■アメリカ東海岸音楽便り〜ボストン響のコンサート・レポートを中心に

2003年タングルウッド音楽祭
踊る!?ノリントンさんのベートーヴェン

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サー・ロジャー・ノリントン指揮カメラータ・ザルツブルグ

2003年8月6日 午後8時〜
マサチューセッツ州レノックス、タングルウッド、セイジ・オザワ・ホール

オール・ベートーヴェン・プログラム

ノリントンさんのベートーヴェンというと、忘れられないのが昨年夏のタングルウッドで聴いた交響曲第9番《合唱付き》です。その演奏は今まで聴いた(CDも含めて)第九の中で間違いなく一番刺激的でした。第一楽章はじめから今まで耳にしたこともない響きが続出し、そしてその頂点が第四楽章でした。具体的に例を挙げると、「vor Gott」のフェルマータの後(練習番号331)からテノールのソロ(練習番号375)が入るところまでの部分。かなりゆったり目のテンポで開始し、今まで聴いた演奏ではあまり目立たないバスファゴットやホルンを主役にして、表現は悪いですが、酔っ払いの音楽、チン問屋の音楽のように私には聴こえたぐらい珍妙なものでした。しかもこの部分、ノリントンさんは腰に手を当てて指揮するのを止め、時々観客席を振り返って、「どうだ、面白いだろう」と言わんばかりにニヤッと笑みをもらしたのです。また最後の合唱が終わってからのオーケストラだけでのプレスティシモは一気に突進するのではなく、そこからさらに二回ほどギアチェンジし終わるという手の込みようでしたが、これはそれなりに効果的で斬新でした。感動的な第九というには程遠かったのは確かですが、面白さということにかけては抜群でした。今回は編成の小さなカメラータ・ザルツブルグとの共演ということもあり、いっそうノリントンさんの斬新な解釈が徹底しそうで楽しみに出かけました。

さて、前半はまず「プロメテウスの創造物」全曲です。カメラータ・ザルツブルグの編成は第一バイオリンだけ数えてみても8人と小さなものです。セイジ・オザワ・ホールの小さな舞台に並んでもまだかなり余裕があります。最後に出てきた指揮者ノリントンさん、まずマイクを取り出し客席に向かって講釈をはじめました。「我々はザルツブルグからベートーヴェンを持ってきた。」とか笑わせながら20分以上しゃべっていました。講釈の内容は残念ながらよくわからなかったです。長い講釈の後(苦笑)、ようやく演奏開始です。予想されたとおり、キビキビとした速いテンポで快調に進めていきます。ビックリしたのは一曲終わるごとに第二バイオリンの後ろに控えていた青年が場面の解説をマイクで抑揚を付けて話したことです。彼の英語がいまいちよく理解できなかった私には音楽の緊張を妨げるものでしかなかったのですが、元々は劇付随音楽であるということを知らしめるためだったのかもしれません。しかし、どうも演奏は期待していたほどは面白くなかったです。ベートーヴェンに面白さを求めるなんて、と言われそうですが、ノリントンさんは面白く聴かせようと苦心していたのが分かる演奏だったものですから・・・。終曲の《英雄》交響曲第四楽章の有名な旋律が登場する場面では、案の定、ノリントンさんは客席の方を振り返り、「みんなこのメロディーは知っているでしょ!」って顔でニヤリとしていました。

《英雄》交響曲は私の最も好きなベートーヴェンの作品です。古くはクレンペラーさん(フィルハーモニー管)や、コンヴィチュニーさん(シュターツカペレ・ドレスデン)、最近のものではフルネさん(都響)の演奏などが私の好むところですが、ノリントンさんの演奏はその対極と言ってもいいくらいです(だからと言って彼の演奏が嫌いなわけではありません)。昨年の第九も聴いていましたから、ある程度、面白い演奏になることは予想していました。ノリントンさんの指揮するベートーヴェンは肖像画に象徴されようようなしかめっ面をしたベートーヴェンではなく、豪快な笑い声、そしてときにはニヤリとする遊び心感じられるベートーヴェンです。そんな彼のベートーヴェンからは「そんなに崇拝して聴かなくてもいいんだよ、もっと楽しんで聴こうよ」と言う声が聞こえてきそうです。もう一つ付け加えておきたいのはこの様な演奏だったにもかかわらず、確かなベートーヴェンへの愛情が感じられる演奏だったことです(例えば同じ系列と思われるアーノンクールさんにはあまりこういったことは感じません)。ともかく、第九や(《英雄》を聴いて笑みが漏れるなんて驚異的だと思いませんか!

それにしてもノリントンさんは面白おじさんです。先日、ゲルギエフさんの指揮は一風変わっていることを書きましたが、ノリントンさんの物は同じ指揮と言う範疇に含めていいものだろうか、と思えるほど変わっています。一曲目の「プロメテウスの創造物」を聴いた後、私の妻はノリントンさんを「世捨て人」に違いないといいました(笑)。世を捨てていないとあんな指揮(と言うかあんまり振っていませんでした)は出来ないと。私の印象は少し違ってオーケストラの前でマジックかパントマイムをしている人のように見えました。指揮棒は当然持たず、拍子を振ることはなく「次はこっちから、次はそっちから面白いものが飛び出しますよ」ってな感じの指揮なのです。そして時々客席の方に顔を向けて反応を確かめることを忘れていません。第一楽章の最後の部分、有名なテーマが高らかに演奏される部分がありますね。ノリントンさんの表現は飛び跳ねるリズムに乗って楽しくて楽しくて仕方がないという風なのですが、ノリントンさんは実際に頭の上で手をヒラヒラさせながら、右を向き、左を向き踊っていました(わたしにはそのようにしか見えませんでした)。第二楽章も颯爽とした速めのテンポなのですが、その中から十二分に感動的な音楽を創っていました。第三楽章はトリオのホルンが田舎っぽいんですが、まさに今から狩りに行くぞといった趣の印象的な響きを聴かせました。最後の部分はまた颯爽と踊るように指揮し、客席を向いてスキージャンプ競技の着地でも見るかのようなT字マークを決めたのには驚きました。聴衆一同拍手しながら笑ってしまいました。第四楽章も終始、前へ前へと行く弾むリズムで楽しく聴かせたのでした。

私自身はやはりクレンペラーさんやコンヴィチュニーさん、フルネさんといった演奏が好きですが、ノリントンさんのベートーヴェンを聴いて笑うだけでなく感動したのも事実です。ベートーヴェンの意図がどちらの演奏に表れているのかは判りませんが、これだけの演奏を聴かせてもらえれば、わたしは大満足です。


(2003年8月18日、岩崎さん)