トスカニーニ 30年代のライブ録音を聴く

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CDジャケット

ケルビーニ:「アナクレオン」序曲
録音:1935年6月3日
モーツァルト: 交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」
録音:1935年6月14日
ベートーヴェン: 交響曲第7番イ短調作品92
録音:1935年6月12日
荘厳ミサ曲作品125
録音:1939年5月28日
以上、トスカニーニ指揮BBC響
BBC LEGENDS(輸入盤 BBCL 4016-2)

 BBC LEGENDSシリーズはお買い得CDばかりなので見逃せない。しかし、今回のトスカニーニは、2枚組で約3,000円もするし、ベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」のCDはつい最近もイッセルシュテット盤を聴いたばかりなので、買おうか買うまいか非常に迷った。ミサ曲など、深刻で重い曲はそうしょっちゅう聴くものではないと考えているからである。それでも30年代のトスカニーニと聞けば、どうしても食指が動いてしまう。そんなわけだから、家人には気付かれないようにして密かに購入した。

 私はトスカニーニ・マニアではないが、ファンである。その音楽性は卓越していると思う。どの演奏を聴いても他の指揮者とは違う。音楽の躍動感を作り出す火の玉のような情熱がたまらない。速いテンポの演奏が多いのに、軽さではなく、エネルギーを感じる。もっとも、そうした話はトスカニーニ関連サイトが扱っていると思うので、私は静かにしていたい。

 このCDの売りはどの曲なのだろうか? 演奏時間から考えると、ベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」ということになる。確かにこれはすごい。「グロリア」では絶叫する合唱団に混じって私も叫びたくなった。できれば私も座っていないで直立し、トスカニーニの棒について行きたいという、普通ではありえない衝動に駆られた。本当に歌いたくなる。そんな演奏を読者は聴いたことがあるだろうか? これは火の玉演奏の典型である。「クレド」でも、天に届くかと思われる強奏の中に聴かれるドラマチックな歌や、めくるめくフーガを堪能できる。もちろん全曲が終わったところでは、嵐のような拍手だ。おかしいのは、トスカニーニおじさんは一気呵成の猛烈な演奏をしているのに鼻歌混じりで指揮をしていることだ。このCDに始まったことではないが、それがマイクを通してかなりはっきり聴き取れておかしい。

 さて、実は、それほどすごい演奏が収録されているのも関わらず、このCDの売りは「荘厳ミサ曲」ではない。ベートーヴェンの交響曲第7番である。これはトスカニーニファンならずとも、音楽ファンなら聴いても決して損はしないだろう。第7番冒頭を聴いた時には、アクセントがはっきりしていて何だかポキポキしすぎたような妙な印象があった。しかし、すぐにトスカニーニの音楽に飲み込まれる。その音楽の流れは実に力強いもので、徹底的にベートーヴェンのリズムを追求し、磨き上げたアンサンブルも聴きもの。これが非常に見事なために、私は最初NBC響の演奏かと勘違いしたほどだ。

 これはトスカニーニの猛烈な指揮ぶりが窺える高密度快速演奏である。トスカニーニは別に聴衆を急かしているわけではないのだが、リズム感が非常に優れているために、聴いていると音楽に乗ってきてしまう。CDで聴いてさえそうなのだから、ロンドンの聴衆は踊り出したくなったのではなかろうか。少なくとも、じっと椅子に座っていることは辛かったのではないか? そんな風に聴衆を熱狂させる演奏はなかなか聴けない。第4楽章では目眩がするほどの勢いに終始翻弄される。これではまるで催眠術にかかったようなものだ。

 なお、恥を隠さずに書くと、トスカニーニの演奏は通常の演奏を聴き慣れた私の耳には少し違和感があった。古い録音のために音質がどうしても乾きがちだということもあるが、実は私はあまりにもはっきりしたトスカニーニのアクセントに戸惑ったのである。「確かにすごくて、驚くばかりだが、こんな曲だったろうか?」と真剣に考えてしまった。そのため、私は今回だけは楽譜を見ながら聴いてみた(そんなことはめったにやらない)。「少しやり過ぎかな?」と思われたポキポキするようなアクセントは、実はおかしくも何ともない。楽譜には確かにそう書いてある。すると、今まで聴いていた他の録音は、どういうことなのか? 指揮者の解釈の差異には驚くばかりである。

なお、ほぼ同じ時期に録音された「ベト7」が、EMIから出ている。その比較についてはマニアの方々にお願いするとしよう。

(「アナクレオン」序曲と、「ハフナー」については時間切れで今回は書き切れなかった。陳謝。)

 

1999年10月4日、An die MusikクラシックCD試聴記