バルビローリの珍盤を聴く

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CDジャケット

マーラー
交響曲第7番
バルビローリ指揮BBCノーザン響&ハレ管
録音:1960年10月20日、マンチェスター
ブルックナー
交響曲第9番ニ短調
バルビローリ指揮ハレ管
録音:1966年、ロンドン
BBC LEGENDS(輸入盤 BBCL 4034-2)

 ライブ録音、それも非常に優れた演奏ばかりが次々に発売されるBBC LEGENDSシリーズの1セット。あまりに優れたシリーズなので、財布が(いや女房が)許せばこのシリーズは全部揃えてしまいたいとまで私は考えている。こうしたライブ録音が最高の音質で連発されると、これからクラシック音楽を聴く人のCD観は一変するのではないだろうか? 私のような音楽ファンは、CDといえば、スタジオ録音盤が普通であった時代に聴き始めたが、これから聴き始める人はライブ盤が当たり前になってくる。CDや演奏家に対する批評も大きく変化するに違いない。

 さて、今回は「バルビローリのマーラー発売」というのでCDショップに走った。バルビローリのマーラーといえば、買わざるべからず。きっと濃厚なマーラーを聴かせてくれるはずと期待した。確かに濃厚。だが、このCDに聴く演奏は、濃厚ではあるものの、少し暗すぎる演奏だと思う。オケがBBCノーザン響(この表記でいいのかな)とバルビローリの手兵ハレ管の混成で、技術的には少なからず破綻が見えるのはご愛敬としても、暗く重々しい演奏は、少なくとも私にとっては違和感が残る。有名なクレンペラー盤は、なるほど気の遠くなりそうなスローテンポによる演奏ではあるが、暗くもなく、重くもない。馥郁たる浪漫の香りがする。この暗さがバルビローリ的と言えばそれまでなのだが、私はマーラーの7番はクレンペラーやテンシュテットの演奏が好きなので、バルビローリのアプローチには抵抗がある。もっとも、このように自分が描きたいイメージ(おそらく)を現出できたのだからバルビローリは満足だったのかもしれない。

 どうしようもなく暗いマーラーにしょげていた私を驚愕させたのは、余白に収録されたブルックナーの演奏だった。これは予想外のことであった。これは珍盤も珍盤、抱腹絶倒の大熱演なのである。

 バルビローリはブルックナーを盛んに演奏したそうだが、録音は残してくれなかった。EMIもどうして企画しなかったのか不思議である。このライブ盤に聴く限り、バルビローリのブルックナーは完全に浪花節である。もはやバルビローリ編曲版と言ってしまってよいほどの味付けがなされている。私の女房でさえ、「これは一体誰の演奏か」と訝しがっていた。良く言えば意志的、悪く言えば恣意的なブルックナーで、アッチェランドのかけ方など異常で、緩急の差が呆れるほどすさまじい。「こんなことが許されるの?」というテンポ設定である。ダイナミックさもすさまじく、まるでマーラーの交響曲第1番を演奏するようにオケ、特に金管楽器を鳴らしまくる。バルビローリだけに歌うところは徹底的に歌う。弦セクションはロマンティックに分厚く歌う。私はブルックナーの交響曲第9番はブルックナーが神と対話する至高の音楽だと思っているが、バルビローリ盤はそのような高邁な雰囲気はせず、かえって非常な人間くささを感じさせる。これはバルビローリが音楽に対する愛情のあまり、音楽に没入、感情移入しきってしまった典型例だと思う。

 この演奏は賛否両論あるだろう。ブルックナーの抽象的・形而上的な交響曲がここまで具体的・形而下的になっているのだから、真面目な音楽ファンは顔をしかめること請け合いである。私でさえ抱腹絶倒した。ヴァントの演奏を聴いた後にこれを聴いたら、同じ曲とは思えないだろう。それほどアプローチが違う。でも、バルビローリは大まじめで指揮したに違いない。情熱を込めてリハーサルもやっただろう。だから、これはこれで大変価値がある演奏である。そして、こんな演奏が聴けた聴衆は幸せである。バルビローリの愛情に満ちた演奏が行われたロイヤル・アルバート・ホールは興奮の坩堝だったはずだ。ご存知の通り、この未完の大曲は静かに静かに終わるが、感極まった聴衆は熱狂的なブラボーと拍手を贈るのである。このようなブルックナー、私は大好きだ。たとえ、悪趣味だと笑われようとも、バルビローリのひたむきさがハートに直接訴えかけてくる。

 なお、このCDはマーラー、ブルックナーともモノラル録音である。が、マイクの設定がよほど良かったらしく、鑑賞に問題はない。それどころか、特にブルックナーでは圧倒的な迫力にモノラルであることを忘れさせられるだろう。

 

2000年6月5日、An die MusikクラシックCD試聴記