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2003年6月

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CD2003年6月30日:「あなたもCD試聴記を書いてみませんか?」のコーナーに「小澤征爾のマーラー:交響曲第1番(花の章つき)を聴く」を追加しました。文は「としちゃん」さんです。


CD2003年6月28日:都響を聴く

今日は地元浦和にある埼玉会館でベルティーニ指揮東京都交響楽団(以下、都響)のコンサートを聴いてきました。演目はマーラーの交響曲第7番。1時間20分ちょっとの演奏でした。

マーラーの交響曲第7番は、大変晦渋な曲だと私は思っています。ファンの方にお叱りを受けるかもしれませんが、私には支離滅裂に聞こえます。それがこの曲の魅力ともなっているようで、ある意味では最もマーラーらしい曲でもあります。今回のコンサートではそれをベルティーニがどのように料理してくれるかという点に注目して聴いていました。結果的には、いくらベルティーニであっても曲そのもののイメージを根本から変えるようなアプローチはできない、というごく当たり前のことが分かりました(こんなことは書くことさえ恥ずかしいです)。

それはともかく、都響です。すごい腕前ですね。今日のコンサートは、そのままCD化できる水準だったと思います。ホルンの音がややかすれた、とか、クラリネットの音がやや怪しいのでは?と感じるところがそれぞれ1ヶ所あったくらいです。それも私の気のせいかもしれず、おそらくは撮り直しの必要もない程度のものでした。オケ全体がひとつの有機体になっているオケは聴いていて気持ちがいいものです。N響が時として、パートごとにてんでバラバラな方角を向いて演奏しているように感じられるのに比べて、何という違いでしょうか。決して上質のホールとはいえない埼玉会館で、あれだけのアンサンブルを聴けて私は満足です。高度な演奏技術とアンサンブル、オケとしてのまとまりを心ゆくまで楽しめたコンサートでした。難解な難曲であるだけに、オケの力量は最高度に発揮されていたと思います。ブラヴォー!


CD2003年6月27日:岩崎さんの「アメリカ東海岸音楽便り」に「凄い!マゼールさんのマーラー交響曲第2番《復活》」を追加しました。


CD2003年6月26日:Under the Stars

以前An die Musikの掲示板で「今年上半期におけるオーケストラ曲のベスト録音は?」というスレッドがありました。私の場合、特に感銘を強く受けたオケ曲の新譜が上半期にはなかったので、書き込みを見送りました。ただし、オケ曲でなくてもいいのであれば、以下に挙げるCDが今年上半期のマイ・ベストCDであります。

CDジャケットアンダー・ザ・スターズ
ルネ・フレミング&ブリン・ターフェル
指揮:ジェミニアーニ指揮ウェールズ・ナショナル・オペラ管
録音:2002年8月7-12日
DECCA(国内盤 UCCD-1074)

曲目

曲目を見れば分かるとおり、これらはミュージカル曲集であって、クラシック音楽ではありません。歌っているのが今をときめくソプラノのルネ・フレミングとバリトンのブリン・ターフェルだという点で、クラシック音楽に接点があるだけです。

しかも、このCDの内容がすべていいというわけでもないのです。だいいち、二人の歌い手のうち、ソプラノはあまりミュージカルには向いていないようです。オペラ歌手のミュージカルは、発声からしてオペラチックになりがちで、ミュージカルとして鑑賞するにはきついことがほとんどです。

その点、ブリン・ターフェルはすごいです。ご存知のように、このウェールズ出身の声楽家は、「フィガロ」から「ヴォータン」までをこなすオペラ歌手ですが、ミュージカルを歌っても全く自然なのです。彼には既に「リチャード・ロジャース&オスカー・ハマースタイン」のCDがあるように、ミュージカルも万全にこなすことが知られています(《エーデルワイス》が感涙もの!95年録音 DG)。

この新譜では、「レ・ミゼラブル」からの1曲「星よ(The Stars)」が出色です。彼が過去に歌ったミュージカルの中でも抜群のすばらしさ。とにかくかっこいい! 決まっている! わずか2分52秒の曲ですから、あっという間に終わってしまいます。が、聴いた後のカタルシスは長大なオペラを聴いたとしても必ずしも味わえないものです。それこそ、「この1曲だけでこのCDを買う価値がある」と私は言いたいです。

なお、ルネ・フレミングも、《無駄にすごした時間〜「パレード」ではかなり気合いが入ったらしく、ウテ・レンパー並みの迫力で歌い切っています。

それにしても、人間の声は素晴らしいですね。ブリン・ターフェルのように繊細にかつ輝かしく歌うことができる人間は、プロも含めてこの世には一握りしかいないでしょう。それでも、こんなすごい歌を聴くと、「最高の楽器は人間の声である」と思わずにはいられません。


CD2003年6月24日:岩崎さんの「アメリカ東海岸音楽便り」に「トン・コープマンさんボストン響に登場」を追加しました。

ショルの声は私も生で聴いたことがありますが、素晴らしいです。人の声の美しさに感激しますね。


CD2003年6月23日:岩崎さんの「アメリカ東海岸音楽便り」に「新音楽監督ジェームズ・レヴァインさん登場」を追加しました。


CD2003年6月20日:岩崎さんの「アメリカ東海岸音楽便り」に「ドホナーニさんボストン響に登場」を追加しました。

「この人は今どんな仕事をしているのだろうか?」という疑問が岩崎さんのレポートでどんどん解明されています。やはりこういう手記は面白いですね!


CD2003年6月19日:岩崎さんの「アメリカ東海岸音楽便り」に「ヤンソンスさんの圧倒的なショスタコービッチ」を追加しました。


CD2003年6月17日:ウォルトン

CDジャケットウォルトン
交響曲第1番変ロ短調
交響曲第2番
アシュケナージ指揮ロイヤルフィル
録音:1991年4-5月
DECCA(輸入盤 433 703-2)

あまり新規にCDを購入していると女房が私を猛烈になじるので、私は古いCDを取りだして聴くことが多々あります。最近聴いたCDはウォルトンの上記CDでした。買ったのは10年も前だったと思います。何かの拍子に買ってきて、数回聴いてお蔵入りしたものです。10年前はウォルトンの曲に私は面白さを全く感じなかったので、それっきりになっていました。

で、今聴いてみると、ウォルトンの音楽は実に面白いですね! 交響曲はいずれも秀作で、特に第1番は理屈抜きに楽しめます。まるで映画音楽のようなところもありますが、これぞ純正クラシック音楽!という感じです。聴いていると「ここまでやっちゃうか」と恥ずかしくなるほど壮大であります。初演されたのは1935年。その割りにはわかりにくさはまるでなく、金管楽器が豪勢に鳴り渡る様はすこぶる痛快であります。これほど後衛的な音楽(・・・と言ってよいのか分かりませんが)は玄人には受けが良くなかったのではないかと私は勘ぐってしまうほどです。が、音楽は理屈をこねて分析するものではなく、聴いて楽しむものだと私は思っているので、こうした曲に大変魅力を感じます。

1960年に作曲されたという交響曲第2番は、第1番と比べると若干痛快さに欠けますが、それでも聴き応え充分。第1楽章など、オケの妙技を楽しめます。

ついでに書いておくと、このCDの録音はステレオ感が極端です。オケが左右一杯に展開して聞こえます。本当にそうやって演奏したのでしょうか? 多分エンジニアがそう聞こえるようミキシングしたのでしょうが、それはそれで面白いですね。CDですから。

自分のCD棚をひっくり返して古いCDを聴くのもいいものだと私は思います。お陰でこのところ私はウォルトンをいろいろと聴きまくっています。この交響曲第1番、第2番もデイヴィスがロンドン響とライブ録音でもしてくれないものか、と願わずにはいられません。イギリス音楽がエルガー、ホルストと登場していますから、もしかしたら本当に出るかも!


CD2003年6月10日:岩崎さんの「アメリカ東海岸音楽便り」に「ボストン響に内田光子さん登場」を追加しました。

うーむ。生で内田光子を聴いたことがない私は、ひたすらうらやましがるしかないですねえ。


CD2003年6月9日:岩崎さんの「アメリカ東海岸音楽便り」に「ムターさんのバイオリンを聴く」を追加しました。

今回の演奏曲目はムターの最新CDで完全に追体験できますね。私も密かにDGから発売されたCDを持っております。作りはまるでアイドルのCDと同じです。手にするとちょっと気恥ずかしくなるのですが、ついつい買ってしまうんですねえ(^^ゞ。あそこまでアイドル路線にしなくてもいいのに、と私は思うのですが・・・。ビジュアルに耐えるバイオリニストが希少なのかしら? DGによる、ここ数年の徹底したムター・アイドル路線に私は閉口しているのですが、肝心の芸風はどうなのでしょうか? 岩崎さんの「音楽便り」を読んで、CDでもリサイタルでも、聴き手にはどうも同じような印象を与えているのではないか、と私は感じました。別の人が聴いているのに、全く奇妙なものです。


CD2003年6月6日:岩崎さんの「アメリカ東海岸音楽便り」に「マズアさんのブルックナーはお好き?」を追加しました。

そ、そういえば、今日は女房の誕生日だったような気が・・・・。ど、どうしよう!


CD2003年6月5日:岩崎さんの「アメリカ東海岸音楽便り」に「ボストン響で聴く「田園」と「春の祭典」」を追加しました。


CD2003年6月4日:E-mailに関するお願い

ここしばらく、ほとんど毎日のように読者の方々からE-mailをいただきます。が、残念なことに名前を名乗ってE-mailを書いて下さる方はあまりいらっしゃいません。そうしたE-mailをいただく度ごとに私は「せめてお名前を教えていただけますまいか・・」というレスを返しています。

ネットの世界、特に掲示板上では本名を使うという風習がほとんどありません。ハンドルネーム(仮名)が普通です。さらに、最近では携帯電話の普及によって、ハンドルネームさえ名乗らず、ぶっきらぼうな一文だけを送ってくる人も現れました。例えば、

「・・・ってどうですか」

というE-mailです。

An die Musikを開設してから4年経ち、私もできる限りE-mailにレスをするように心がけてまいりました。しかし、名前さえ名乗っていただけないメールに気を遣いながら、ひとつひとつレスをするのにはほとほと疲れました。ここでお願いです。大変申し訳ありませんが、今後E-mailを下さる方は是非名乗って下さい。E-mail上で名乗ったからと言って、それを私は誰にも公開しません。逆に、名乗っていただけないE-mailに対しては、こちらからのレスを期待しないで下さい。まことに勝手な申し出ながら、何卒よろしくお願い申しあげます。

なお、ハンドルネームを使ったダイレクトメールに関する私の考え方については、4年前に掲載したこちらの文章をご参照下さい。


CD2003年6月3日:デュトワのベートーヴェンに感涙す!

今日は地元浦和にある埼玉会館でデュトワ指揮NHK交響楽団のコンサートを聴いてきました。出し物は以下のとおりでした。

デュトワは今期限りでN響を去りますから、この組み合わせでコンサートを聴けるのはあと何回もないはずです。しかも、プログラムにはデュトワらしからぬベートーヴェンがあるではないですか。「どんな演奏をするのだろう?」と思って私はコンサートに足を運びました。前半はオケの響きがまとまらず、今ひとつのできでした。「ドン・ファン」の最初の数小節を聴いて私はゲンナリし、「これは帰った方がいいかな・・・」とまで考えました。

しかし、メインのベートーヴェンが感動的でした。R.シュトラウスを演奏した団体と同じ団体が演奏しているとは到底思えないほどオケの鳴りっぷりがよくなっているのに私は驚かされました。N響は、前半にはエンジンがかからないのでしょうか? どの声部も最良のバランスで耳に飛び込んできます。特に、チェロとコントラバスは第4楽章の最後まで唸りをあげていいました。それが浮いて響く感じでもなく、響きの透明さが保たれていました。素晴らしい!

このベートーヴェン、他に一体どこがよかったのでしょうか? 聴いていた私はどうもよく思い出せません(^^ゞ。第1楽章と第2楽章、第3楽章と第4楽章の間をつなげて演奏していたとか、第4楽章では畳み掛けるように演奏していたように聞こえたこと、などいくつかの要素を挙げることはできますが、決定打は? はて? 

私は第1楽章が始まって間もなく、立派なベートーヴェンが目の前で演奏されていることに気づき、すっかり音楽に没入してしまいました。オケは時々奇妙な音を発するなど、万全のできではなかったのに、「ベートーヴェン」が聞こえてくるのであります。どの楽章においてもあまりのすばらしさに私は感涙にむせび、どきどきしながらフィナーレを迎えました。終演後は、こんな地方都市のコンサートホールであるにもかかわらず、アンコールが飛び交いました。

デュトワといえば、フランスもののイメージが強く、ドイツ物、しかもベートーヴェンを演奏するようなイメージは(私には)ありませんでした。そんな1リスナーが勝手にこしらえたイメージが、いかに無意味であるかを例証したコンサートでした。

本日の教訓


CD2003年6月2日:知らなかった!

先日私は「ウィーンに生きて ある打楽器奏者の音楽日誌」(大塚敬子著、音楽之友社)を読みました。著者の大塚さんは、1957年に桐朋学園短期大学音楽科作曲科を卒業、1963年にウィーンに渡り、1968年から92年まで現ウィーン放送交響楽団の打楽器奏者を務めた人です。この本の中では、様々な音楽家との交わりが悲喜こもごものエピソードとともに語られています。著者はいたって謙虚な人らしく、自慢話で彩られることもなく、読み物として大変面白かったです。

大指揮者・大演奏家の名前がいくつも登場しますが、それは読んでいただいてのお楽しみということにします。実は、私にとって、驚きだったことがひとつあります。この本によれば、なんと、かのブラームスはホモだったとか。し、知らなかった! クラシック音楽を聴き始めて、四半世紀が経つというのに! え? そんなの常識? そ、そうかな・・・・。ブラームスは浮いた話がなかったわけではないし、私は彼がホモだとは夢にも思いませんでした。

この「ホモ発言」は大塚さんの本の中で実に上手に語られています。引用いたしますと、以下のとおりです。

 ホッホライナー先生(伊東注:ウィンーフィルの首席ティンパニスト)はときどきとても陽気になり、愉快なことを言い出すことがある。そうしたときには、わたしが女の子であることをうっかり忘れて、楽しそうに話を進めるのだった。
 ブラームスの《第一シンフォニー》のはじまり、有名なCの音の弾き方の話になったときのことである。
 「心臓の音を象徴したとも言われているが、これはブラームスが素敵な男性に出会って〔自分はとても男性的だ〕と言いたくて書いたのだから、そう思って演奏するんだよ。おまえさんにはそんな趣味はないと思うが・・・・・」

p.30

別にブラームスがホモであっても私は構いません。が、それを四半世紀の間、どうして私は知らなかったのでしょう? だいいち、上記交響曲第1番だって、第4楽章のホルンはクララに宛てた熱いメッセージではなかったのですか? うーむ。せっかくの著書で最も印象深かったのがこのくだりであるとは、大塚さんには申し訳なくてとても教えられません。が、まさか女性にこのようなことを教えてもらうはめになるとは・・・・。


CD2003年6月1日:岩崎さんの「アメリカ東海岸音楽便り」にモントリオール響コンサート 2002年9月22日(どうなるモントリオール響・・・)を追加しました。


(An die MusikクラシックCD試聴記)