ブルックナー交響曲第9番の決定盤はこれだ!

(文:伊東)

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CDジャケット

ブルックナー
交響曲第9番ニ短調
ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
録音:1981年
PHILIPS(輸入盤 410 039-2)

 ブルックナーの交響曲第9番はブルックナーの最高傑作だと私は思うが、意外なことになかなか満足できる録音がなかったりする(宇野功芳風)。面白い演奏としては、ヨッフムがシュターツカペレ・ドレスデンを指揮した録音(EMI)やスクロヴァチェフスキーがミネソタ管を指揮した録音(Reference Recordings)などが挙げられる。これらは面白いことは面白い。それも強烈に面白い。が、あくが強すぎて、この曲が持つ深淵さを味わうことはできにくい(注 その後再評価)。ブルックナーの演奏はある程度自然体であることが必要なのではないかと私はかねがね思っているのだが、これをほぼ私の理想に近い形で表現しているのがハイティンク盤ある。実は、この文を書いている2001年10月31日現在では「私の理想」と言い切ってしまえる名録音だと思う。

 第1楽章冒頭、遠鳴りするように響いてくるホルンの音から、ハイティンクは構えたところもなく、ごく自然な音楽作りをしていく。それでいながら、私はあっという間にこの演奏に魅せられてしまうのである。それも、聴く度に魅了される。このCDを手にした約20年前から何度聴いているか分からないが、その都度感嘆する。オケの洗練された響き、完璧な技量。それを背景に、大きく取られたダイナミズム、絶妙な休止。ハイティンクの指揮は作為をどこにも感じさせないのに、聴いているとどこにもダレがなく、非常によく設計されたものであることが分かってくる。仮にこれがライブではなく、録音のために演奏されたものであったとしても、その完璧さにただ驚かざるを得ない。「楽譜を見ながら演奏しましたよ。正しく演奏しましたよ」という次元を遙かに超えた超絶的演奏だと思う。弱音で叩かれるティンパニの音ひとつからして耽美的な美しさを誇るうえ、神秘的なほどブルックナーの魅力を伝えている。各セクションの音もおそらく最高の出来だと思う。第1楽章の集結部はこの曲のさまざまな名演奏を聴いた後でもやはり圧倒的迫力を持っていると思うし、第2楽章の集中力、第3楽章の静謐な世界を描く様も全く瞠目に値する。私はこの録音を聴いて感動しなかったことは一度もない。ハイティンクは虚飾とは縁のない指揮者だし、虚飾を持たない演奏をしているにもかかわらず、その真摯な取り組みゆえにブルックナーの理想的な演奏となったのではないかと思う。

 この演奏を引き立てているのはPHILIPSによる名録音である。録音されたのは1981年。この頃、PHILIPSはコンセルトヘボウにおける収録技術を極めていたような気がする。他レーベルのデジタル録音が硬質な聴くに堪えない音を聴かせることが多かったのに対し、PHILIPSは「デジタル」という言葉に振り回されることなく、アナログ時代からの伝統的なサウンドを追求し続けたようだ。私はハイティンクによるこのブルックナーやアルプス交響曲、ドラティによる「管弦楽のための協奏曲」はPHILIPSが到達したコンセルトヘボウ管のサウンド収録の最高峰だと思っている。私は演奏と録音いずれをとってもあらを探すことができない。

 この録音は、発売時こそ「ハイティンクのブルックナーはいいらしいよ」と囁かれたものの、その後、ほとんどの音楽評論家が無視するようになってしまった。ブルックナー演奏にも流行廃りがあるのだろうか? 他の有名指揮者の最新録音盤が登場する度にこの録音が忘れ去られていくような気がして、私はもったいないことだと思っている。が、どういうわけかPHILIPSの国内盤は店頭から消えたことがないような気がする。もしかしたら、音楽評論家の無視とは裏腹に、一般リスナーによる支持を得ているのだろうか? 皆様のご意見をお伺いしたいところである。

 

■ 追記 

 

 宇野功芳、中野雄、福島章恭共著による「クラシックCDの名盤 演奏家篇」(文春新書)のベルナルト・ハイティンクの項には、中野雄さんによるハイティンクへの愛情に満ちた文章が掲載されている。中野さんの文章をずっと追いかけていくと、どうやらコンセルトヘボウ管及びコンセルトヘボウそのものに対し、ひとかたならぬ思い入れがあることが分かる。多分仕事の関係でコンセルトヘボウにおける歴代指揮者の生演奏に接したらしいこと、指揮者、楽団員とも深い交流があったらしいことが強烈に中野さんのコンセルトヘボウに対する愛情を培っていったのだろう。したがって、中野さんがコンセルトヘボウ管やハイティンク、ヨッフムに関して書いた文章は、もしかしたらある程度割り引いて読んだ方がいいのかもしれない。

 その中野さんは、上記ブルックナーについてもきちんと明記している。

八一年のブルックナーの「第九」また然り。この曲に関する限り、巷間評価の高いチェリビダッケやヴァントより、私はハイティンクの演奏が好きだ。

中野雄 p.113

 さらに、チェリビダッケとヴァントの項を読むと、両者にはやや厳しい評価がされている。チェリビダッケは極めて個性的だから(^^ゞ何となく理由が分かるのだが、2001年現在、ブルックナー演奏ではもはや神格化されているような観があるヴァントにも以下のような記述がある(同書より)。

その中ではヴァントの音楽、詰めがキツ過ぎ、聴いていて私はいつも疲れる。特にブルックナーが苦手。

中野雄 p.92

 以前にも書いたが、もはや批判を許されなくなっているような指揮者に対し、ここまで書くのは少なからぬ勇気が要ると思う。ちなみに、私の音楽の聴き方、嗜好は中野さんにかなり近い。あまりの近さに驚くほどである。時々、An die Musikの読者からも「伊東さんの文章を読んでいて、自分とそっくりだと思いました」というE-mailを頂くことがあるが、何故かこういうことがあちこちに生じる。全く不思議なものである。

 では、その中野さん、「クラシックCDの名盤」(文春新書)の中で、何をブル9のベストに挙げているかというと、ヨッフムの旧盤なのである。

CDジャケット

ブルックナー
交響曲第9番 ニ短調
ヨッフム指揮ベルリンフィル
録音:1964年
DG(輸入盤 429 514-2)

 これは私にとっては若干意外でもあったが、これを選んだ理由はよく分かる。同書の中で、福島さんはシューリヒト盤、宇野さんはヴァント(ベルリンフィル)盤を選んでいる。シューリヒトに対してはさほどの思い入れがないようで(本当はどうなのかしら?)、ヴァントのブルックナーには批判的ですらある。そうなるとヨッフムにお鉢が回ってくるのだろう。さらに、ヨッフムには1978年にシュターツカペレ・ドレスデンとの録音があるものの、中野さんはそれを選ばなかった。指揮者の個性が色濃く出過ぎていると考えたためだろう。この64年盤は指揮者が自分のブルックナーに対する思いをシュターツカペレ・ドレスデン盤ほどにはあからさまにさらけ出すことなく、ブルックナーの音楽を再現したもので、詰めがきついどころか遊びがあり、いかにも中野さんが好みそうな演奏なのである。

 ヨッフムは何気なく演奏しているように見えて、分厚い響きを作りだしていき、巨大なクライマックスに聴き手を導いている。これはヨッフムの真骨頂で、実に立派である。

 このヨッフム盤にもし欠けているものがあるとすれば音の潤いくらいか。やや乾いた感じのする録音が惜しい。ハイティンク盤とは比べようもない。といってもこの名演奏のキズには決してならないと私は思うが。

(注:「COLLECTORS EDITION」で発売された全集を聴くと、かなりすっきりした音質になっているように感じる。密かにリマスタリングが行われたのかもしれない。)

 

(An die MusikクラシックCD試聴記)