ブリテンのモーツァルトを聴く

文:青木さん

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 2006年はW.A.モーツァルト生誕250年のアニヴァーサリー・イヤー。年明け早々、マリス・ヤンソンスが初登場したウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートで「フィガロの結婚」序曲が演奏されました。いろいろなイベントなどがあるようですし、CDショップには関連企画盤、書店には関連本が花盛りです。1991年の没後200年の際も世間では盛り上がりをみせていましたが、主にベートーヴェン以降の音楽を愛好していたワタシとしては引き気味、白け気味だったことを覚えております。

 あれから15年、その間にいろいろな演奏でモーツァルトを聴いてきました。その中でもっとも素晴らしいと思ったものは、ブリテンが指揮した一連の演奏です。諸録音の整理も兼ねて、これらをご紹介したいと思います。

 

■ はじめに ― 指揮者ブリテンとモーツァルト

 

  ベンジャミン・ブリテン卿(1913−1976)は、指揮者やピアニストとしても非凡な才能を持っていたものの、本職はあくまで作曲でしたので、自作曲以外の演奏についてはレパートリーがごく限られていました。それは残された録音からも判るのですが、文献等から拾ってみても、

  • 『(ブリテンが)パーセル、バッハ、モーツァルト、シューベルトに注ぐ愛は、ひとたび彼の演奏にかかれば、音符からたちどころにほとばしり出る類のものだった』〔デッカのプロデューサーだったジョン・カルショー〕(*1)
  • 『ブリテンにとってモーツァルトはブリッジと同じように神だった』〔指揮者、歴史家のポール・キルデア〕(*2)
  • 『自作を振ることはある程度まで必要に迫られてのことだったが、バッハ、パーセル、モーツァルトを演奏することは愛の行為だった』〔英国音楽に造詣の深かった三浦淳史氏〕(*3)

という具合で、モーツァルトがブリテンの主要レパートリーだったことは確かです。アラン・ブリスは1970年に行なったインタビューで、ブリテンの卓越したモーツァルト解釈を支えるものは何かという疑問に対し、次のようなブリテンの発言を引き出しています。

 『モーツァルトに関していうなら、私の解釈の基盤は、彼の音楽に捧げる熱き共感にあるのだと思います。もはや比喩の次元を超えて、すべてが燃えたぎる血潮なんですよ』。

 これを受けてブリスは、『自らが音楽の創造者である彼の中に、他人の作品を再創造するのに必要な、かけがえのない資質が横たわっているのだ』と記しています。(*4)。

【出典】

*1 英GRAMOPHONE誌1977年2月号(新潮社『グラモフォン・ジャパン』2001年1月号に邦訳掲載)
*2 CDD(後述)解説書
*3 CD「バッハ:ブランデンブルク協奏曲」解説書(キング 210E1161-2)
*4 英GRAMOPHONE誌1970年6月号(新潮社『グラモフォン・ジャパン』2001年1月号に邦訳掲載)

 

■ 演奏の感想 − デッカ録音篇

 

 ブリテンがモーツァルトの作品に抱いていた愛情は、ひとかたならぬものだったことが分かりました。しかし「作曲家として他人の作品を再創造する」などというと、なにか自分の解釈を織り交ぜた超主観的な演奏でもしているように誤解されかねません。実際には、『彼の指揮はまったく指揮者であることを意識させないたぐいの謙虚なもの』(*2)という三浦淳史氏の表現が、少なくともデッカへのスタジオ録音に関しては、まさにぴったりなのです。

 たとえば交響曲第25番、第40番という二つのト短調〔CD@〕。荒々しい緊迫感も深刻な悲劇性もなく、ある意味では醒めたスタンスの演奏かも知れません。落ち着いたテンポで淡々と、そしてキリリとした格調を保ちつつ、曲を進めていきます。文章で表現しにくいのが歯がゆいほどに目立った特徴や個性はなく、演奏の実践面では細部の処理の完璧さに欠け、それでいてもの足りなさは皆無。モーツァルトの楽曲の世界を存分に堪能できるとでもいいましょうか。モダニズム建築の世界に”less is more”=「より少ないことはより豊かなことである」という言葉があるのですが、それを思い起こさせるような音楽です。

 カーゾンと組んだニ短調のピアノ協奏曲第20番〔CDA〕はもう少し強めの表現の伴奏となっており、これがカーゾンのカッチリとした独奏と絶妙のコントラストを見せます。同じCDに入っている第27番は長調の曲ですが、明るさの中に深みや寂しさを感じさせる独特の世界に到達した孤高の作品であることはご存知の通り。カーゾンとブリテンは、その世界観にぴったりはまった演奏を繰り広げており、まったく味わい深い音楽というほかありません。

 交響曲第38番も、重くなりすぎない序奏から爽やかな主部の第1楽章以下、ダイナミクスもテンポも標準的ながら、密度の濃いていねいな演奏です。同じく第29番もじっくり聴かせてくれますし、「セレナータ・ノットゥルナ」も手抜きなし、たっぷりとした響きで楽しめます。

 以上の録音場所はすべてザ・モールティングス。オールドバラから5マイルの田園地帯スネイプにあり、19世紀に木とレンガで建てられた古いモールトハウスをそのまま改装した824席のコンサートホールだそうです。アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホールと同じ2秒の残響時間を持ち、英国随一の音響効果との定評もあるというこのホール、確かに録音で聴く限りでは暖かく豊かな響きと各楽器のブレンド感がコンセルトへボウを思わせます。ケネス・ウィルキンソン(K.239とK.550のみゴードン・パリー)の名録音とあいまって、極上のサウンドで楽しめるモーツァルトの名演奏。素晴らしい音楽遺産だと思います。

 ピアノ協奏曲第12番〔CDB〕のみ、古いライヴ録音。ブリテンの弾き振りという珍しい録音です。

 

【CD@】

CDジャケット
CD@
 
CDジャケット
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a)交響曲第25番 ト短調 K.183
b)交響曲第29番 イ長調 K.201
c)交響曲第38番 ニ長調 K.504「プラハ」
d)交響曲第40番 ト短調 K.550
e)セレナード第6番 ニ長調 K.239「セレナータ・ノットゥルナ」
ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団
エマニュエル・ハーウィッツ、レイモンド・キーンリーサイド(ヴァイオリン/e)、セシル・アロノウィツ(ヴィオラ/e)、エードリアン・ピアーズ(コントラバス/e)
録音:1968年5月(d,e)、1970年7月(c)、1971年2,9月(a,b)、モールティングス、スネイプ
デッカ (国内盤:POCL3614-5、輸入盤:444323-2)

 「ダブル・デッカ」シリーズ。キングレコードから出ていた国内盤CDはa+d、b+c+eという組み合わせだったが、LPのオリジナル・カプリングは録音年の通り、a+bとd+e。なおcの相手はシューベルト「未完成」で、その組み合わせのCDも出ていた(POCL9727他-CD@’)。

 

【CDA】

CDジャケット

a)ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466
b)ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595
サー・クリフォード・カーゾン(ピアノ)
ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団
録音:1970年9月、モールティングス、スネイプ
デッカ (国内盤:F35L50368、輸入盤:417288-2)

 ケルテス指揮ロンドン響と1967年に録音した第27番の発売をカーゾンが認めなかったため、録音し直したといわれている音源。これ自体もカーゾンが発売をOKしたのが死(1982年9月)の直前だったため、図らずも追悼盤になってしまったらしい。カーゾンは1964年にもセル指揮ウィーン・フィルと第27番(と第23番)を録音していたが、それなどは2003年まで発売されなかった。

 

【CDB】

CDジャケット

a)ピアノ協奏曲第12番 イ長調 K.414
ベンジャミン・ブリテン(指揮とピアノ)オールドバラ音楽祭管弦楽団
録音:1956年6月19日、オールドバラ・ジュビリー・ホール(mono,live)
デッカ (国内盤:POCL4699、輸入盤:458869-2)

 輸入盤は「ブリテンatオールドバラ」シリーズだが、BBCではなくデッカによる古いライヴ録音で、ジェームズ・ウォーカーのプロデュース。国内盤は1999年に「デッカ偉大なる演奏家たち」シリーズで既に出ていたため、翌年に出たオールドバラ・シリーズとしてはこの一枚だけ国内盤が出なかった模様。組み合わせはハイドンの交響曲第45番と第55番。

 

■ 演奏の感想 − BBC録音篇

 

  英国国営放送(BBC)の系列レーベルであるBBC MUSICが、”BBC LEGENDS”と銘打って放送音源を続々とCD化しており、その中に”BTITTEN THE PERFORMER”というシリーズがあります。デッカから出ている続編”BRITTEN AT ALDEBURGH”も含めると20枚ほどになりますが、それらの中にもモーツァルトが多く含まれていて、聴き逃せません。ほとんどはオールドバラ音楽祭等の演奏会の実況録音で、それらはデッカのスタジオ録音に比べると、概してより表情豊かな活き活きとした=ライヴ感のある演奏となっています。

 交響曲には第35番、第39番、第41番があり、これで三大交響曲が揃うことになります。しかし演奏の傾向は第40番とはかなり異なるもので、「ジュピター」〔CDD〕の第1楽章などは速いテンポと激しい表現に意表を突かれます。中間の二楽章はやや穏やかになるものの、終楽章はまた強い調子になり、デッカのスタジオ録音よりもテンションが高め。しかしこの方が曲想には合っていると思います。同じCDの第39番はライヴではなくBBCのスタジオ録音で、ティンパニがくっきりと目立つとはいえ全体としては良好なモノラル録音。60年代の初めの、しかも放送用の録音で、リピートをきっちり守っているあたりに、ブリテンの見識を感じます。いまでは珍しくないことですが、当時は(少なくとも録音上では)リピートなどカットするのが当たり前だったはず。楽譜の指示に忠実であろうとしたのだとすれば、まさに作曲家としての愛情表現ではないでしょうか。

 以上は1967年にザ・モールティングスがオープンする前の録音で、一方第35番「ハフナー」〔CDC〕は一連のデッカ録音よりも後に収録されたもの。時期のせいか会場のせいか、この演奏はデッカの商業録音を思わせるオーソドックスなものです。これ以外が考えられないような自然なテンポ、堂々とした風格が素晴らしく、この曲に必要な躍動感もちゃんと備わっているのはやはり実演ということも効いているようです。

 協奏曲では、ピアノ協奏曲第22番とK.364の協奏交響曲を収録した一枚〔CDE〕があり、ピアノはリヒテルです。ピアノ協奏曲は管弦楽パートの充実ぶりを存分に味わえる好演奏だと感じましたが、協奏交響曲のほうは曲そのものに馴染めなくて特に感想はなし。このCDで素晴らしいのは穴埋めのように収録された「アダージョとフーガ」です。驚くほど深々とした手ごたえのある演奏で、ただ傾聴してしまうのみ。

 このBBCのシリーズはデッカのスタジオ録音と重なる曲がほとんどなく、そうなるようにCDが企画されているのでしょうが、唯一重なっているのがピアノ協奏曲第27番。ただし独奏はカーゾンではなく、これもリヒテルです。デッカのカーゾン盤に比べると、ピアノは直接的に雄弁な印象で、管弦楽はやや緩みがち(冒頭すぐミスあり)、全体としてはあれほどの張りつめた緊張感はありません。異なるタイプの好演といったところでしょうか。アメリング独唱のモテット(温かみに満ちた素敵な演奏)やブリテンがピアノを弾くピアノ四重奏曲と組み合わされた一枚です〔CDF〕。ちなみに”BTITTEN THE PERFORMER”シリーズは残念なことにすべて廃盤のようなのです。

 あと、”BBC LEGENDS”の本シリーズで「レクイエム」が出ています〔CDG〕。1971年の録音がなぜモノラルなのかは不明。演奏は実にドラマティックで、かなり異色といえるでしょう。「ブリテン組」のソロイストたちの朗々たる歌唱は、宗教的敬虔さよりも分かりやすい演出性を優先させたかのようでして、こんなに面白く聞くことのできる「モツ・レク」も珍しいのでは?

 

【CDC】

CDジャケット

a)交響曲第35番 ニ長調 K.385「ハフナー」
録音:1972年6月19日 モールティングス、スネイプ(live)
BBC (輸入盤:BBCB8008-2)

 BBCの録音による「ブリテン・ザ・パフォーマー」シリーズ。組み合わせはハイドンの交響曲第95番の他、メンデルスゾーン「フィンガル」、ドビュッシー「牧神」、ベートーヴェン「コリオラン」という珍しいレパートリー。

 

【CDD】

CDジャケット

a)交響曲第39番 変ホ長調 K.543
b)交響曲第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」
c)コンサート・アリア「運命は恋する者に」 K.209
d)コンサート・アリア「どうか、詮索しないでください」 K.420
ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団
ピーター・ピアーズ(テノール/c,d)
録音:1962年6月10日 BBCスタジオ、ロンドン(a,c,d/mono)、1966年6月14日 ブライスバラ教会、サフォーク(b/live)
デッカ (国内盤:POCL4819、輸入盤:466820-2)

 BBCの録音による「ブリテンatオールドバラ」シリーズ。

 

【CDE】

CDジャケット

a)ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調 K.482
b)アダージョとフーガ ハ短調 K.546
c)協奏交響曲 変ホ長調 K.364
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ/a)
ノーバート・ブレイニン(ヴァイオリン/c)
ピーター・シドロフ(ヴィオラ/c)
ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団
録音:1967年6月13日 モールティングス、スネイプ(a,b/live)、1967年11月27日 クイーン・エリザベス・ホール、ロンドン(c/live)
BBC (輸入盤:BBCB8010-2)

 BBCの録音による「ブリテン・ザ・パフォーマー」シリーズ。ピアノ協奏曲の両端楽章のカデンツァはいずれもブリテンによるもの。協奏交響曲の独奏者はアマデウス四重奏団のメンバー。

 

【CDF】

CDジャケット

a)ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595
b)ピアノ四重奏曲第1番 ト短調 K.478
c)モテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」K.165
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ/a)
ケネス・シリトー(ヴァイオリン/b)
セシル・アノロヴィッツ(ヴィオラ/b)
ケネス・ハース(チェロ/b)
エリー・アメリング(ソプラノ/c)
ベンジャミン・ブリテン(指揮/a,c、ピアノ/b)
イギリス室内管弦楽団(a,c)
録音:1965年6月16日 ブライスバラ教会、サフォーク (a/live)、1969年6月22日ブライスバラ教会、サフォーク(c/live)、1971年9月26日 モールティングス、スネイプ(b/live)

BBC (輸入盤:BBCB8005-2)

 BBCの録音による「ブリテン・ザ・パフォーマー」シリーズ。

 

【CDG】

CDジャケット

a)レクイエム ニ短調 K.626
へザー・ハーパー(ソプラノ)
アルフレーダ・ホジソン(メゾ・ソプラノ)
ピーター・ピアーズ(テノール)
ジョン・シャーリー=カーク(バリトン)
オールドバラ祝祭合唱団
ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団
録音:1971年6月20日 モールティングス、スネイプ(mono,live)
BBC (輸入盤:BBCL4119-2)

 BBCの録音による「BBCレジェンド」シリーズ。70年代なのになぜかモノラル。ドナルド・ミッチェルとの対談の録音(26分)が余白に入っている。

 

【その他】

 

  ブリテンが指揮者ではなくピアニストとしてモーツァルトを弾いているものとして、カーゾンとの「二台のピアノのためのソナタ」、メニューイン及びジャンドロンとの「ピアノ三重奏曲」、リヒテルとの「連弾ソナタ」「二台のピアノのためのソナタ」といった録音もBBCでCD化されているようですが、入手しておりません。

 

2006年2月26日掲載、6月11日改訂、An die MusikクラシックCD試聴記