ゲルギエフ、ウィーンフィルを振り回す

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CDジャケット

チャイコフスキー
交響曲第5番 ホ短調 作品64
ゲルギエフ指揮ウィーンフィル
録音:1998年
PHILIPS(輸入盤462 905-2)

 最近話題のCD。1998年7月26日、ザルツブルク音楽祭におけるライブだという。ただし、録音データには26日の日付は記載されていない。一部はやはりリハーサルなどから切り張りしたのであろう。

 それはともかく、元気の出る音楽を聴こうと思ったら、このCDだろう。音楽情報誌などで盛んに取り上げられているし、CDショップの店頭でも目立つように置いてあるので、既に相当数の方が聴かれていると思う。

 音楽情報誌の記事は原則的には提灯記事だと私は考えている。CD制作サイドからお金をもらって記事を書く以上やむを得ない。したがって、その読者はある程度眉につばをつけて読む必要がある。このCDも出た当初から大変な取り上げ方であった。あまり激しく褒めちぎる演奏評が目につくので、私はしばらく買い置きしたまま敬遠して聴く気もしなかった。いくら何でも絶賛がすぎるので、ひねくれ者の私は「本当かな」と思わずにはおれないのである。だが、結論からいうと、音楽情報誌に載っているこの曲の演奏評は「全くその通り」なのである。

 チャイコの5番といえば、熱血型の演奏を私はついつい期待する。冷めた演奏の仕方もあるのだろうが、ロシアの寒い冬をぶっ飛ばすような熱い息吹が感じられなければつまらない。私を含め、そう考えている一般リスナーにとって、このゲルギエフのCDは打ってつけで、ながら聴きなど許されない、手に汗握る白熱の演奏を聴かせてくれる。

 爆演ぶりは第1楽章から少しずつ明らかになってくる。オケの気合いの入り方が従来と全く違う。どの楽器も最高度に燃焼している。特に金管楽器群はすごい。ウィーンフィルの底力をまざまざと見せつけられる。ティンパニも猛烈。テンションは音楽の進行とともに高まり、第4楽章はゲルギエフの「どうだぁ」的演奏が聴ける。ゲルギエフはここでやりたいようにやってしまった。下品になる一歩、いや二歩手前まで行ったと思う。が、下品ではない。えげつなくもない。ゲルギエフのバランス感覚には脱帽である(詳しくはこれから聴く人のために書かないでおこう)。おそらくザルツブルクの聴衆は熱血大演奏を聴きながら、オケの演奏に合わせて叫び声を挙げたくてウズウズしていたのではないだろうか。終演後にはものすごいブラボーだ。

 ゲルギエフは初顔合わせであったウィーンフィルとの録音にこの母国最高の作曲家の曲を選んだ。おそらくは自信と共感があった曲なのであろう。そのどちらかが欠けても、このような熱演は生まれなかったはずだ。聴いていて驚くのはウィーンという甘く優しい言葉の響きとは裏腹に荒武者ばかりが揃っているウィーンフィルが完全に指揮者に呑まれてしまい、好きなように振り回されていることである。この演奏の主役は、ファンには申し訳ないが、やはりゲルギエフその人である。このオケの指揮者いじめは名高く、気に入らない指揮者や、気に入らないテンポ設定があると、指揮者の指示などお構いなしの演奏を始める。そんなオケであるにもかかわらず、ザルツブルク音楽祭に出演したウィーンフィルは若き指揮者ゲルギエフによるロシア魂丸出しの指揮のもと、ゲルギエフの楽器と化してしまっている。

 しかし、誤解のないように申し上げておくと、あれだけの演奏はほかでもない、ウィーンフィルだからできたことである。セルがやはりザルツブルクでウィーンフィルを指揮した「運命」を始め、ウィーンフィルは時として指揮者の燃えるタクトの下で完全燃焼するようだ。ゲルギエフがいかに優れた指揮者だとしても、これと同じ演奏を何度も繰り返すことはできないだろう。演奏の一回性を強く感じさせるCDである。

 

1999年5月14日、An die MusikクラシックCD試聴記