゲルギエフにとっては「お国もの」ということでしっくりくるのかも知れないが、この名演奏の一因はオーケストラの音色と表現力にあることは確かだろう。本気を出したウィーン・フィルはさすがに凄いと思わせる。

 そしてクリアかつ実在感豊かな録音がまたすばらしい。クレジットを見ると、プロデューサーはアンドルー・コーナルでエンジニアはフィリップ・サイニー。今はデッカを離れた両名だが当時はまだ在籍中だったので、フィリップスがロゴマークだけの存在となり実態はすでにデッカ化していた時期の録音ということになる。

 

【銅賞】

CDジャケット

イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
録音: 1973年5月 ライプツィヒ贖罪教会
ドイツ・シャルプラッテン(国内盤:徳間ジャパン TKCC15166)

 マルケヴィッチの禿山は、前述したようにとにかくユニーク。まず徳間から出ていた国内盤の表記がすごい。“ムーソルグスキィ(リームスキィ=コールサコフ編)交響詩「禿山の一夜」イーゴリ・マルケーヴィチ指揮”――もうこれだけでただならぬ気配が漂ってくるが、聴いてみるとさらに驚く。暗くて地味でささくれ立ったようなオーケストラの音色。緊迫感と説得力に満ちた演奏。もちろんメイン曲の「展覧会の絵」も同様なのだが、禿山のインパクトの方が大きい。それはこうして聴きくらべてきたせいだけではないと思う。

 細かい表現にいろいろ変わったところがあり、それらがことごとく効果的。指揮者の意思がオーケストラに徹底されていることが窺える。マルケヴィッチらしい切れ味の鋭さが感じられる反面、ゲヴァントハウスではなく教会で収録されているためか残響が多めの柔らかいサウンドになっていて、これにオーケストラの独特の音色が加わることによって生まれるハゲしいコントラストが、グロテスクな雰囲気の醸成につながっているようだ。オーケストラや録音会場の選定も含めて意図した結果だとすれば、さすがは「ミスター禿山」というほかない。

 

■ 第一夜 原典版の禿山 

CDジャケット

クラウディオ・アバード指揮 ロンドン交響楽団
録音:1980年5月28-30日 ロンドン、キングスウェイ・ホール
プロデューサー:チャールズ・ゲルハルト
エンジニア:マイケル・グレイ
RCA(海外盤:BMG 09026-61354-2 )

 通常のリムスキー=コルサコフ改訂版ではない、ムソルグスキー自身による「原典版」――サロネンやドホナーニらの録音もあるようだが、禿山の原典版とくればなんといってもアバードだ。このRCA盤が出たときには大いに話題になった。その国内盤LPはアバドでもなくアッバードでもなく「アバード」と表記されていたことも覚えている。FMでオンエアされたときに聴いて「なんじゃこりゃ」と呆れたものだが、後にCDを買って久しぶりに聴きかえしてみると、やっぱり呆れてしまったのだった。こんなん禿山ちゃうわ!京都の愛宕山だと思ったら虎ノ門の愛宕山だった、みたいな・・・ちょっと違うか。でもそう感じたのも過去の話。いま聴くと、これはこれでたいへんおもしろい楽曲だ。

 荒々しくて粗々しい。構成・展開が分かりにくい。自然のままの原生林で道に迷うがごとし。最後に夜明けの部分がなく、大騒ぎのまま終了する。それも含め、まるで作曲の途中段階のようで不完全だと感じたことが、以前に違和感を覚えた理由だ。その背景というか意識下には聴きなれた通常版があったわけで、そんな比較をしなければよいだけの話なのだった。通常版がスタイリッシュな任侠映画だとすればこの原典版は『仁義なき戦い』だ。「見せる生の暴力!!」みたいな。とにかく楽曲の印象があまりに強烈なので演奏面はコメント不能。こんなのをメジャーレーベルから初リリースしたこと自体、アバードのたいへんな偉業といっていいだろう。

 そして改めて感じることは、リムスキー=コルサコフの卓越した手腕だ。ベースになっているのはこの原典版と合唱入りの版(未完の歌劇『ソローチンツィの市』の版)の二種だそうだが、いずれにしても彼が行ったのは狭義の編曲(再オーケストレーション)のレベルをはるかに超えた、「両原曲の徹底的な解体再構築」というクリエイティヴな改訂行為だと思う。「原曲の粗野な雰囲気が薄れている」「あまりにも整理されすぎている」などと評されるものの、それこそがリムスキー=コルサコフの目指したことなのだから、そんな批判をしても意味がない。天下のポピュラー名曲に仕立て上げた彼の功績を評価すべきだろう。それはこの曲だけに留まらない。たとえばアバードのこのディスクも、禿山以外の曲はほとんどがリムスキー=コルサコフ編曲版なのだ。似たような話として、上方落語の「古典」とされる演目の中には、実は桂米朝師匠が埋もれていたネタを発掘し現代に通用するよう大幅に手を入れて復活させた噺が数多くあるという。リムスキー=コルサコフの功績はまさに人間国宝レベルといえよう・・・ちょっと違うか。

 なおアバードとベルリン・フィルによる原典版再録音と合唱版については、すでに伊東さんが詳細に紹介されている。

 

■ 第二夜 編曲版の禿山  

CDジャケット

レオポルド・ストコフスキ指揮 ロンドン交響楽団
録音:1967年6月16,19日 ロンドン、キングスウェイ・ホール
プロデューサー:トニー・デマート
エンジニア:アーサー・リリー
デッカ(国内盤:ユニバーサル POCL9881)

 編曲版の禿山、といえばストコフスキだ。1940年のディズニー映画「ファンタジア」によって人口に膾炙したというから、そのストコ・ヴァージョンはもはや古典的存在といっていい。何種類のレコーディングがあるのかは調べていないが、本人が指揮した1967年のデッカ盤が最高峰。と無責任に断定したくなるほど強烈な演奏とサウンドだ。オリジナル・カプリングはストラヴィンスキー「火の鳥」とチャイコフスキー「スラヴ行進曲」、でも個人的にはCD黎明期以来、チャイコフスキー「1812年」やボロディン「だったん人の踊り」と組み合わされた「ストコフスキー・スペクタキュラー」なるアルバムで馴染んでいる。ラストに驚愕の展開が待ち受けている「1812年」も聴きものだが、禿山のエグさも格別。

 原典版以上に多種多彩な打楽器が活躍。鳴り物を多くすればスペクタクルな迫力がアップ、というわかりやすさがナイスだ。あるフレーズを複数楽器にせわしなくリレーさせる部分では、楽器間のコントラストをむりやり強調するような強引さを感じるのだが、これがまた愉しい。悪魔や幽霊たちの饗宴というグロテスクな場面の中に、なんともいえない滑稽味を添えているように思える。そして夜明けの場面を経て、金管のコラールでいきなり和やかになって終了。「ファンタジア」ではシューベルトの「アヴェ・マリア」に重なりながら続いていったのでこのコラールはなく、他の細かい相違も含めて、ストコ版といっても完全に同一ではないようだ。

 演奏の方は、テンポを大胆に動かしたり管楽器に思いきった強奏をさせたり、これでもかとメリハリをつけていく。聴き手を楽しませようとあの手この手を繰り出すそのサーヴィス精神はまったく大したものだと感心するほかない。文句をつけるのは野暮のきわみ、こういうものは楽しまなければ損、というものだろう。シリアスな楽曲においてはいろいろと問題の多いフェイズ4録音も、ここでは抜群の効果を発揮している。ちなみに『クラシック名盤大全 管弦楽曲篇』(音楽之友社,1998)の禿山の頁には「POCL9881は新鮮な音質」とわざわざ書かれているので、それ以前のキングレコード盤に比べるとリマスタリングが改善されているらしい。

 問題があるとすれば、「ストコフスキ編曲」という表記だろう。1968年に初演されるまでほとんど知られていなかった原典版を、「ファンタジア」の時期にストコフスキが認知していたとは考えにくい。それに聴けば分かるように、彼の編曲はあくまでリムスキー=コルサコフ改訂版をベースにしたものなのだ。原典までさかのぼったわけではない、いわば共同編曲なのだから、両名併記にしてしかるべきではなかろうか。

 なお二夜連続で登場したロンドン響は、通常版の録音も複数残している。手持ちの中にはアンタル・ドラティ盤(1960年、マーキュリー)とゲオルグ・ショルティ盤(1966年、デッカ)があり、ともに名演だと思う。

 

■ 第三夜 続・編曲版の禿山  

CDジャケット

ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1962年2月12日 ロンドン、ウォルサムストウ・アッセンブリー・ホール
プロデューサー:チャールズ・ゲルハルト
エンジニア:ケネス・ウィルキンソン
RCA(輸入盤SACD:Analogue Productions CAPC2659SA)

 1950年代の終わりごろからリーダーズ・ダイジェストの通信販売用レコードを制作していたRCA。その一環として62年1〜2月にウォルサムストウで大量に収録された音源のうち、禿山と「展覧会の絵」を収めた一枚だけは当初からRCAリビングステレオ盤として出たという。“POWER OF THE ORCHESTRA”と題されたそのアルバムは、曲目こそムソルグスキーの二大名曲というありがちな組み合わせだが、冒頭に置かれた禿山は怪しさ満点のレイボヴィッツ版。原ライナーノートによると「ムソルグスキーとリムスキー=コルサコフのあらゆるマテリアルの該博なリサーチによるニューヴァージョン」とのことで、これがなかなか強烈な内容だ。

 各種打楽器の活用が目立つ中、特に効果的なのがウインドマシーンの導入だろう。ヒントは「アルプス交響曲」なのだろうか。やはり山といえば風なのだ。全体としてストコ編ほど原色的ではないが、怪奇趣味の点では引けをとらない。夜明けの場面はあるものの、夜の騒ぎを回想するような壮大なエンディングが付いていて、意表を突く結末になっている。演奏の方もなかなかスケールが大きく、独特の不気味な迫力があってすばらしい。

 だが、この禿山に続いて通常のラヴェル編曲版ほとんどそのままの「展覧会の絵」を聴けば、禿山の強烈さの要因が編曲や演奏に加えて録音というか音響そのものにあることが明らかになる――という仕掛けに思えてならない。ここで聴かれるオーケストラの生々しいリアル・サウンドはほとんど異様といってもいいほどで、それが途方もない迫力につながっている。超ポピュラー名曲の月並みなカプリング盤なのにわざわざ「オーケストラの威力」なるアルバム・タイトルを付けたくなったのももっともだ。そしてこれを聴けば、楽器の音の「生々しさ」が空間における「音場感」と一体であることもまたよくわかる。直接音と間接音のバランスが保てる範囲内で最小限のマイクロホンをオーケストラに近接させ、空間に共鳴するサウンドをそのままフレッシュパックしたかのような――。もし原音をあまさず収録すべく多数のマイクを各楽器に接近させて拾った直接音を巧みにミックスし仮想音場を作ってみても、決してこうは聴こえないだろう。

 制作はRCAだが、録音実務は当時の提携相手のデッカが担当。エンジニアはケネス・E・ウィルキンソンだ。これを聴けば、ウィルキンソンが世界最高のバランス・エンジニアと評価される理由が納得できよう。SACD化されていることからもわかるように、サウンド・クオリティに関しても高い名声を得ているこの一枚、強力にお薦めしたい。

 

■ おまけの第四夜 : ジャズ・ロックの禿山

CDジャケット

 中学生の頃、『週刊FM』誌の番組表に青字で書かれた「ボブ・ジェームズ/はげ山の一夜」というのを見つけた。クラシックは茶色のはずなのに、なぜジャズの色なのか? と思って聴いてみると、確かに禿山なのだがわけのわからないアレンジで、ちっとも楽しめなかったことを覚えている。その同じ演奏を数年後にまたFMで再聴。この手の音楽を好きになりかけていた時分だったので、今度はおもしろく聴けたというか、その斬新さに興奮した。エレピやブラスのカッコよさにもかかわらず、ドラムスが全体を引っ張っている。複雑なタム回しやシパシパ鳴りまくるハイハット、キレのあるビートで起伏に富んだプレイが展開され、凄い凄い!とたちまち虜に。一説によるとドラムを一番先に録音してから他の楽器を重ねていったそうで、だとすれば1974年当時としては画期的な手法だったのではないか。ワタシにとってこの曲こそが、その後ずっと活動を追いかけることになるスティーヴ・ガッドとの出会いだった。元カシオペアの神保彰氏もこれを聴いて衝撃を受け、ドラムを志す決意をしたという。

 そしてこの曲を収録したボブ・ジェームズのアルバム“ONE”は、わが国においては初出から今に至るまで『はげ山の一夜』という邦題で親しまれているのだ。ボブにとっては迷惑な話かもしれないが、彼こそはジャズ=フュージョン界の「ミスター禿山」だといっていいだろう。あんまりハゲてないけど。

 

2014年5月16日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記