Music for Prague 1968

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 クーベリックの「わが祖国」聴き比べが一段落したところで、ひとつ変わり種のCDを取り扱いたいと思います。「Music for Prague 1968」を含む以下のCDです。

CDジャケット

ヴォーン・ウィリアムズ:

  • トッカータ・マルチアーレ
  • 吹奏楽のための変奏曲

ヒンデミット:吹奏楽のための演奏会用音楽 作品41
コープランド:QUIET CITY
フサ:Music for Prague 1968
ハンスバーガー指揮イーストマン・ウィンド・アンサンブル
録音:1988年3月28-30日
SONY(輸入盤 MK 44916)

 作曲家も曲も全然知らないって? それは読者のあなただけではありません。ついこの前まで私も知りませんでした。フサ(Karel Husa)は1921年生まれの現代の作曲家です。彼が1968年の夏から秋にかけて作曲したのが、「Music for Prague 1968」です。現代音楽には違いないのですが、「わが祖国」を聴いたことがある人ならすぐ思い出す「ターボル」のメインテーマがここでも使われている、と書けば、俄然興味が湧いてきませんか?

 少し長いですが、この曲には「管楽器の名曲・名盤」(立風書房、200CD管楽器の名曲・名盤編纂委員会編)に完全な解説文がありますので以下に引用させて下さい(私がこの曲を知ったのはこの本を通してです)。

 この曲の主要動機は、スメタナが<ターボル>と<ブラニーク>で用いた、フス教徒の戦いの歌<汝ら、神とその法の勇士たち>である。つまりこれは文字通りレジスタンスの音楽であり、祖国の悲劇と勝利への希望を描いた闘いの音楽なのだ。吹奏楽の作品で、かつてこれほど劇的な内容と精神性を兼ね備えた作品は存在しなかったし、今日もこれを凌ぐ作品は見あたらず、その意味で、この作品こそ20世紀最高の吹奏楽曲と言っていいだろう。また非常に演奏意欲をかき立てられる曲で、あのジョージ・セルが、感動のあまり管弦楽への編曲を依頼したというのは有名な話である。そして1990年2月、自由化なったプラハで、作曲家自身の指揮によりついにチェコ初演が実現したというのも、いかにもこの作品にふさわしいエピソードだ。

曲は、トランペットの恐怖の叫びが印象的な<序奏とファンファーレ>、暗く悲劇的なサウンドが呻く<アリア>、打楽器のみで演奏される<間奏曲>、そして破壊的な音響の中に勝利への決意を打ち立てる<トッカータとコラール>から成る。

執筆:国塩哲紀さん

 この文章を読むと、すぐにでも聴いてみたくなりますね? 私は「わが祖国」のファンですから、すぐにCDを探しはじめました。しかし、どうしたことか、このCDをショップで探すことはできずじまいでした。どうしてもショップでは見つけられなかったのでインターネットで検索したとところ、一発で検索できました。ショップで見つけられなかったというのは、どういうことでしょうか。このCDは、20世紀の音楽、それも吹奏楽のための曲ばかりを集めていますから、購買層が限られていると判断されたのでしょうか。そうだとしたら実にもったいないですね。吹奏楽のための音楽にも優れたものはたくさんあります。

 ただし、「わが祖国」とは趣が違う曲ですね。「Music for Prague 1968」は少し恐いですよ。このCDの中でこの曲だけ浮いています。が、このCDの最大の価値はこの曲が収録されていることでしょう。その証拠に解説文が最もしっかりとしているのも、作曲家の写真が収録されているのもこの曲だけです。少し恐い曲なので最後に置いたということでしょうか。

 はっきり言って、この曲を聴いて、「興奮した」とか「スカッとした」という印象は持ちにくいでしょう。そもそもこの曲はプラハの1968年を題材にしているのですから、スカッとするはずもないのです。ご存知ない方のために書いておきますと、1968年にチェコのプラハでは大事件があったのです。以下のような動きがありました。

  • 1月5日:スターリン主義者のノヴォトニー党第1書記解任。改革派のドプチェクが後任に選出。「人間の顔をした社会主義」をスローガンに改革「プラハの春」開始。
  • 6月21日:自由化支持の知識人を中心に市民7000人が署名した「2000語宣言」が発表される。ソ連、警戒を強める。
  • 8月20日:ワルシャワ条約機構の5カ国軍、チェコスロバキアへ侵攻、全土を制圧。「プラハの春」終わる。

 フサはこのような危機的な事態が進行している最中に「Music for Prague 1968」を作曲していたのです。だから、この曲は恐怖とか、抑圧とか、忍耐とか、極めて深刻な内容ばかりを訴えかけてくるのです。聴いていて恐くなるのは当たり前でしょう。特に第3楽章から第4楽章に入るところはぞっとするほどの緊迫感があります。「ターボル」の主題は第1楽章冒頭のティンパニなどで暗示的に現れますが、完全な姿で現れるのはこの曲の第4楽章の終わり頃です。それも「勝利だ」という感じは全くなく、「きっと将来は...」という暗い終わり方をします。コンサートで聴いたら、その圧倒的な迫力と、深い精神性に打たれる人が後を絶たないでしょう。セルが感動したというのは本当だと思います。

 こうした深刻な曲が作られるのはいかにも20世紀らしいですね。不思議なことに、この録音が行われた翌年に「ビロード革命」があるのですが、音楽は今なお十分な存在感があります。訴えかけるものの切実さゆえに、傑作として聴き継がれていく可能性が高いと私は思います。

 

2000年5月11日、An die MusikクラシックCD試聴記