カルショーの名録音を聴く
5.ブリテンとカルショー

文:青木さん

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 多くの歌劇をはじめとする作品を次々に発表していた作曲家ベンジャミン・ブリテンは、指揮者やピアニストとしてもデッカと関係が深かった。オペラのレコード制作を重視していたカルショーにとって、ブリテンとの結びつきが強まったのは自然なことだったに違いない。本書に出てくる彼らの初の共同作業も歌劇の録音で、その曲が「オペラを作ろう、または小さな煙突掃除人」というのは暗示的だ。なおこの録音はカルショーにとって、後に名コンビを組むエンジニアであるゴードン・パリーとの初仕事だったという。

 これはモノラル録音だったが、カルショーは数年後に大作オペラ「ピーター・グライムズ」をステレオ録音する企画を提案し、社内の会議では『初めは嘲笑で迎えられた』そうだが、カルショーの粘りで実現をみたという。だが1958年12月に作曲者自身の指揮により英国で行われた録音に、ウィーンでの仕事が重なったカルショーは参加できず、プロデュースはエリック・スミスが担当。それでもカルショーは事前にブリテンと綿密な打合せを行い、監修という立場で制作に係わったとのこと。そしてこの「ピーター・グライムズ」が商業的にも成功したことで、デッカの『それ以後のブリテン録音に対する懸念を消し去ってしまった』とあるものの、ブリテンがデッカに完全に認められるには「戦争レクイエム」の成功を待たなければならなかったようだ。

 ゲイだったというブリテンは生涯独身を通したが、一方で子供との付き合いがうまかったそうで、上記の初録音の際にブリテンの印象としてカルショーが述べているのもその点。ブリテンが出演者の子供たちと仲良くなって信頼を得る手腕は『実際に目にしなければ信じられないほどに、見事なものだった』という。同様の記述は「戦争レクイエム」の録音エピソードの中にも見られ、児童合唱のための曲を多く作ってもいるブリテンの人柄を伺わせる。

CDジャケット

ブリテン
シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲)作品20
ベンジャミン・ブリテン指揮デンマーク国立放送交響楽団
録音:1953年9月19日 コペンハーゲン
プロデューサー:ジョン・カルショー
エンジニア:ケネス・ウィルキンソン
デッカ(国内盤:ポリグラム POCL4700)

 カルショーは1952年にエリク・トゥグセン指揮デンマーク国立放送響の録音を手掛け、『その会場は不満足なものだった』と記している。本書でデンマークについての記述はこれだけだが、翌年またコペンハーゲンに行ってブリテンとこの録音をしている。デンマーク、あるいはイスラエルやパリなどで現地の(必ずしも一流ではなかった)オーケストラを起用する企画が繰り返されていたのは、もちろんカルショーではなくデッカ社の方針だったのだろうが、理由はよくわからない。ともかくそのせいで、ブリテンのこの傑作はデンマーク国立放送響との録音となったのだった。

 日本国の皇紀2600年の祝典用に作曲したものの、日本政府に演奏を拒否され、1956年に来日したブリテン自身がN響を指揮して日本初演をしたという、いわく付きの作品。大オーケストラによるドラマティックな曲だが、この演奏は抑え気味の表現で、割に淡々と進む。これがこの曲の本質を突いた演奏なのだろうか? 作曲家自身の演奏がもっとも規範的なものになるとは限らないが(例:ストラヴィンスキー)、ブリテンの場合はモーツァルトやシューベルトやバッハの録音を聴けば指揮の才能も豊かであることは明白なので、やはり自作自演盤がスタンダード的名演ということになるのだろう。この録音も、繰り返し聴くうちに心に染み入ってきた。音の方も当時のデッカ録音の水準に達しており、なかなかよい。

 ブリテンはこの曲を1963年にニュー・フィルハーモニア管を指揮してデッカにステレオで再録音しており、同じくカルショーがプロデュースを担当している。こちらはやや派手目の演奏(と録音)だが、基本的には本盤と大差ない。

CDジャケット

ブリテン
戦争レクイエム 作品66
ベンジャミン・ブリテン指揮ロンドン交響楽団
ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(s)、ピーター・ピアーズ(t)、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(br)
バッハ合唱団、ロンドン交響合唱団、ハイゲート学校合唱団
サイモン・プレストン(org)、メロス・アンサンブル
録音:1963年1月3〜5,7,8,10日 キングスウェイホール、ロンドン
プロデューサー:ジョン・カルショー
エンジニア:ケネス・ウィルキンソン
デッカ(国内盤:ポリグラム POCL9793〜4)

 ワーグナーの「指輪」と並んでカルショーの代表作とされている録音。第1回レコード・アカデミー大賞を受けたことは日本だけでの話題だが、カルショー自身もこの曲のために本書でまるまる二つの章を割いているほか、レコード用に「戦争レクイエムの録音」という解説を自ら書いたり(*1)、英GRAMOPHONE誌に寄せたブリテン追悼記事(*2)に「戦争レクイエムのリハーサル」という一項目を設けるなど、並々ならぬ思い入れが感じられる。その録音までの経緯をざっと箇条書きでまとめてみよう。

  • 戦争で破壊されたコヴェントリー市の聖ミカエル大聖堂が再建され、披露の献堂式(1962年5月)のためにブリテンが作品を委嘱される
  • 1962年初め、カルショーはブリテンに、「戦争レクイエム」の手稿を見せられ、作品の価値を見抜く
  • その帰り道に立ち寄ったパブでさっそく録音の予算案を検討したカルショーは、企画を社内で提案する
  • 会社側は経費削減のために初演の模様をライヴ録音することを提案したが、カルショーはそれを却下する
  • ブリテンが作曲時に念頭においていた歌手のうち、ソプラノのヴィシネフスカヤはソ連政府の圧力(*3)で直前になって参加できなくなり、へザー・ハーパーが代役となって初演が行われる
  • 初演の大成功にもかかわらずデッカ側は録音に消極的だったが、とにかく1963年の1月に録音することが決まり、他社専属のディースカウや初演には参加できなかったヴィシネフスカヤを含めブリテンが理想とするキャストが揃うこととなる

 この後カルショーは、録音現場での大トラブル、リハーサルの隠し録音、ジャケットデザインを巡る攻防など、いろいろなエピソードを書き連ねている。それらは本書を読んでいただくとして、ここではレコードの大ヒットに伴う後日談だけをご紹介。プレス数の見込み違いで品不足となってしまったことを受けて、デッカの担当者はカルショーにこう言ったというのだ。『彼に、同じくらいよく売れるレクイエムをもう一つ頼めないかな? 同じミスは二度としないよ』。

 この曲は、ラテン語の典礼文による6つの部分のそれぞれに、戦争詩人ウィルフレッド・オーエンによる英語の詩が挿入されるという構成になっていて、前者を管弦楽・合唱・ソプラノ独唱が、後者を器楽アンサンブルとテノール独唱・バリトン独唱が担当する。二人の男性歌手は英国軍兵士とドイツ軍兵士という敵同士の役だ。彼らの独語及び対話を通じて戦争の愚かさを描くこの詩が素晴らしく、対訳を読みながら聴いているうちに深く感動してしまうのだが、カルショー得意の音響設計によってこの構成が明瞭に再現される。

 主体となるオーケストラと混声合唱を左右いっぱいに拡げる一方、男声独唱と器楽合奏は右寄り、ソプラノ独唱と児童合唱は左寄りに配置され、対比的な別の世界の存在であることが示される。合唱の中でも天使的な役割の児童合唱は距離感を演出するために離れた位置に置いた上で専用マイクは付けなかったというが、まさに天から響いてくるような雰囲気が出ている。男声独唱と児童合唱が絡み合う箇所の効果などは絶妙で、カルショーとデッカ技術陣がオペラ録音で培った手法(あえていえば「ソニック・ステージ」)が最大限に活かされているかのようだ。まさにカルショーの代表作というにふさわしい。

 ブリテンの音楽は、特に多彩な金管と打楽器の雄弁さが印象的で、もっとスペクタキュラーな表現もできそうなのに、それらが決してやかましく鳴り響かないところにセンスを感じる。一方で、混声合唱が対位法的に展開する部分は充分に迫力があり、このあたりのバランスはやはり歌詞に込められたメッセージを重視しているのだろう。そしてラストのグッとくるクライマックス、二人の兵士による「さあ、眠ろうではないか…」に応えて児童合唱が響いてきて、ついに全合奏となり、やがて鐘の音が打ち鳴らされ静かに曲が閉じる。まったくもって素晴らしい名曲・名演・名録音だ。

 

<註>

(*1)

国内盤LPの解説書に掲載されていたが、CDでは省略。「初めてこの曲をきく人たちのための手引きとなるような簡単な注釈を、専門的な表現を避けて、ほんの少しだけ書くように」というブリテンの指示に沿って書いたという。録音風景の写真も掲載されている。

(*2)

1977年2月号。『グラモフォン・ジャパン』(新潮社)2001年1月号のブリテン特集の中で邦訳が掲載された。

(*3)

本書訳注による。上記LP解説書では、夫のロストロポーヴィチの急病が理由だったとされている。今となっては実感も薄いが冷戦中だった当時は、英独ソの歌手を共演させること自体に、この曲の演奏意義があったに違いない。

 

<参考>

  • 1999年に発売されたリマスターCDには、50分弱の録音リハーサルが付いている。その音源は、その年の秋に50歳を迎えるブリテンのために誕生日プレゼント用の私家版LPを作ろうと、カルショーが隠し録音をして編集したものだそうだ。ブリテンはこの贈り物を気に入らなかったようだが、カルショー自身は素晴らしいものだと述べ、『ブリテンのプロ意識の高さと、子供に何を歌っているかを理解させる場面において発揮された、スタジオでの心理学者ぶりを示すものになった』としている。この録音の重要なポイントの一つが児童合唱であることを示す逸話だと思う。
  • 1989年に製作され数年前に日本でも公開されたデレク・ジャーマン監督の映画「ウォー・レクイエム」では、このブリテン盤がサウンドトラックに使用されている。というより、デッカのこの録音に自由な映像を付けた作品であり、サブタイトルは「ヴィジュアル・オペラ」。DVDも出ているが、公開時に映画館の大画面を観ながら大音響で聴くことができたことは、個人的には得がたい体験だった。
CDジャケット

ブリテン
チェロ交響曲 作品68
ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(vc)
録音:1964年7月16〜18日 キングスウェイホール、ロンドン
プロデューサー:ジョン・カルショー
エンジニア:ゴードン・パリー
デッカ(国内盤:ポリグラム POCL9780)

 ロストロポーヴィチのために書かれ、初演の翌日から録音が始まったというこの曲を、カルショーは『何というか奇妙に特徴のない作品』と評しており、言い得て妙だ。正式名は「チェロと管弦楽のための交響曲」だが、いずれにしても「協奏曲」とは名付けられていない。ブリテンの交響曲は他にも前述した「鎮魂交響曲」、弦楽編成の「シンプル・シンフォニー」、声楽入りの「春の交響曲」など一筋縄ではいかぬものばかり。この曲も、四楽章構成とはいえ実態はどう聴いてもチェロ協奏曲だし、室内管弦楽団を起用していることからも想像がつくようにいわゆるシンフォニックなものでもない。アダージョの第3楽章では終始ティンパニが活躍し、カデンツァを挟んで終楽章はパッサカリア。決して特徴がなくはないし、聴いている間はけっこう楽しめるのだが、聴き終わった後にあまり印象が残らないという、不思議な曲だ。

 ロストロポーヴィチについては、『私の長い年月で一度も見たことのなかった音楽家だった』と述べている。彼が修正を求めた演奏のミスの中には、カルショーやブリテンにも聴き取れないようなものもあったという。『オーケストラはほとんど畏敬の念を持って、これらのことを観察していた』。しかも彼は首席チェロ奏者に技術的なアドバイスを求めさえしたそうだ。

 ハイドンのチェロ協奏曲第1番が同時に録音されている。


CDジャケット

“BRITTEN CONDUCTS ENGLISH MUSIC FOR STRINGS” 「弦楽合奏によるイギリス音楽」

  • パーセル/ブリテン編:シャコンヌ ト短調
  • エルガー:序奏とアレグロ 作品47
  • ブリテン:前奏曲とフーガ 作品29(*)、シンプル・シンフォニー 作品4
  • ディーリアス/フェンビー編:2つの水彩画
  • ブリッジ:ロジャー・ド・カヴァリー卿[クリスマス舞曲]

ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団
エマヌエル・ハーウィッツ、ケネス・シリトー(vn)、セシル・アロノウィツ(va)、バーナード・リチャーズ(vc)
録音:1968年12月、1971年9月(*) モールティングス、スネイプ
プロデューサー:デーヴィッド・ハーヴェイ、レイ・ミンシャル(*)
エンジニア:ケネス・ウィルキンソン、ゴードン・パリー
デッカ(国内盤:ユニバーサル UCCD9206)

 この録音は本書には出てこないし、そもそもカルショーのプロデュースではないのだが、大好きな一枚なのであえて採りあげたい。自作を含む英国の作曲家の弦楽作品を、ブリテンの手兵とも言われた(彼が創設したオールドバラ音楽祭に毎年参加していた)イギリス室内管を指揮し、英デッカが録音したという、純ブリティッシュなアルバムだ。渋い曲も含まれているが、いずれも心に染み入るような丁寧な演奏で、ブリテンの名指揮者ぶりを伺わせる。

 さらに特徴的なのが、暖かく美しいと同時にしっかりと芯のある、素晴らしい音の良さ。この録音の前年に完成したホール「ザ・モールティングス」について、本書でカルショーは『多目的な音楽会場として、驚異的な適合性を発揮した』として、その音響を絶賛している。古いモルトハウスを改造し(アラップ社が設計しデッカとBBCが音響設計に協力したそうだ)、こけら落しには女王陛下もやって来たというこのホールは、オールドバラ音楽祭の主会場になると同時に、ブリテンの活動の本拠地ともなった。その外観写真をジャケットにしている(さらに原ライナーでわざわざ由来が解説されている)ことからもわかるように、このアルバムはその御披露目の意味もある特別な一枚なのだ。これもまたブリテンの代表盤に挙げてよいのではなかろうか。

 ちなみに、同時に録音されたバッハのブランデンブルク協奏曲も、最高の演奏と音質なので大推薦。輸入盤は”DOUBLE DECCA”シリーズで出ているが、かつてキングレコード社から出ていた全曲盤にはイモジェン・ホルスト(グスタフ・ホルストの娘で、ブリテンやピアーズと共にオールドバラ音楽祭の芸術監督だったとのこと)による詳しい解説の日本語訳が掲載されている。

 

・・・・続く

6.他の名演奏家たちとカルショー」はこちらです。

 

(2005年8月31日、An die MusikクラシックCD試聴記)