An die Musik 開設9周年記念 「大作曲家の交響曲第9番を聴く」

ブルックナー篇

文:伊東

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 この稀代の傑作が人間の手で「紙」などという代物に書かれたことはこの世の不思議です。また、書いた人間が、いかにも野暮ったい農夫のような風貌であるだけでなく、奇人変人の範疇に入るタイプであったこと、そしてその人間が過去に書いた交響曲には洗練とはほど遠く、素人臭い部分が散見されることを考慮すると、交響曲第9番は奇跡的な高みに登り詰めた別格・特別な存在だと思えます。こうした曲に接すると、私のような無神論者でさえ人知の及ばない何かが人間に影響を及ぼしていると思いたくなります。交響曲第9番は神がブルックナーという野人の肉体を借りて、この世に出現させた音楽なのかもしれません。

 ただし、長大な曲であるせいか漫然と楽譜を音にするだけではどうにもなりません。神の言葉が書いてあるかもしれない楽譜ですが、これをきちんと読めて、曲としてまとめる指揮者を要するのですね。

 その指揮者にはいくつかのタイプがあります。

 まず、できる限り自分の存在を表に出さないようにして聴かせるタイプ。これにはハイティンクが該当するでしょう。

CDジャケット

ブルックナー
交響曲第9番 ニ短調
ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
録音:1981年
PHILIPS(輸入盤 410 039-2)

 この演奏については過去に取り挙げたことがあるので、こちらをご参照下さい。指揮者の存在を聴き手にアピールすることなく、この大曲を響かせ、深淵な世界を垣間見せてくれます。ハイティンク一世一代の名演奏でしょう。

 次には、指揮者が自分の「存在」をはっきりと演奏に刻印するものの、その演奏に自分の「言葉」までは決して盛り込まないタイプ。これにはカラヤンが分類されるでしょう。代表盤として1975年盤が挙げられます。

CDジャケット

カラヤン指揮ベルリンフィル
録音:1975年9月13-16日、ベルリン、フィルハーモニー
DG(国内盤 POCG-1347)

 このベルリンフィルとの録音は、洗練の極致です。超絶的に美しい。それもちょっとやそっとのレベルではなく、下世話な人間の世界を完全に超越しています。どのパートも、磨き抜かれた響きを発しています。いくらスタジオ録音だとはいえ、完璧すぎる音響です。カラヤン指揮ベルリンフィルでなければこのような浮世離れした音響を作り出せなかったでしょう。それを録音スタッフが丸ごとテープに収録したのですが、それも人間業ではないような気がします。少なくとも私の部屋ではアナログ期の録音であるのに、並のSACDなど足元にも及ばない音で鳴っています。ただし、この演奏を聴いて心が震えるほどの感動を味わったということは過去に一度もありません。カラヤンがもう少し長生きをして、交響曲第7番、第8番だけでなく、第9番もウィーンフィルと録音していたらどのような演奏になったか想像したくなります。

 さて、次のタイプです。指揮者が自分の存在をはっきりと演奏に刻印し、自分の演奏そのものが神のご託宣だと主張するタイプです。有り体に言えば指揮者が自分の好き放題に演奏しているものです。・・・と、そこまで言うと語弊があるかもしれませんが、強烈に自分を主張するタイプです。このタイプがブルックナーファンにどのような目で見られているのか私は不勉強につき知らないのですが、おそらく評判は良くないのでしょう。「ブルックナーを矮小化している」との指摘をどこかで目にしたことがあります。

 代表盤はオイゲン・ヨッフムが1978年にシュターツカペレ・ドレスデンと録音したCDです。

CDジャケット
最新24ビットリマスタリング盤
 
CDジャケット
輸入盤ボックスセット

ブルックナー
交響曲第9番 ニ短調
オイゲン・ヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1978年1月13-16日、ドレスデン、ルカ教会
EMI(国内盤 TOCE-13486)

 私はこの録音にしばらく批判的だったのですが、今や大好きな録音になってしまいました。ハイティンク盤と同じように気に入っています。かつては「いくら何でもやりすぎではないか」と思っていたこともありますが、この傑作を知り尽くした指揮者だけに許される世界があるのだと認識するようになりました。何よりも、聴き始めるやたちまちブルックナーの宇宙に引きずり込まれるのです。いくら頭で「これはちょっと・・・」と考えようとも身体が反応してしまうのです。

 そのヨッフム(1902年11月1日 - 1987年3月26日)がシュターツカペレ・ドレスデンと録音に臨んだのは1978年、72歳のときでした。いよいよ円熟期を迎えたヨッフムでしたが、演奏はヨッフム改訂版とでも呼んでしまいたくなる激烈なものです。最初の2つの楽章ではオーケストラ全体に思い通りにアッチェランドをかけて暴れ回ります。テンポはヨッフムの思うがまま。ブラスセクションを囂々と唸らせ、中でもトランペットは最後の審判のように激しく鳴り響きます。一方、アダージョにおいてはたっぷりと時間をかけて濃厚な音楽を作っていきます。立派な老人になり、円熟期といわれるはずの指揮者なのに、その演奏ぶりは向こう見ずな若者のようです。円熟期にこんな演奏ができて、あるいはさせてもらって、ヨッフムはさぞかし幸せだったに違いないと思ったものです。

 ところが、ヨッフムの録音を過去に遡って聴いてみると、何と1954年、バイエルン放送響との録音時にはこのスタイルが完成しています。ブラインドテストをしても間違うことがないほど同じ解釈による演奏です。さらにヨッフムは1964年にベルリンフィルとも録音していますが、これも基本的に解釈は一緒です。つまりヨッフムはブルックナーの交響曲第9番の解釈を早いうちから打ち立てていて、実演を重ねながら、年を追うほどに先鋭化させていたのだと考えられます。シュターツカペレ・ドレスデンとの演奏も、ヨッフムにとっては気まぐれな演奏ではなく、長年培ってきた解釈の集大成だったわけです。

 誰にとっても正しい解釈、正しい演奏スタイルなどあり得ないのですが、ヨッフムという偉大なブルックナー指揮者の足跡を私はとても否定する気にはなれません。現に私は今もシュターツカペレ・ドレスデンとの録音を愛聴しています。優れたブルックナー演奏が次から次へと出現しますが、ヨッフムほど潔く自分の思い描くブルックナーを音にできた人はその後現れていないようです。この潔さ、ヨッフムの風貌と相まって、とても魅力的であります。

 

■ 蛇足

 

 ヨッフム指揮ブルックナー交響曲第9番の録音をまとめておきます。

CDジャケット

1954年盤
オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送響
録音:1954年11月22-28日、ミュンヘン、ヘルクレスザール
DG(国内盤 UCCG-3739)

 モノラル録音。既に完成の域に入ったヨッフムの解釈を確認できます。良好な音質なので確認のためだけでなく、十分鑑賞に堪えます。ジャケットの紙が変色している感じが出ています。通常盤ではなく、紙ジャケットで出した方がいいのに、と思います。

CDジャケット

1964年盤
オイゲン・ヨッフム指揮ベルリンフィル
録音:1964年12月、ベルリン、イエスキリスト教会
DG(輸入盤 469 810-2)

 2007年現在単売されているのか不明です。ブルックナーファン、ヨッフムファンならこのボックスセットを持っていてもいいでしょう。ベルリンフィル、バイエルン放送響を起用して振り分けて作られた全集です。

CDジャケット

1978年盤
オイゲン・ヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1978年1月13-16日、ドレスデン、ルカ教会
EMI(国内盤 TOCE-13486)

 これが私の本命なのですが、残念ながらひとつだけ問題があります。今最も入手しやすいと思われる24ビットリマスタリング国内盤の音です。実のところ私はその音をやや苦手としております。音に関してはかつて輸入盤で出ていた全集(ボックスセット)が最も優れているように私は感じています。リマスタリングはしない方が良い場合が多々あるのですね。ただし、このボックスセットはartリマスタリングのボックスセット(輸入盤)に駆逐されているようです。

CDジャケット

1983年盤
オイゲン・ヨッフム指揮ミュンヘンフィル
録音:1983年7月20日、ミュンヘン、ヘルクレスザール
WEITBLICK(国内盤 SSS071-2)

 これだけがライブ盤です。ライブ盤と上記3つのスタジオ録音盤を同列にして比較するのはどうかと思いますが、基本的に解釈は同一です。しかし、録音のせいなのか、指揮者が抑制したのか、78年盤に比べると激烈度は低下していて、その分清澄なブルックナーを感じ取れます。当時のオーケストラの特性なのかもしれません。何しろチェリビダッケ治世下のミュンヘンフィルです。なお、バイエルン放送局が上手にマイクをセッティングしたためか、実にしっとりとした素敵なサウンドが楽しめます。もう少し話題に上っても良さそうなCDです。

 

 

オーケストラ
録音年
演奏時間

第1楽章

第2楽章

第3楽章

バイエルン放送響

1954年

22:08

9:45

27:09

ベルリンフィル

1964年

23:19

9:49

27:41

シュターツカペレ・ドレスデン

1978年

22:58

9:49

27:39

ミュンヘンフィル

1983年

24:12

10:54

27:39

注)1983年盤の第3楽章には拍手の時間が含まれています。

 

(2007年11月3日、An die MusikクラシックCD試聴記)