ホーレンシュタインの豪腕

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CDジャケット

ブルックナー
交響曲第5番変ロ長調
ホーレンシュタイン指揮BBC響
録音:1971年9月15日、ロンドン
BBC LEGENDS(輸入盤 BBCL 4033-2)

 私はホーレンシュタイン(1898-1973)をあまり高く評価していなかった。クラシックを聴き始めた頃、ホーレンシュタインが指揮をした廉価盤(LP)をいくつか手にしていたはずだが、今やその当時の記憶は残っていない。普通であれば、その頃に聴いた演奏のイメージはその後の鑑賞の妨げになるほど強烈な影響を及ぼすのに。また、CD時代になると、貧弱な音のVOX盤に辟易し、二度と手を出さないようになってしまった。だから、よもやホーレンシュタインがこんな面白い演奏をする指揮者だとは私も思わなかった。私の耳がまだホーレンシュタインに追いついていなかったのか、あるいはこのCDに聴く演奏がすごすぎるのか。今からでも遅くはない、私はホーレンシュタインを聴き直してみたくなった。

 このブルックナーが録音されたのは71年、ホーレンシュタイン最晩年に当たる。多分、ホーレンシュタインの総決算ともいえる演奏なのだろう。この名演奏が良質なステレオ録音で聴けるとは何とも嬉しいことだ(楽章間のノイズまで全て収録されている。それもステレオになっているから、臨場感はひととおりのものではない)。

 これは卓越したブルックナー演奏だ。指揮者の強固なブルックナー像が、豪腕によって形作られている。ホーレンシュタイン、昔は露ほども気がつかなかったが、指揮の腕前、すなわち統率力は半端ではない。「腕力」が強くなければ、このように痛快・豪快な演奏はできない。演奏の特徴は、強弱がかなりはっきりしていることだ。曖昧さは悉く排除され、曲の輪郭を上手に描き出している。こうしたスタイルを取るからこそ、ブルックナーの長大な交響曲を最後まで飽きさせずに聴かせることができるのだろう。この豪快な演奏を聴いてブルックナーを楽しめない人はあまりいないはずだ。それだけでも大した演奏なのである。

 ブルックナーの演奏の善し悪しは最初の数分である程度分かる。私は第1楽章最初のファンファーレから既に陶酔状態に陥り、ホーレンシュタインに痺れてしまった。録音がとてつもなく良いので、臨場感抜群。そのため、私は部屋にいながら会場の空気と同化し、ブルックナーの音響世界に遊ぶことができた。退屈する場所などまるでなく、74分に及ぶ演奏であるにもかかわらず一気に聴き通してしまった。しかも手に汗握るのを通り越して、興奮のため全身汗だく。ブルックナー演奏には、丁寧に丁寧に楽譜に書かれた音を積み上げていく方法もあるのだろうが、これは全く違ったアプローチで成功した演奏だと思う。

 実は、ブルックナーファンの私でもこの曲を聴いて退屈することがままある。どんなにうまいオケの演奏であっても、指揮者が間延びした棒を振っていると、第2楽章あたりで睡魔に襲われ、轟音がなっているだけの曲に堕した第3楽章を聴きながらぐうぐう寝てしまう。第4楽章の強烈なコラールが始まってそのうるささにやっと目が覚めるという具合である。これはCDを聴いていてもそうだし、コンサートに行ってもそうだ。だから、「ブルックナーを聴くと眠くなるし、もう聴きたくない」という人がいるのはよく理解できるのである。でもそれは、ハズレの演奏に出っくわしたからだ。もしホーレンシュタインのようにこの曲の構成を知り尽くし、分かりやすいように強弱をはっきりつけて演奏してくれる指揮者による演奏を最初から聴いていれば、ブルックナーファンはもっと増大するのではないだろうか。

 「強弱をはっきりつける」と書くと何やら低レベルの演奏に思えてくるかもしれないが、決してそうではない。曲を隅々まで知っていなければそのような指示はできない。ティンパニの思い切りのよう強打を聴くと、ホーレンシュタインがよほどしっかりとしたリハーサルを行ったと想像される。でなければ、ぶっつけ本番で、ブルックナー指揮者としてのカリスマがそうさせたとしか考えられない。

 このCDに聴くオケの響きはイギリス離れしている。これはN響的な側面が強いBBC響とはとても思えない見事な重厚さを聴ける演奏である。およそイギリスのオケでブルックナーは似合わないと私は勝手に考えていたが、この演奏を聴くと、やはり指揮者次第であることを痛感させられる。オケの末端に至るまで指揮者の意志と思惑が浸透した演奏だと思う。

 

2000年6月6日、An die MusikクラシックCD試聴記