ライブ録音について

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その1

クナッパーツブッシュ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団による「ばらの騎士」CDジャケット

R.シュトラウス
「ばらの騎士」全曲
クナッパーツブッシュ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団
マリア・ライニング(元帥夫人)、ユリナッチ(オクタヴィアン)、ギューデン(ゾフィー)、クルト・ベーメ(オックス男爵)等、豪華キャスト
録音:1955年11月16日、ウィーン国立歌劇場
RCA(輸入盤 74321 69431 2)

 An die Musikを開設した頃、私はライブ録音の賛美者でした。まだまだ物珍しかったということもありますが、いわゆるスタジオ録音にない豪快な音楽に接することができるライブ録音を楽しんでいたものです。

 ところが、ここ1年ほどの間にすっかり逆行してきて、今では古き良き時代にお金と時間をたっぷりかけたであろうスタジオ録音の愛好者になってしまいました。仮に編集が入っているとしてもスタジオ録音の方がいろいろな面で質が高いと感じられるからです。ライブを音源にしたCDは、制作が簡単なのか、ものすごい勢いで市場に投入されてきますが、私の場合それで食傷気味になってきたのかもしれません。

 そうは言っても、スタジオ録音にはない魅力がライブ録音にはあります。例えば、クナッパーツブッシュが1955年に演奏した「ばらの騎士」。ウィーン国立歌劇場再開記念公演のひとつですが、会場の雰囲気が自分の部屋にまで伝わってきます。3重唱も過ぎ、幕切れのところでオーケストラの演奏が終わらないうちに自然と会場から拍手が沸き上がってきます。私もドイツやオーストリアでオペラに接して、その雰囲気を少しは知っていますし、このように沸き上がる拍手が決して特別なものではないということも承知しています。それでも、この演奏にこの拍手があまりにも自然で、聴いた後とても気持ちよくなるのはどうしたことでしょうか。こうしたCDを聴くと、やはりライブ録音は貴重であるな、と思わざるを得ません。

2005年4月3日掲載

 

その2

ベルティーニ指揮マーラー:交響曲第8番CDジャケット

マーラー
交響曲第8番 変ホ長調 「千人の交響曲」
ベルティーニ指揮東京都交響楽団、他

録音:2004年5月20日、みなとみらいホール
fontec(国内盤 FOCD9216)

 欧米ではクラシック音楽のCDは、自分の行ったコンサートやその演奏家の思い出のために買うものだ、という意味の文章をどこかで読んだことがあります。そういう社会では、1,000枚単位でCDを保有することなどおよそ考えられないでしょう。多分私の部屋をみたら、「どこかおかしいのでは?」と思う人がいてもおかしくはありません。

 しかし、私のような人間でもコンサートを思い出すために買うCDもあります。マーラー指揮者としてつとに有名なベルティーニは、私が住む地方都市さいたまで都響を率いマーラーの全曲演奏会を敢行しました。上記CDは5月20日に行われた、みなとみらいホールでのライブ録音ですが、私はその前日に全く同じキャストで行われたコンサートをさいたまで聴いています。当日の「WHAT'S NEW?」に記載したとおり、これは私に強烈な印象を与えました。都響とのマーラー録音は順次CD化されていたので、この「千人の交響曲」もCD化されるに違いないと読んで私は鶴首していました。CDショップに並んだその日に購入したのは言うまでもありません。それが、まさかベルティーニの追悼盤になってしまうとは・・・。

 埼玉会館とみなとみらいホールとでは月とすっぽんほどの差がありますので、このCDで聴く音よりもずっと乾いた音で私はこの曲を聴いたわけです。また、みなとみらいホールでの方が演奏家も燃えると言います。もちろん埼玉会館と同じ演奏ではありえません。それでも、完全とは言いにくい声楽陣の様子がこのCDからも窺えて、何となく当日の余韻を感じさせます。ベルティーニはあの世に旅立ってしまいましたが、その人生の最後の局面にさいたま市まで来てくれたことを忘れることはできなくなりました。これは私にとって記念すべき重要なCDであります。

2005年4月4日掲載

 

その3

ホロヴィッツ、1965年ヒストリックリターンCDジャケット
右記曲目の他に、ボーナストラック=シューマン:子供の情景 作品15 全曲(1962年スタジオ録音)
DVD『ホロヴィッツ:ザ・ラスト・ロマンティック』 を収録

バッハ/ブゾーニ:トッカータ、アダージョとフーガ ハ短調 BWV.564
シューマン:幻想曲 ハ長調
スクリャービン:ピアノソナタ第9番 ヘ長調 作品68「黒ミサ」
スクリャービン:詩曲 嬰ヘ長調 作品32-1
ショパン:
 マズルカ第21番 嬰ハ短調 作品30-4
 エチュード第8番 ヘ長調 作品10-8
 バラード第1番 ト短調 作品23
シューマン:トロイメライ
ピアノ:ホロヴィッツ

録音:1965年、カーネギーホール
SONY CLASSICAL(国内盤 SICC 161-3)

 ホロヴィッツが12年ぶりにコンサート復帰をした1965年のカーネギーホール公演は、「ヒストリック・リターン」として知られています。この大げさな言葉はさすがにホロヴィッツのためにだけ使われているようですが、彼のコンサート復帰は当時大変な話題であったに違いありません。ライブ盤が作られるのは当然でしょう。冒頭の伝説的とまで言われるミスタッチを含め、本人が承認し、その年のうちにLPが発売されています。

 このCDは、ピアノの巨人による12年ぶりの公開演奏を丸ごと収録していて、それだけで「ヒストリック」であります。ホロヴィッツの信奉者でなくても、この録音に聴き入っている人は多いでしょう。私も何度も聴いたCDです。

 ただし、これを聴くといくら優れた演奏だとしても、「ライブ録音とは恐ろしいものだ」と一面では考えさせられます。ホロヴィッツもマシーンではないので、演奏には微妙なキズがあります。例えば、本当に枝葉末節的ではありますが、シューマンの幻想曲第2楽章を聴いていると、ライブというのは大変なことなのだなと痛感します。ホロヴィッツはちょっと躓きそうになりながら演奏しているように聞こえる箇所があるのです。彼はそれを見事にリカバリーしていくわけですし、その様子が再現されるのでとてもスリリングでありますが。

 さて、このように「ヒストリック・リターン」のCDとしてまとめられていればともかく、この中から切り貼りしたいわゆるコンピレーション・アルバムが出ていることに私はちょっと違和感を覚えます。ホロヴィッツの演奏を聴ける、ということ自体に価値はあるでしょうが、正直なところ、ホロヴィッツには気の毒な気がします。

 コンサートではまず気にならない些細な点も、CDでは会場の熱気とは無関係に演奏が、そして音が克明に再現されるために気になってくることがあります。ひどい場合には、その些細な点だけが印象に残ることがあります。これは「木を見て森を見ず」の状態になることを意味しているので、何とも困ったことですが、私もそうなることが多々あります。私は普通の人間ですので、常に大局的に「森」を見るということはできません。

 ここからは、一般論になります。それも憶測の範囲を出ないものですので、眉につばをつけて読んで下さい。

 死後に、生前の契約関係からどのようなCDを出されても文句の言いようがないのかもしれませんが、もしかしたら、演奏家本人の名誉にはならない演奏であっても、契約上の縛りから発売をしなければならない録音がこの世には結構出回っているのではないか、と私は思います。特に、ライブ盤はその演奏家の名前だけで売れる場合がありますから、なおさらそうではないかと私は考えています。ある時期には「だれそれの爆演が出た」と言われ、喧伝されたとしても、もしかしたら演奏家本人にとっては広めたくないものである場合だってあるのではないでしょうか。録音とは、その人の演奏を克明に捉え、後世に残してしまうものだけに、諸刃の剣であると私は思うのですが、いかがでしょうか?

2005年4月5日掲載

 

その4

バーンスタイン指揮ウィーンフィルによるブラームス:交響曲第1番CDジャケット

ブラームス
交響曲第1番 ハ短調 作品68
バーンスタイン指揮ウィーンフィル
録音:1981年10月1-12日、ウィーン、ムジークフェラインザール
DG(国内盤 F35G 50060)

 これはバーンスタインの代表的な録音のひとつですね。ドイツ・グラモフォンは最晩年のバーンスタインの指揮で数々のCDを作りました。特徴的なのは、そのほとんどが「ライブ録音」と銘打たれていたことです。

 このブラームスのCDも、「ライブ録音」と表記されています。が、「本当にライブなのか?」という疑問を今もって私に投げかけます。ライブというからには通常何月何日のコンサートの模様を収録、というイメージを持ちますが、この録音はそうではありません。録音データが正しいとするならば、1981年10月1日から12日まで、実に12日間をかけて収録したことになります。いくら何でもいこんなに毎日同じ曲をコンサートでは取りあげないでしょう。聴衆のいない会場で行われたリハーサル部分も、ある程度編集過程で取り入れられているようであります。CDからは会場ノイズもきれいにカットされています。

 ある時期に、ドイツ・グラモフォンにおいては「ライブ」という言葉が、おそらく「コンサート会場で収録した音源」という意味に変質してしまったのだと私は考えています。聴衆がいる、いないにかかわらず、コンサート会場で収録していれば、あるいは、コンサートで現実に鳴った音が含まれていれば「ライブ」と謳われているような気がします。バーンスタインはギャラの高い指揮者ですから、「演奏会用のリハーサルをし、コンサートを実際に行い、さらにCD用の録音を別途行う」という行程を全て実施するのが難しかったのでしょう。

 そうではあっても、ずっと聴き継がれる質の高いCDができているわけですから、それを今さら非難できません。実際、バーンスタイン指揮による一連の「ライブ録音」を聴いていると、編集はされているのでしょうが、私のような素人レベルでは編集箇所がどこなのかさっぱり分かりません。長い曲を丸ごと聴いて、「ああ、いい演奏だった」と率直に思いますし、こうしたライブ録音のうち相当数が名盤に数えられているはずです。

 しかし、こうしたライブ録音が登場し、一時にせよ市場を席巻したことで、「スタジオ録音」と「ライブ録音」という言葉が殆ど意味不明になったと私は感じています。編集された音楽というのは本当に「ライブ」と呼べるのでしょうか? 「ライブ」と銘打てば価値が高いように感じてしまいますが、私はこのような言葉の使い方をあまり好みません。実際にどの程度編集の手が入っているのか知りたいところです。実態を業界関係者からこっそり教えてもらいたいものだとかねがね思っているのですが、そうこうするうちに何と20年が過ぎました。あまり深く考えないでも日々の音楽鑑賞に支障はないということなのかもしれません。

2005年4月6日掲載

 

その5

ソコロフのシューベルト:ピアノソナタ第21番CDジャケット

シューベルト
ピアノソナタ第18番 ト長調 作品78 D.894
ピアノソナタ第21番 変ロ長調 D.960
ピアノ:ソコロフ
録音:1992年8月、フィンランディア・ホール
OPUS111(輸入盤 OP30387)

 クラシック音楽を録音しようと思い立った先人達は、オーケストラであれ、器楽曲であれ、コンサートをありのままに記録し、それを販売しようとはあまり考えなかったと思われます。ライブでは取り直しができないためでしょう。わざわざリスクを背負い込み、しかもマイクの設置などに制約がありそうなライブ録音に先人達が積極的でなかったとしても不思議ではありません。クラシックの商業録音といえば、スタジオで時間をかけて行われるものが普通だったはずです。

 ところがある時期から、ライブ録音をメインにその成果を世に問う動きが出てきました。それまでは特殊イベント時の録音が世に出回る程度だったのが、ここ20年ほどで様変わりし、ライブ盤で勝負するという演奏家が現れるに至ったようです。ライブ盤ばかりというのはバーンスタインを嚆矢としているのでしょうが、この流れでは別の演奏家群が現れそうです。例えば、晩年のギュンター・ヴァント。この指揮者の代表的録音はすべてライブ録音です。彼は、ライブに相当なこだわりがあったのだと私は推測しています。

 ピアノでもライブ盤で勝負している人がいます。例えば、ソコロフ。この途方もないピアニストの直近のCDは全てライブ盤であります。全て、というのは明らかに演奏家の強い意志がなせる技です。仮にプロデューサーが最初にライブ盤を企画したとしても、ライブ録音をずっと続けるのは、演奏家本人の意志がなければできないはずです。

 このCDに収録されているシューベルトのピアノソナタ第21番を聴くと、その演奏に圧倒されます。長大なこの曲に長さを感じさせません。ソコロフは、この曲を咀嚼し、完全に自分のものとしたうえで、自分の語り口で演奏を進めます。ピアノのテクニックを云々する前に、曲を聴かせるその語り手としての力に私は圧倒されます。おそらくソコロフは、聴衆を前にしてこそ良い音楽作りができる人なのでしょう。そうでなければ、わざわざリスクの多いライブ録音ばかりを出しません。

 私は演奏家ではありませんので、その心理は推察するしかありません。ピアニストやバイオリニスト、あるいは声楽家は聴衆がいないところで練習はできるものの、やはり燃えないのでしょうか? こういうCDを聴くと、じっと耳を傾けてくれる聴衆がいてこそ持てる力を発揮できる演奏家が結構いるのではないかと思われてきます。

 ピアニストは、たった一人で毎回のコンサートで大勢の聴衆と対峙しなければなりません。その緊張とプレッシャーは大変なものだろうと思いますが、その一方では、聴衆がいない演奏に張り合いがないと感じたりするのかもしれません。ライブ盤で勝負するというのは、ひょっとすると、演奏家にしてみれば自然な動きなのかもしれません。演奏家の要請に、録音の技術が追いついてきたということなのかもしれないと私は想像しています。

2005年4月7日掲載

 

その6

カラヤン指揮シュターツカペレ・ドレスデンによるシューマン:交響曲第4番CDジャケット

バルトーク
ピアノ協奏曲第3番 SZ.119
ピアノ:アンダ
シューマン
交響曲第4番 ニ短調 作品120
カラヤン指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1972年8月13日、ザルツブルク
DG(輸入盤 447 666-2)

 これはカラヤンがシュターツカペレ・ドレスデン(以下、カペレ)を指揮した唯一のライブ録音です(海賊盤を除きます)。カラヤンにとってシュターツカペレ・ドレスデンは全く縁遠い団体でした。ドレスデンでの客演の記録はないはずです。このライブ録音の場合は、ザルツブルク音楽祭に招聘されたシュターツカペレ・ドレスデンの指揮台に、たまたまカラヤンが立ったというものでしょう。つまり、音楽祭という常ならぬ機会がこのような出会いを生んだわけです。

 演奏は、シューマンが聴きものです。第1楽章のたたみかけるようなリズム、第4楽章の流れるような弦楽器の歌いぶりと強力な金管楽器の咆哮が印象的です。この当時はカペレは黄金期を迎えていました。カラヤンの指揮に応じて威風堂々の演奏をしています。カラヤンをベルリンフィルとのスタジオ録音で耳にしていると、特にこの当時は冷たく、精巧で機械的な響きによる演奏をイメージしますが、ここでは冷たさなど微塵もありません。大変男性的・豪快な演奏だと思います。

 こうなると、もっと他にカラヤンがカペレを指揮したCDはないのかと気になってきます。あるにはあります。ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(EMI、1970年録音)です。「マイスタージンガー」の録音は、この曲の代表的録音として知られています。が、これで終わりなのです。スタジオ録音で「マイスタージンガー」、ライブ録音でシューマン。しかも、「マイスタージンガー」の録音は当初カラヤンではなく、バルビローリが指揮するはずでした。バルビローリが何らかの理由で降りた後、カラヤンが指揮することになったのですが、偶然とはすごいものです。代表的な名盤とされる録音もこうした偶然が生んでいるのです。

 シューマンにしても偶然の産物です。が、こうした偶然がなければ、私たちはカラヤンがカペレと作った音楽を空想するしかなかったでしょう。たった1枚であっても、ライブ録音が残されたのは、非常に喜ばしいことだと思っています。


追記

 このカラヤンのコンサートは1972年8月13日に行われていますが、ほぼ同時期にカール・ベームがカペレを指揮した激烈なライブ録音が残されています。詳しくはこちらをご覧下さい。

 なお、この頃、カペレの名盤といわれる録音が続々と制作されています。スウィトナーのモーツァルト「魔笛」全曲(RCA、1970年6-7月録音)、ケンペのR.シュトラウス管弦楽曲集(EMI、1970〜1974年録音)、サヴァリッシュのシューマン交響曲全集(EMI、1972年9月録音)、クライバーの「魔弾の射手」(DG、1973年1-2月録音)などです。これらの録音を聴いてシュターツカペレ・ドレスデンのファンになった人も多いのではないでしょうか。

2005年4月8日掲載

 

その7

カラヤン指揮ベルリンフィルによるベートーヴェン:交響曲第9番CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第9番 ニ短調 作品125
カラヤン指揮ベルリンフィル、ほか
録音:1979年10月21日、東京、普門館
DG(国内盤 UCCG-9396)

 これは、1979年にカラヤンが東京普門館で行ったライブ録音で、発売と同時に大きな反響を呼びました。重量級の音と、切れ味鋭いアンサンブルが両立したカラヤンならではのベートーヴェン演奏が聴けます。カラヤンのライブ演奏として貴重であるのはもちろん、この交響曲のひとつの演奏スタイルを示しているとも思えます。私はこのCDをかじり聴きしようと思ってCDプレーヤーにかけたところ、演奏の気迫に押され、そのまま全曲を聴き通してしまいました。

 CDのジャケットの裏面を見ますと、舞台の前後左右に楽員、ソリスト、合唱団が並んでいて壮観であります。聴衆が5,000人もいるためにこれだけの布陣を余儀なくされたのでしょうが、ピリオド奏法が一般的ではなかったカラヤン時代における物量投入の確固とした記録といえるでしょう。

 さて、なぜこのCDを取りあげたかといいますと、カラヤンの演奏について語りたいのではなく、CDの製造工程が分かるからです。このCDで聴く音はリマスタリング段階で様々な処理を施されているらしく、しかもリマスタリングの前後でどのような差があるかまでCDの解説には書いてあるのです。解説には元NHK音楽部洋楽担当部長の前和男さんの文章が掲載されていますので、以下にその一部を引用いたします。長い引用ですが、何卒ご容赦下さい。

・・・
 こうしてデジタル録音されたその音は、1979年のものとは思えないほどの完成度を示している。それでもハノーヴァーのスタジオでリマスタリングされた音質的向上には目を見張る、いや、耳を疑うばかりであった。デジタル初期、私たちがその音質に抵抗をおぼえた特性が原録音では少なからず聴きとれたものである。たとえば、弦楽器のざらつき、低音域がすっきりと抜けず混濁してしまうことなど・・・・・・。リマスタリングの技術はそれらの不満の大半をみごとに払拭させた。エコーマシンなど当時のものとは比較にならない最新の技術も駆使されたのだろう。NHKの原録音を素肌に例えれば、リマスタリングされた音はより美しく薄化粧がほどかされている。ステレオの定位感、遠近感も自然になり、聴感上の解像度も驚くほど向上した。まさに技術革新の勝利。ただ、それ以上に感心させられるのはリマスタリングを担当したディレクターとエンジニアの耳と音楽的センスの確かさである。全体的にはベルリン・フィルハーモニーの魅力である重心の低い音の響きと豊かなパースペクティヴを獲得しており、原録音に入っていた会場ノイズや雑音さえも注意深く取り除かれている。

 私はこの演奏を自分の耳で聴いたであろう方々が、このCDの音を聴いて驚いていることに興味を示しています。自分が聴いて大きな感銘を受けたコンサートについては、その音までもが美化されるものだと私は思っていたのですが、このCDは私の勝手な予想を裏切ります。

 ライブと明記してあるCDを聴くと、あまりにきれいな音なので「これは本当にライブ録音なのか?」と疑問に思うことがよくありますが、上記文章を読むと、リマスタリングの行程を通じてライブ録音でも音やステレオ感を磨き上がることが可能だということがよく分かりますね。会場ノイズや雑音まで消せるというのは想像はしていたのですが、やはり現実的に可能だったわけです。また、個々に記載されていない様々な技術がリマスタリング段階で施されているとも考えられます。技術の進歩とはすごいものだと思わざるを得ません。

 しかし、その一方で、そのコンサートに居合わせた人たちがびっくりするほどの音にしてしまうのは是か非か私のような天の邪鬼は考えてしまいます。なんとも贅沢なことではありますが。

2005年4月13日掲載

 

その8

リヒテルのベートーヴェン後期ピアノソナタCDジャケット

ベートーヴェン
ピアノ・
ソナタ第30番 ホ短調 作品109
ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 作品110
ピアノ・ソナタ第32番ハ短調 作品111
ピアノ:リヒテル
録音:1991年10月、ドイツ、ルートヴィッヒスブルク、オルデンスザール
PHILIPS(国内盤 PHCP-10521)

 ドイツ派遣中の1991年10月19日に私はリヒテルのコンサートを聴くことができました。場所はフランクフルトのアルテ・オパー小ホール。10月19日が私の誕生日であったため、日付まで正確に覚えています。

 リヒテルがフランクフルトで演奏するというのは、当地でもビッグ・ニュースだったようでした。プログラムは当日会場に行くまで分からないと言われ、話題性も十分。当日の朝刊でも「何を弾くのか?」と噂されていました。

 当日の演目は、ベートーヴェン最後のピアノ・ソナタの3曲でした。会場の照明を落とし、自分の手元だけを明るくして演奏する姿は何かの儀式のようでした。当時リヒテルはどこでも会場を暗くして演奏していたそうですね。

 私の目の前に現れたリヒテルは、76歳という年齢のせいかとても頼りなく見え、歩くのもちょっと心許ないという有り様でした。さらに、演奏中も楽譜にかじりついて演奏しているようで、譜めくりの人に対して「早くめくれ!」と顎で指図していたのが印象的でした。私の目には、ベートーヴェンの3曲を何とか無事に演奏し終えたというように見えたものです。終演後、会場からの拍手も熱狂的というにはほど遠く、この高名なピアニストが老齢であるにもかかわらずコンサートを開いてくれたことに対する儀礼的な拍手であったように思えました。

 私がリヒテルを生で聴いたのはこの一度限りです。で、その一度限り、というのが良くなかったようです。極端に弱々しいというイメージを持ってしまいました。

リヒテルとボロディン四重奏団とのシューマン:ピアノ五重奏曲CDジャケット フランクフルトでの印象が強かったため、1990年以降のリヒテルに対して、私はあまり注目していなかったのですが、その後にボロディン四重奏団と共演したシューマンのピアノ五重奏曲(TELDEC。1994年6月録音、ナントでのライブ。左写真)を聴くと、リヒテルさんはバリバリというか元気はつらつと演奏しているではありませんか! 「あれ?どちらが本当のリヒテルなの?」という疑問が頭をよぎったのは言うまでもありません。

 演奏家だっていつも体調が優れているわけではないでしょうし、たまたま気分が乗らなかった演奏というのはいくつもあるでしょう。となると、たった一度その演奏家のコンサートを聴いたくらいで、「あの人はこうだった」と決めつけるのは実に危険なことだと思います。特に、その一度きりの経験が良くなかった場合には。

 そう思ってリヒテルのCDを見ていくと、私がフランクフルトで聴いた曲がそのまま、ほとんど同じ時期にライブ録音されたものがありました。録音の日にちまでは解説に明記されていませんが、一説には私が聴いたコンサートの二日前だとか。CDを聴くと、「若い頃はこうは弾かなかっただろうな」というところがあるにせよ、堂々とした演奏をしていますし、3曲ともベートーヴェンの後期ピアノソナタらしい深みを十分に感じさせてくれています。これはリヒテル最晩年の姿を知るための特別なCDという位置づけが必要がありません。ベートーヴェン最後のピアノ・ソナタを聴くためのCDのひとつと考えて問題ないと思います。

 最晩年のリヒテルはどの録音もライブで行うことを希望したそうですが、それは最晩年になってから可能になったことがリヒテルの中にあり、彼はそれを後世に残そうと考えていたのではないかと想像されます。若い頃の名人ぶりは必ずしも発揮できなくても、現役であった時期にはリヒテルはリヒテルたり得たのでしょう。

 私がフランクフルトで聴いたものはいったい何だったのかと時々反省します。私はリヒテルを聴いたのではなく、その老いた姿を見て、演奏を判断してしまっていたのだと思います。

2005年4月17日掲載

 

その9(最終回)

 

 いよいよ「ライブ録音について」も最終回を迎えました。「ライブ録音について」というテーマ以外にストーリー性も論理的展開もないままに書き連ねてみました。途中で何かまとまった考えでも出てくるのでは?と期待しましたが、そうはなりませんでした。駄文を連載したことを何卒ご容赦下さい。

 なお、何とか最終回にまでこぎ着けたことは意外であります。実は、次女の誕生予定日は本日だったのであります。女房は今もふうふう言っているのですが、まだ生まれそうにありません。生まれたら生まれたで、大騒ぎになり更新の時間は取れないだろうなと諦めていたのですが、とうとう予定日を迎えてしまいました。といっても、いつ女房が産気づくか分かりません。4月になってからはなるべくまめに更新してきましたが、今後がどうなるか、私が最も心配であります。

 前置きが長くなりました。最終回の本文は以下の通りです。


バルトリ:ライブ・イン・イタリーCDジャケット

バルトリ/ライヴ・イン・イタリー

    1. 翼を持つ愛の神:カッチーニ
    2. アマリッリ:カッチーニ
    3. 泉へ、草の原へ:カッチーニ
    4. オラトリオ「時と悟りの勝利」〜刺は捨ておき:ヘンデル
    5. 歌劇「グリゼルダ」〜二つの風にかき乱され:ヴィヴァルディ
    6. 鳥よ、年ごとに K.307:モーツァルト
    7. 羊飼いの娘 D.528:シューベルト
    8. ハバネラ:ヴィアルド
    9. アイ・リュリ:ヴィアルド
    10. ザイーデ 作品19-1:ベルリオーズ
    11. マリンコニア、やさしいニンフ:ベルリーニ
    12. 満足なさい:ベルリーニ
    13. 糸巻:ドニゼッティ
    14. 家を建てたい:ドニゼッティ
    15. 黙って嘆こう ニ長調:ロッシーニ
    16. 黙って嘆こう「恨みごと」 ニ短調/ニ長調:ロッシーニ
    17. 黙って嘆こう「ソルツィコ」 ト長調:ロッシーニ
    18. チロルのみなしご:ロッシーニ
    19. 歌劇「ゼルミーラ」〜王座へお戻りください:ロッシーニ
    20. 歌劇「フィガロの結婚」〜恋とはどんなものかしら:モーツァルト
    21. スペインのカンツォネッタ:ロッシーニ
    22. カロ・ミオ・ベン:ジョルダーニ
    23. 黒人の歌:モンサルヴァーチェ
    24. 歌劇「カルメン」〜セビーリャの城壁の近く(セギディーリャ):ビゼー

メゾ・ソプラノ:チェチーリア・バルトリ
伴奏:ソナトーリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカ、ティボーデ
録音:1998年6月、イタリア、ヴィチェンツァ
DECCA(輸入盤 455 981-2)

 これは私の密かな愛聴盤です。大好きなCDなので、女房にも聴かせてみたのですが、馴染みのない曲が多かったせいか、気に入ってはもらえませんでした。しかたなく一人で聴いています。

 そのかわり、私はこのCDを春夏秋冬、いつでも聴いています。全曲を聴けないときもありますが、そういうときは何曲かをまとめて聴くようにしています。私が最も好きなのは、第4曲目に収録されているヘンデルの「刺は捨ておき(Lascia la spina)」です。6分ちょっとの曲ですが、このコンサートの白眉ではないかと思っています。その他、にこやかな表情のジャケット写真を含め、バルトリの魅力が満載されているので、「よくぞこんなCDを作ってくれた」とDECCAに感謝したくなります。

 私は特にバルトリのファンであるわけではありません。それでも、このCDを聴いているとうきうきしてきます。というより、このCDの特徴は、「うきうき感」にあると私は思っています。ライブ盤でもライブとは思えないほど会場ノイズが消されているものがいくつもあるような気がしますし、現在の編集技術では拍手などいとも簡単にカットできるようです。が、このCDでは拍手も巧みに取り入れられています。カットしようと思えばカットできたのでしょうし、もしかしたら拍手がないところにも付け加えることだって可能なのでしょう。このCDではその拍手が、おそらくコンサートで聴かれたと同じように収録され、それが非常にあたたかく、まさに音楽の一部となっています。極端なフライングの拍手や絶叫するような美しくないブラボーもありません。聴衆が舞台上にいるバルトリの歌声に聴き入り、あたたかく見守っているという雰囲気がCDを聴いていて如実に伝わってきます。ある程度変種されたライブ録音なのかもしれませんが、これほどうきうき感があって、コンサートの雰囲気をリスニングルームに届けてくれるCDは他にどれだけあるのでしょうか?

 そのコンサートの模様をDECCAのエンジニアは見事に収録しています。音質的にはスタジオ録音に遜色ありませんし、もしかすると、スタジオ録音よりも優れているかもしれません。これは非常に優れたライブ盤だと常々思っているのですが、巷での評価はどうでしょうか? 私自身はこのCDを耳にするたび、バルトリにはこのまま年を取ってほしくないと思ったり、CDジャケットの裏面でバルトリと仲良く手をつないでいるピアニストのティボーデの写真を見ると「コンチキ・・・」などと思うのですが・・・。もしこのCDを聴いていない人がいたらぜひ一聴をお勧めします。

2005年4月19日掲載

 

(2005年5月29日、An die MusikクラシックCD試聴記)