「英雄の生涯」を聴きまくる
第2回 ラニクルズで聴く北ドイツ放送響

ホームページ WHAT'S NEW? CD試聴記


 
CDジャケット

R.シュトラウス
交響詩「英雄の生涯」作品40
バイオリン:シュテファン・ワーグナー
楽劇「サロメ」〜最後の場面
ソプラノ:アレッサンドラ・マーク
ラニクルズ指揮北ドイツ放送響
録音:1998年11月、リューベック
TELDEC(輸入盤 3984-23293-2)

 注目の指揮者ドナルド・ラニクルズの新譜。現在手に入る「英雄の生涯」の最新録音のはずだ。ラニクルズがシュターツカペレ・ドレスデンを指揮したワーグナーが大変良い出来だったので、「英雄の生涯」も迷わずに買った。

 この「英雄の生涯」は、指揮者の個性が前面に出てこないという点については、ワーグナーの録音とそっくりである。冒頭からとてもあっさりしている(それが個性か?)。この大曲を演奏するからには、指揮者もオケも奮い立って力んだりするのではないかと思うのだが、少なくともラニクルズはそういうタイプの指揮者ではないようだ。オケはオケで名人クラスが集まっているから全く危なげなく、「どのような要望にもお応えします。お好きにどうぞ」という雰囲気だ。これではライナー盤のようなスリリングな演奏は期待できない。

 オケは冒頭から激しく鳴りまくってはいるが、どうも醒めた感じがする。上手いオケというのはそういうものなのだろうか。音色も国際的だと思う。だが、「これは、少し期待しすぎたかな」などと思って聴いていると、大間違い。この演奏は「英雄の戦場」あたりから尻上がりに良くなってくる。「英雄の戦場」で一糸乱れぬアンサンブルを聴かせたラニクルズ&北ドイツ放送響は、「英雄の業績」に入るとじっくりとした音楽を展開し始める。気のせいか、オケの音の重心もぐっと低くなっているようにも思われる。「英雄の業績」は、R.シュトラウス最愛の自作曲が断片的に登場するが、その現れ方、歌い出し方は絶妙で、ひとつひとつを丁寧に演奏し、過去を振り返るようにして消え去っていく。さらに「英雄の引退と完成」においては弱音の中で音楽が熱く燃え上がっている。エンディングまでくると思わず感動させられる。今までいろいろな「英雄の生涯」を聴いてきたが、後半戦に勝負に出た演奏は珍しい。だいいち、R.シュトラウス自身、音楽は冒頭が肝心と述べていたはずで、それを裏付けるかのように、どの曲も華々しいイントロを持っている。「英雄の生涯」とて例外ではなく、3オクターブにわたる、聴衆の度肝を抜くような始まり方をしている。ラニクルズだって、やろうと思えば最初からエンジン全開で一般聴衆を喜ばせる演奏ができたはずだ。にもかかわらず、そうはしなかった。実は「英雄の生涯」が、「英雄の業績」以降を盛り上げれば、とても感動的な演奏になることを見越していたのだろう。なかなか味なことをする。やはり要注意の指揮者だ

 しかも、このCD、「英雄の生涯」の後にも聴きものがあるのだ。「サロメ」の最後の場面である。このCDでは、サロメの踊りが終わって、ヨハナンの首が切り落とされるところから始まっている(すなわち、コントラバスのキッ、キッ、という音から始まる)。ソプラノは目下売り出し中のアレッサンドラ・マーク。アメリカ出身のR.シュトラウス歌いである。この人が歌うドイツ語はちょっと危なっかしいらしいが、私には気にもならなかった。それより私は、指揮者、ソプラノ、オケが渾然一体となって繰り広げられる世紀末官能恐怖劇に釘付けになってしまった。オケのサウンドは「英雄の生涯」と同じオケとは思えないほど量感があり、ぐわわわわーんと狂おしく迫ってくる。全くオドロオドロシイ。ラニクルズはオペラ指揮者だし、この曲の演奏では遠慮なしにオケを鳴らしている。ここから先は鬼気迫るものがあり、恐くてたまらない。ヘロデとヘロディアスが登場するところは省略されているが、怖さは十分伝わってくる。

 ラニクルズはどうしてこの曲を「英雄の生涯」にフィルアップしたのだろうか? 普通は「ティル」とか「ドン・ファン」なのに。おそらくこれはラニクルズの十八番なのだ。来るべき全曲盤に備えての小手調べといったところか。そういえば、CDのジャケットもメインが「英雄の生涯」なのに、「サロメ」の絵になっているぞ! 怪しい。TELDECも実はこっちを売りにしているのだろうか? ラニクルズの全曲盤、恐くて聴きたくないが、聴きたいぞ!

 余談だが、R.シュトラウスのオーケストレーションは恐い。歌詞を見ながら聴いているとぞっとする。例えば、Blut(血)という言葉が出てくると、ぽたりと血の滴るような音がしたりする。私はいつものことながら、冷や汗をかいてしまった。

 

2000年7月5日、An die MusikクラシックCD試聴記