ヨッフム指揮バンベルク響のブルックナーを聴く

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CDジャケット

ブルックナー
交響曲第8番ハ短調
ヨッフム指揮バンベルク響
録音:1982年9月15日、NHKホール
ALTUS(国内盤 ALT-022/3)

 老人指揮者が大好きな日本人の中でさえ、最晩年のヨッフムが神格化されたような気配はなかったと私は思う。しかし、今になって、最晩年のヨッフムのブルックナー録音を聴いていると、こういう人こそ真の音楽家ではなかったか、と思えてくる。死後、たちまち忘れ去られるどころか、じわりじわりと声望が高まっていくのが何よりの証拠だと思う。

 ヨッフムのブル8といえば、ベルリンフィル(1963年?録音、DG)、シュターツカペレ・ドレスデン(1976年録音、EMI)、さらにアムステルダム・コンセルトヘボウ管(1984年録音、TAHRA)が残されており、今回バンベルク響とのライブ録音が発売されたときは、さすがの私も「またか」と思ったものだが、これは以前の3種を全て持っている人にも大推薦のCDだ(このCDが先頃放送されたTVの実況録音と同一であるとはその時気がつかなかった)。

 このCDに聴く演奏は、小手先の演出がない、いかにも飾りっ気のない演奏でありながらも、大きな風格を感じさせる。オーケストラのバランス面でも、金管楽器が輝かしいだけでなく、オケの音をしっかりと下支えしている。地に足が着いたとはこのことだろう。ヨッフムの指揮はいつもながらに「構えた」風がない。巨匠然とした構えをこの人はとらない。それでも音楽を内側から熟成させるように響かせるものだから、ブルックナーの響きが満ち満ちてしまう。もちろん、巨匠然とした構えがなくとも、音楽には巨大なスケールが備わってくる。それがヨッフムのブルックナーの醍醐味であろう。

 この録音でヨッフムは、1971年から77年まで首席指揮者であったバンベルク響と共演している。来日時には、離任している。そのわりに、オケはあたかもヨッフムの手兵のように機能している。よほど強い結びつきがあったのであろう。技術的にも申し分ない。終楽章コーダあたりは少しラッパが苦しそうだが、立派な演奏にただ頭を垂れるのみである。

 この録音は昨年NHKが放映したものである。その際も私は非常な感銘を受けた。バンベルク響はベルリンフィルやシュターツカペレ・ドレスデン、アムステルダム・コンセルトヘボウ管ほどの人気や実力はないかもしれないが、このブルックナーではほとんど遜色のない演奏を聴かせることに改めて驚かされた。こうした名録音が会場が聴きやすい音質でCD化されたのは全く喜ばしいことだ。少なくとも、音質的にはヨッフムのブル8中最高である。あのお粗末なNHKホールでもこのような録音ができるのかと思うと不思議である。

 

ご参考:駄文「バンベルク響の思い出

 

追記:音楽に何を求めるか?

 

 私の手許に、ヨッフムがバンベルク響を指揮したCDが他にもある。

CDジャケット

モーツァルト
交響曲第39番 変ホ長調 K.543
交響曲第40番 ト短調 K.550
ヨッフム指揮バンベルク響
録音:1982年3月22-24日、11月18-20日
ORFEO(輸入盤 C 045 901 A)

 このモーツァルトは、ヨッフムが上記ブルックナーを演奏した頃に録音されている。面白いもので、全く違う作曲家の音楽を演奏しているのに、受ける印象が酷似している。すなわち、特別な手練手管を感じないのに、知らず知らずのうちに音楽に没入してしまう。どこがどうすごいのかよく分からないが、聴き終わると、心の底から<いい音楽を聴いた>と思わずにはいられないのである。こういった印象を与えるのがヨッフムの持ち味なのだろう。

 本来、CD試聴記を書くのであれば、「指揮者がどこをどのように工夫しているからこのような演奏になり、それが聴き手の共感を生むのである...」などと解説すべきなのだが、恥ずかしいことに私はこうした良質な演奏を前にすると言葉を失ってしまう。一体何をいうべきなのだろうか? よく分からない。しかし、よいモーツァルト演奏を聴きたいと思えば、この演奏を思い出すことが多いし、CDプレーヤーのプレーボタンをひとたび押すと、途中で止められなくなる。

 ここで聴かれるモーツァルトはただ歌うだけ。鮮明な録音は木管楽器が奏でる極上の歌を克明に聴かせてくれる。オケはただ歌うだけ。それだけでこれほど感動的なモーツァルトができるとは。

 音楽を聴く楽しみはいろいろある。私は音楽を聴いて興奮させられることが多い。音楽を聴いて慰められるとか、心が癒されるなどという経験はあまりない。勢い、音楽は自分を奮い立たせてくれるものだと思ってしまう。しかし、このモーツァルトは特に私を奮い立たせてはくれない。慰めてもくれない。ヨッフムは普通に棒を振っているだけらしく、息を呑むような聴かせどころは少ない。それでもなお、モーツァルトの音楽を楽しませてくれる。音楽そのものが身体に沁みてくるとでもいった方がいいのだろうか?

 私は刺激的な演奏を好む反面、こうしたヨッフムの演奏に接するたびに、演奏芸術の奥深さを痛感する。これは、クラシック音楽を聴いていてたまにめぐり合う幸福な瞬間である。

 

2002年1月10日、An die MusikクラシックCD試聴記