ゲルギエフの「春の祭典」

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CDジャケット

ストラヴィンスキー
バレエ音楽「春の祭典」
スクリャービン
交響曲第4番作品54「法悦の詩」
ゲルギエフ指揮キーロフ管
録音:1999年7月24-27日、バーデン・バーデン祝祭劇場
PHILIPS(輸入盤 468 035-2)

 宇野功芳氏が激賞したことですっかり有名になったゲルギエフの「春の祭典」の輸入盤がやっと発売された。私は今まで輸入盤をずっと待っていたのだ。ゲルギエフのストラヴィンスキーは前作「火の鳥」全曲が拍子抜けするほどつまらなかったので、今回は高価な国内盤ではとても手を出す気になれなかった。

 さて、この演奏はとても変わっている。猛烈な爆演だから、私はてっきりライブ録音だと思って聴いていたのだが、「ライブ」との表記はCDジャケットにもケースにもない。ヘッドフォンでじっと聴いていても聴衆からの雑音は聞こえない。どうも正真正銘のスタジオ録音らしい(祝祭劇場で録音されたものが「スタジオ」録音といえるのかどうかは別だが)。こんなことを書くのは、おそらく普通の指揮者であれば、ライブでもなければ、これを自分の正規録音としては残さないのではないかと思うからだ。

 第1部はまだしも、第2部は大変癖のある演奏で、ゆったりとしたテンポ設定もさることながら、引きずるようなリズム、ふざけているとしか思えないような「間」の取り方など、異常づくしだ。超小型スピーカーで聴いても大迫力・高解像度の録音だから、音だけでもかなり楽しめるのだが、聴き終わった後、何となく奇妙な気持にとらわれる。なにしろ、終わり方まで意表をついている。ここで書いてしまうと、これから聴く人に申し訳ないのでこれ以上は遠慮するが、「今のは何だったのだ?」という気持になる。

 しかし、この奇妙さがこの演奏のひとつの特長であることは否定しがたい。好き・嫌いはともかく、この曲が内包する土俗的な印象を非常に強く引き出していると思う。キーロフ管の創り出す音は原色系というのではなく、むしろ地味だと感じられるが、とても骨太で、強烈。マッチョ指揮者がマッチョなオケをブイブイいわせている。そうなると、色彩感や繊細さなどは吹っ飛んでしまい、私が想像する「ロシア的な」土臭さが全面的に現れてくる。ブーレーズがCBSの旧盤で示したような精緻さや繊細さはここには見られない。ゲルギエフはこう言いたかったのだろうか。「これはロシアの音楽なんだよ。それを分かってくれよな」。

 PHILIPSはこのCDを大々的に宣伝しているから、きっとこのCDは多くのクラシックファンが耳にすることになるだろう。しかし、ファンがみんな激賞するかどうか、あるいは将来にわたって名盤の座を維持するかどうか私はよく分からない。この原稿を書くまでに私は4回この演奏を聴いたが、「すごい!」という感嘆と「これは何だ?」という疑問が両方残るのである。忘れがたい演奏、という意味では第1級の演奏だろう。既に「何でもあり」になってきたゲルギエフ、きっと今後も我々を楽しませ、煙にまいてくれるに違いない。

 なお、カップリングされている「法悦の詩」は「春の祭典」に比べるととても穏健な演奏だ。が、あくまでも「春の祭典」と比べるとであって、単体で聴くとうるさいことこの上ない爆裂演奏。ここまでうるさいと、この演奏が男女のセ●×スを表現しているとは感じられない。むしろ、上記「春の祭典」の方がよほど大胆にそれを表していると思うが、この分野は危険領域なので、ここまでにしておこう。

 

2001年8月21日、An die MusikクラシックCD試聴記