パルジファル、その悪魔的な魅力

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CDジャケット

ワーグナー
歌劇「タンホイザー」序曲
舞台神聖祝典劇「パルジファル」から「第1幕への前奏曲」、第3幕からの組曲(聖金曜日の奇蹟、鳴り響く鐘と騎士たちの入場、パルジファルが聖槍を高く掲げる)
楽劇「トリスタンとイゾルデ」から「前奏曲と愛の死」
アバド指揮ベルリンフィル
スウェーデン放送合唱団
録音:2000年11月、2002年3月
DG(輸入盤 474 377-2)

 「あなた、 一体なんて曲をかけているの! CDを止めて!」と家族に言われた経験を持つAn die Musik読者は少なくないだろう。私もこのCDをかけていたら女房に「やめて!」と言われてしまった。音楽は折しもパルジファル第3幕、それも「場面転換の音楽」に突入していた。これを少し大きめの音で聴いていたため、女房はおどろおどろしさに耐えきれなかったようだ。無理もない。私が女房の立場になって考えれば、このような音楽を好んで聴く亭主がいたら人生が嫌になるかもしれない。「場面転換の音楽」から男声合唱が続くあたりは鐘が鳴り響き、金管楽器がどす黒い雰囲気で聴き手を威圧する。低弦の響きは地底から何ものかがはい上がってくるようでまことに恐ろしい。騎士の合唱が「Zum letzten Mal !(これを最後に!)」と叫ぶ部分は、恐くて恐くてとても平常心では聴いていられない。

 しかし、この音楽を愛好するクラシックファンは、私を含め少なくないはずだ。「パルジファル」全曲を聴かなくても、抜粋版や組曲形式で演奏される「パルジファル」第3幕は、悪魔的な魅力を放っている。私はコワイコワイと思いつつ、この神秘的な音楽から離れられない。どのような演奏であれ、「場面転換の音楽」を聴くと、私はそれなりに感銘を受ける。

 なぜワーグナーはここまで悪魔的な魅力を放つ音楽を書けたのか。私はこの音楽を聴く度に、つくづくと思う。ワーグナーという人は、おそらくは清廉潔白という言葉から最も遠い人だったろう。そうした人間であって初めてこのような音楽が書けるのだろうか? 人倫にもとる行いをしながらも、このような傑作を生み出す人物像は、まさに謎である。

 さて、このCDでは「タンホイザー」序曲から「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死」まで約70分の音楽が収録されている。うち約40分が「パルジファル」で占められている。長大な「パルジファル」をつまみ聴きするにはもってこいだ。特に「場面転換の音楽」は、ベルリンフィルの重厚なサウンドが十二分に楽しめる。実は、このCDを聴いていても、指揮者であるアバドの顔は見えてこない。ブラインドテストで指揮者を当てるのは多分至難の業だろう。それでも、ベルリンフィルのサウンドは「場面転換の音楽」を聴いただけで見当がつくだろう。収録された曲はどれもよく整えられた出来映えなので、ワーグナー入門にもいいかもしれない。が、私としては「パルジファル」なら、やはりせめて第3幕くらいは通して聴きたいという思いに駆られる。アバドはこのところワーグナーに取り組んでいるらしいからそのうち全曲盤を出すかもしれない。

 なお、このCDの国内盤には「ワルキューレの騎行」が収録されているという。「ワルキューレの騎行」がなければ売れ行きが心配なのだろうか? 正規盤として発売されているのだから、「ワルキューレの騎行」が収録されていることはアバドも承認済みなのだろうが、私には「ちょっとなあ・・・」という気がする。輸入盤の収録曲には、まとまりがなさそうだが、あることはある。どの曲も「性愛」をモチーフにした音楽の一部である、という点だ。「ワルキューレの騎行」がここに闖入することで、CDとしての価値は高まるのだろうか?

 

2003年7月27日、An die MusikクラシックCD試聴記