セル指揮プロコフィエフの交響曲第5番

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CDジャケット

プロコフィエフ
交響曲第5番作品100
録音:1959年10月24,30日
バルトーク
管弦楽のための協奏曲
録音:1965年1月15-16日
セル指揮クリーブランド管
SONY(輸入盤 MHK 63124)

 紙ジャケットで発売されたSONYの「Masterworks Heritage」シリーズの一枚。紙ジャケットは賛否両論あるが、私はどちらかといえば反対派である。

 見た目はかっこよくて、見開きになっているから、解説を本を読むようにして読めるという利点がある。しかし、最大の欠点は積み重ねられないことだ。読者も皆多かれ少なかれ同じ状態だと思うが、CDをどんどん重ね置きしてないだろうか。重ねれば、紙ジャケットでは潰れてしまうのは必定である。困る。変な流行があったものである。

 閑話休題。このCDは別々のLPに収録されていた2曲をカップリングしている。言ってみれば節操のない寄せ集めCDなのだが、解説にはそれなりの理由が書いてある。セルは1965年、とあるコンサートでこの2曲を取り上げているそうだ。なるほど。いかにもセルらしい魅力的なプログラムである。プロコフィエフの5番は1944年に作曲、バルトークの「オケコン」は1943年に作曲されている。ほぼ同時期の作品であり、しかもいずれも今世紀を代表する大作曲家である。組み合わせとしては最高かもしれない。どちらがメインであったか知りたいところだ。楽曲の規模を考えるとやはりプロコフィエフがメインだろうか。

 この曲は20世紀に作られた交響曲の傑作とされており、音楽史的な評価は非常に高いようだ。が、私はあまり好きではない(というより、セルの演奏を聴くまでは好きではなかった)。ほとんどの部分が綺麗に流れすぎてつまらない。私は単細胞だから、20世紀の音楽にはついつい先鋭さや強烈な主張を求めてしまう。もちろん、この大交響曲にもそうした要素は十分盛り込まれているのだろうが、ショスタコーヴィッチを聴いた後ではどうも物足りない。表面的に流麗な音楽はあっけなくて物足りない。そんなイメージをこの曲に持ち続けていた私にセルは「それはいい演奏を聴いてこなかったからじゃないのか」とでも言いたげだ。

 このCDで聴くプロコフィエフの5番はとてもいかしている。今風にいえばイケテル。かっこいい。確かに流麗で、スポーティな感じがするのは否めない。が、面白さは抜群。セルはすっかりこの曲を自分のものにしているらしく、自分の楽器と化したクリーブランド管を縦横無尽に使い回してたっぷりと聴き手を楽しませてくれる。第1楽章は様々な楽器が交錯する様が聴きもので、これはもう「音そのもの」を楽しめる。クリーブランド管の腕前を堪能できる。有名な第1楽章のフィナーレは轟音が鳴り響くかと思いきや、必ずしもそうではなく、セルらしく見事に調和させた重量感で聴き手を圧倒する。

 もっと楽しめるのは終楽章だろう。これほどの腕前のオケを持っているのだからきっと指揮も楽しかっただろう。激しいリズムの中でオケが一糸乱れぬ動きを見せるが、それがいかにも当然という感じで演奏されている。いくらスタジオ録音だからといっても、これはすごい。スポーティどころではなく、曲芸である。いや、それでは失礼だ。匠の技というべきか。

 惜しむらくは録音に厚みが少し足りないことだ。1959年にこのようなステレオ録音が成されたことは素晴らしいが、左右の分離を強調しすぎて、スピーカーの中央にエネルギーが集中しない。まあ、あまり多くのことを要求するのはやめよう。せっかくの名演奏なのだから音ではなく音楽を楽しもう。

 なお、バルトークの「オケコン」は有名な録音なので簡単にコメントしたい。終楽章のフィナーレにカットがあることで悪名が高い演奏であるが、「これがセルか?」と疑いたくなる演奏である。よほどの思い入れがこの曲にあったのだろう。作曲家と同郷であったからだろうか? 「楽譜どおりに演奏しました」などというレベルの演奏ではなく、半分コブシが入ってしまっている。冷たい印象を与えがちなセルではあるが、ここでは思い切り感情移入をしてしまったようだ。オケの比類なき技術とともに、聴き応え十分の演奏。「オケコン」ファンの私も大満足であった。

 

1999年8月4日、An die MusikクラシックCD試聴記