ベルティーニ指揮都響のマーラー/交響曲第9番を聴く

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CDジャケット

マーラー
交響曲第10番より「アダージョ」
交響曲第9番 ニ長調
ベルティーニ指揮東京都響
録音:2003年11月29日(第10番)、2004年5月30日(第9番)、横浜みなとみらいホールにおけるライブ
fontec(国内盤 FOCD9259/60)

 ガリー・ベルティーニが東京都交響楽団(以下、都響)の指揮台に立ち、横浜とさいたまでマーラー・チクルスを聴かせてくれたのは記憶に新しいことです。交響曲第9番にしても私は2004年5月28日にさいたま市の埼玉会館というおそらくは最悪のホールで、聴衆が4割もいないような状況下で彼らの渾身の演奏を聴くことができました。これは今思うと、僥倖であったとしか言いようがありません。周知の通り、この大指揮者が2005年3月17日に他界したからです。

 このCDに収録されたのは、さいたま公演の翌々日の演奏です。聴くとところによれば横浜公演は大変な気合いの入りようで、コンサートの直前まで団員達はステージで練習を続け、そのまま本番に突入したとか。さいたま公演でミスが頻発していたためかもしれませんし、団員がベルティーニのマーラー・チクルスを有終の美をもって飾りたかったのかもしれません。

 CDで聴く演奏はさいたま公演とはうって変わって精緻そのもので、激烈さよりも彼岸を感じさせる実に美しい演奏です。都響は技術的に極めて高い水準で演奏しているばかりか、長大な曲であるにもかかわらず弛緩したところがなく、指揮者と楽員が目指したであろう音楽が十分に実現されていると感じます。パワーで乗り切るのでもなく、激情的になるのでもなく、高密度で音を積み上げ、歌いきって交響曲第9番を構築しています。優れた曲はこのように血が通った演奏で聴くと、この上ない感動を与えてくれるものです。私はこのCDを買ってきたとき、最初はさわりだけをつまみ聞きしようと思ってプレーヤーのスイッチを押したのですが、たちまちのめり込み、一挙に聞き通してしまいました。

 ベルティーニが死んだために、このCDはベルティーニ最後の録音として語り継がれることになるかもしれませんが、仮にベルティーニが死去していなかったとしても、ベルティーニ、そして都響の代表的な演奏の記録として大きな価値を持つものだと私は確信しています。

 ベルティーニほどの指揮者が日本と深く関わって録音を残してくれたのは奇跡です。最初のマーラー全集はケルン放送響と録音しましたが、それは1991年2月19-20日にサントリーホールでライブ録音されたものでした(EMI)。ベルティーニは優れたマーラー演奏を極東で行い、その成果を2つも残してくれたわけです。

 なお、ケルン放送響との録音と都響との録音のどちらが優れているかという疑問を持たれる方もあろうかと思いますが、そのどちらも優れていますし、それに甲乙つけるつもりは全くありません。それぞれが全く違った歴史と音を持つオーケストラの持ち味を活かしたものだからです。ベルティーニのマーラーを2つも聴くことができる恵まれた環境に私は感謝しています。

 

余談 その1

 

 ベルティーニの言葉に「日本人のベートーヴェンがドイツ語ではなく、日本語で弾かれている状態こそが個性」というのがあります。

 この言葉の真意を私はいまだに理解できていません。この言葉を目にして以来、「どう違うのか」とずっと考えてきました。

 この言葉はベートーヴェンだけではなく、マーラーにも通用するのでしょう。どこかで「アルファベットで指示をしているのに日本人はひらがなで演奏する」と記されているのを読んだこともあります。もしかしたらケルン放送響と都響の録音を聴いたときに感じる大きな違いはこのことを指しているのでしょうか? 

 

余談 その2

 

 このCDには第9番の第4楽章が終わった後の長い静寂とその後の大きな拍手が収録されています。ライブ盤なので、このコンサートの記録としては必要なものだったのでしょう。ですが、私はその静寂を自分の部屋でもっと味わいたかったと思います。その拍手さえなければ、ずっとこの音楽の余韻に浸ることができたはずでした。拍手がどうしてもカットできないのなら致し方ありませんが、この演奏の場合、カットはいとも簡単です。このCDに対する不満はこの1点だけです。演奏も、録音も極めて優れているだけに残念です。

 

(2006年1月8日、An die MusikクラシックCD試聴記)