ドレスデンのモリエール 〜 「町人貴族」と「ナクソス島のアリアドネ」

文:青木さん

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 4月に『モリエール 恋こそ喜劇』というフランス映画を観ました。モリエールが書いたいろいろな戯曲のストーリーが織り込まれていると聞き、故・井上ひさし氏の大作『天保十二年のシェイクスピア』みたいなものを想像していたところもう少しヒネってあって、思いのほか楽しめた一本。主人公はモリエール自身なんですが、実在の彼が若いころ数ヶ月ほど消息不明の時期があったそうで、その間のドラマを新たに創造し、そのおかしな経験をベースにして彼は数々の傑作を生み出していったのであった・・・という構成。これなら「本歌取り」の作劇手法がストーリー上で必然のこととなり、わざとらしさを避けられる。古典落語の筋書きと現実の出来事とがシンクロして進行するドラマ「タイガー&ドラゴン」もすごかったけど、これもうまいやり方だと感じ入りました。

 などといっても当方モリエールにはさっぱり不案内、まことに面目ないことですが、あとで調べてみるとこの映画のキャラクター設定をはじめとする基本ストーリーは「町人貴族」という戯曲だそうで、それならば聞いたことのあるタイトル。リヒャルト・シュトラウスの組曲ですね。

 で、シュトラウス本人が組曲化する前の原曲というのは、モリエールの戯曲を大幅に改作した「演劇+歌劇」という新機軸のために作った音楽で、その中に含まれていた劇中劇の部分を独立させたのが歌劇「ナクソス島のアリアドネ」、という成立経緯だとのこと。歌劇の本編に入る前のプロローグはその名残のようなもので、そこに登場はしないものの「悲劇と喜劇を同時に上演しろ」と無茶な命令をするご主人様こそ「町人貴族」のジュルダン氏であり、映画『モリエール〜』では故エリック・ロメール作品でおなじみのファブリス・ルキーニの役どころ、というわけ。映画もシュトラウスの原曲も、それぞれ凝った「入れ子」構造になっている点が共通している。映画を観て急に興味が出てきたので、いままで特に好きでもなかった「町人貴族」と「ナクソス島のアリアドネ」をじっくり聴いてみました。

 

■町人貴族  

 

リヒャルト・シュトラウス
組曲「町人貴族」Op.60

[CD1]

CDジャケット

フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団
録音:1956年4月17-18日 シカゴ、オーケストラ・ホール
RCA(輸入盤:09026 68637 2)
※「家庭交響曲」とカプリング

[CD2]

CDジャケット

ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ピアノ:フリードリヒ・グルダ
ヴァイオリン:ウィリー・ボスコフスキー
チェロ:エマヌエル・ブラベック
録音:1966年10月ウィーン、ソフィエンザール
デッカ(国内盤:ポリドール POCL-9725)
※ストラヴィンスキー「春の祭典」とカプリング

[CD3]

CDジャケット

ルドルフ・ケンペ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1970年6月 ドレスデン、ルカ教会
EMI(輸入盤:5 73614 2)
※R.シュトラウス管弦楽曲・協奏曲集

 まずは「町人貴族」から。最終的な組曲は9曲から成り、うち2曲はもとの戯曲のためにジャン=バティスト・リュリという人が書いた音楽をシュトラウスが編曲したもの。2管編成を縮小した30名強という室内オーケストラ編成は、シュトラウス作品では珍しいのでは? 明るく優雅な舞踏調をベースにしながらも、音の重ねかたなどでいろいろ凝ったことをしていて、新古典時代のストラヴィンスキーを思わせる諧謔性も感じられます。

 冒頭の「序曲」は主人公ジュルダン氏の紹介音楽とのことで、ルキーニのケッサク演技で思い出し笑い。3曲目は「剣術の先生」、これも映画では爆笑の場面。終曲の「宴会」で登場する侯爵夫人はリュディヴィーヌ・サニエ嬢の役どころ・・・といった調子で、掴みどころがなかったこの組曲にいまやがぜん親しみを覚えてしまうのですが、映画を観ていない向きには何のことやらさっぱり要領を得ないと存じますのでこれくらいで。

 ワタシの手元にあったCDは上記の三枚。カペレ、シカゴ、ウィーン・フィル、いずれ劣らぬ個性的オーケストラが揃いました。小編成でもそれぞれの持ち味がちゃんと出ている。とはいえ月並みなイメージとはやや違い、ライナー指揮のシカゴ響はカッチリしてはいるものの、剛毅な「ツァラトゥストラ」や「英雄の生涯」などとはうってかわって意外なほど洒脱な演奏。これはもう同じシュトラウスでもリヒャルトではなくヨハンUの世界に近く、そういえばライナーとシカゴ響はウィンナ・ワルツ集のすばらしい録音を残しておりました。ここではなぜか2曲カットされているのが残念。一方のウィーン・フィルは期待どおりの音色(特にボスコフスキーの蕩けるようなソロ!)、しかしカプリングのハルサイとは正反対にマゼール先生の個性が思いのほか薄く、その意味ではやや期待はずれ。ともあれどちらの録音も、この一風変わった作品そのものの魅力を楽しむには(カットを除き)総じて不足ない好演だと感じます。

 そのさらに上をいくのがシュターツカペレ・ドレスデンなんですが、以前はケンペとカペレの一連のシュトラウス録音中この「町人貴族」はちょっと不出来という気がしていました。それは曲がおもしろくないがゆえの感想だろう、という理由づけは曲を楽しめるようになったいまとなっては間違っていたとわかるものの、依然として指揮者ケンペの個性や役割を感じとれない。でもそれはボックスセットに入っている他の曲と比較した場合であって、演奏自体はライナー盤やマゼール盤よりずっとしっくり感じられます。その要因はつまるところ、十分に引き出されている管弦楽の魅力でありまして、ほんとうにシュトラウスを演奏させたら天下一品ですねぇ、このオーケストラは。

 とはいえ、30数名しかいない管弦楽をここまで美しく鳴らし尽くすには大編成を相手にするのとは別の難しさがあるはずで、やはり実際にはケンペの、そしてマゼールやライナーの貢献きわめて大であろうことは、素人のワタシにも想像できます。そのような名指揮者によるコンセルトヘボウ管弦楽団の演奏で、ぜひこの曲を聴いてみたいものです。

 

■ナクソス島のアリアドネ  

CDジャケット

リヒャルト・シュトラウス
ナクソス島のアリアドネ Op.60
グンドゥラ・ヤノヴィッツ、シルヴィア・ゲスティ、テレサ・ツィリス=ガラ、ジェームズ・キング、テオ・アダム、エバーハルト・ビュヒナー、ペーター・シュライヤー、ヘルマン・プライ、ジークフリート・フォーゲル、アンネリース・ブルマイスター ほか
ルドルフ・ケンペ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1968年6-7月 ドレスデン、ルカ教会
EMI(輸入盤:7 64159 2)

 続いて、ケンペとカペレほかの演奏で「ナクソス島のアリアドネ」を。このレコーディングの模様やレコ芸評論の引用が掲載された名著『指揮者ケンペ』(尾埜善司,芸術現代社,2000)には、これを皮切りにシュトラウスのオペラ全曲を録音する構想があったと記されています。しかし実際に行われたのは管弦楽曲・協奏曲のレコーディング・チクルスだったことは、みなさんよくご存知のとおり。そのほうがかえってよかったとこれまで思っていたんですが、いやいやこの「ナクソス島のアリアドネ」だけでも録音されたのは幸いだったと、今回あらためて思い知りました。『指揮者ケンペ』で一項を設けて詳述されているのも納得。

 この作品も「町人貴族」と同様にオーケストラは小編成で、そのわりには登場人物が多いように思えます。「プロローグ」は約40分すなわちLP一枚分もあって、続く「歌劇」を含めた全編の3分の1を占めるので、序幕というより第一部という印象。短いながらも序曲があり、独立したアリアもあり、無調や不協和音にも無縁で、モーツァルトを思わせる明快な古典歌劇の側面を持っている。一方ではワーグナー的なライトモティーフや気の利いたオーケストレーションなどに20世紀の同時代性も備えていて、このあたりの独特のバランスがこの作品の魅力の一つでしょう。

 ところがもう一つの魅力であるはずの凝ったストーリー展開は、英語対訳の読解力に個人的限界がありまして、十分なる把握に至っておりません。ここは日本語対訳が付いた別のCDか日本語字幕付きのDVDで勉強して出直すべきで、またもや面目ないことでございます。東西の名歌手をずらり並べたという歌唱の数々もあまり楽しめず、あなもったいなや。しかしながら今回、オーケストラに重点を置いた聴きかたでも相当に堪能できました。それは楽曲の特徴であると同時に、やはりこのケンペ盤の個性によるものという気がします。

 管弦楽のなんとも雄弁きわまる表現力、そしてただごとでない蠱惑的な美音はまさに耳のご馳走、うっとり聴きほれるばかり。こればかりは幾万語を費やしてもお伝えできません。一般に歌劇の録音における声楽パートの扱いには音量や定位などの設定にいろいろとやりようがあって、なにがベストなのか判断が難しいのですが、ことオーケストラに関する限り当録音はまさにこれしかない!と思わせる絶妙のサウンド。もちろんこれはレコーディング技術の問題というより、この作品の世界観に完璧にマッチした指揮者とオーケストラの比類なき演奏が収録に反映された結果に違いなく、ハイ・ファイ的な意味とは別の次元での名録音というべきでしょう。

 こうなるといまさら対訳のために別のCDやDVDを聴く気がしないけど、そういえばシノーポリもこの作品をカペレと録音しているんですね。これは少しそそられる。その国内盤をかつて中古ショップで買いかけたんですが、当時はこの曲に興味がなく手持ち資金も乏しかったので「やっぱり今度にしとこう」と見送ってしまったのでした。それがいまやすっかり入手困難となり、安く手軽に買えるブリリアント盤には日本語の対訳など付いていない。こんなことならあのとき買っておけばよかった、といまさら後悔しても遅いわけで、こういうことはイヤになるほどしょっちゅうありますね。

 それにしても、録音から7年も経って国内盤が出たときにはレコード・アカデミー賞とやらを受けたというこのケンペ盤、どうして日本ではいっこうにCD化されないのか。ルドルフ・ケンペ生誕100年の今年こそ出してほしいなあ。

 

2010年5月19日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記