ヨッフムのブル8

開設8周年記念の「ブルックナー交響曲第8番」はこちらです。
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■ 私の最大級の愛聴盤

CDジャケット

ブルックナー
交響曲第8番ハ短調
ヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1976年、ルカ教会
EMI(国内盤 TOCE-3175)

 

 ブルックナーの使徒ヨッフムが当団と録音した全集からの1枚。私の最大級の愛聴盤である。私のブルックナー開眼はヨッフムのこの第8番のお陰である。この演奏抜きにして私はブルックナー演奏を語ることができない。最初に出会った国内盤を聴いてすっかり興奮状態に陥った私は、毎晩この演奏を聴かなければ眠れなくなり、聴いたら聴いたで興奮のあまり眠れなくなるという有様であった。したがって、演奏の隅々まですっかり頭に入ってしまい、その後にどんな演奏を聴いてもヨッフム盤との比較を行う習性が身についた。そして、この演奏を通じ、私は「シュターツカペレ・ドレスデン」という団体の爆発的なパワーと繊細な表現力を知ったのである。私にとっては想い出の1枚であり、これからも規範となっていく重要な録音である。

 私がこの第8番を聴いた後、迷うことなく全集を買いに走り、聴きまくったことはいうまでもない。全集は期待を裏切らず、全く惚れ惚れするようなすばらしい演奏ばかりが収録されている。後に詳しくご紹介することになると思うが、ブルックナーファンだけではなく、音楽ファンすべてが座右に置いておかしくない傑作全集だと思う。ヨッフムはブルックナー指揮者として有名で、EMIの全集の他、ベルリンフィルとバイエルン放送響を指揮した全集もある(録音は1958年〜66年、DG)。が、出来映えは当団との全集がはるかに優れている。こちらの方が新しいという単純な理由からではない。ヨッフムは気ままな指揮をしているようで、基本的な演奏スタイルは、ベルリンフィルとの旧盤と当団の新盤とはあまり変わらないのだが、この録音の方が表現がより先鋭である。オーケストラに対するヨッフムの読みの徹底度、オーケストラの技術力、録音鮮度、どれをとってもこちらの方がよい。ましてや他の指揮者の全集に比べれば、格段にすばらしい。超お薦めのブルックナー全集である。

 ヨッフムは1902年生まれであるから、この第8番を録音したのはヨッフムが 74歳の時であった。その後にコンセルトヘボウ管を指揮したライブ録音も残されてはいる(TAH 171-174、録音は1984年)が、スタジオ録音ではこれがもちろん最後であり、まさにヨッフムのブルックナー総決算といえる。ここでヨッフムは自分のブルックナー観をさらけ出し、やりたいことはやり尽くしたはずである。どの楽章を聴いてもヨッフムの指揮する顔や身動きが彷彿とされてくる。いわゆる自然体のブルックナーではなく、「ヨッフムの」ブルックナーであることは明らかなのだが、それでいて音楽の魅力は最大限に伝達されている。こうした点が、長い演奏経験に裏打ちされたヨッフムの演奏の長所だと私は思う。

 さて、ヨッフムのブルックナーの中でもこの第8番は特に変わっている。冒頭の動機を聞いた瞬間、「これは何だ?」と思う人が多いはずだ。あまり神秘的な感じがしない。また、大仰な仕掛けもないのである。そう書くと、いかにも物足りない演奏のように思われるが、聴き進うち、大変な集中力とパワーが潜んでいることに気がつくだろう。重厚長大な演奏をすればブルックナーらしく聞こえるものだが、ヨッフムはそうしたアプローチには全く興味がないのか、短時間で駆け抜ける軽快な演奏をしている。ただし、そうはいっても、迫力はすさまじい。テンポはかなり極端に揺れ、金管楽器はバランスお構いなしの強奏をし、ティンパニは渾身の力を込めてぶっ叩く。およそ洗練されたスタイルとは言い難いが、オケの激しいダイナミズムは南方の野人の一面を如実に表していると思う。

 この演奏の白眉は第4楽章である。私は後にも先にもこれほど面白いフィナーレを聴いたことはない。よほどの気合いを入れてタクトを振り始めたと思われる開始部分から、ヨッフムはオケも聴き手も煽りまくる。畳み込むというより、せき込むような急速なテンポによって、音楽は異常な高揚を見せる。金管楽器は一見勝手気ままにしか思えないヨッフムのテンポについていくのに、さぞかし苦労したであろう。特にトランペットがヨッフムの激しいテンポにぴったりついて行けたことは不思議なほどだ。オケは疲労困憊したに違いない。もちろん、指揮者も。両者の燃焼はただごとではない。とてもスタジオ録音とは思えない燃えっぷりである。あっという間に駆け抜けるブルックナーであるが、聴き終えた後には大変な充実感が残る。そして、おそらく聴き手はもう一度この録音を聴き返したいと思うはずだ。

 惜しむらくは録音状態である。録音が行われた1976年といえば、アナログ録音の円熟期で、同時期のEMI録音でもカラヤンの「ドンキホーテ」のように文句のつけようのない解像度抜群のみずみずしい録音があるのに、この録音ばかりははっきりしない音質である。全集の中でこのような音質となっているのは、あろうことか、この1枚だけである。上にあげたCDジャケットは、HS2088によるリマスタリング盤のものである。かつての国内盤も、輸入盤もいまひとつの音質であった。私は東芝EMIのHS2088はろくでもないリマスタリング方式だと思っているが、現在のところ、この盤が最も音質がよい。Syuzo's comによれば、LPでは音質が良かったという。ということは、マスターテープは良質なのだと思う。早く本国で原盤からart方式でリマスタリングして発売されないものか、私は首を長くして待っている(2000年10月に発売された)。

 

■ ブルックナーの演奏スタイル

 

 私はヨッフムのブルックナーが大好きで、ブルックナーといえばヨッフムの演奏をすぐ思い出す。しかし、必ずしもヨッフムの演奏を評価しない音楽ファンも多い。理由は明らかで、ヨッフムのブルックナーは、指揮者の強烈な個性が丸出しなのである。ブルックナーのスコアをそのまま音にしました、というタイプの演奏ではなく、文字通り「ヨッフムの」ブルックナーなのである。上記ブル8でも、ヨッフムならではの大胆な演出が目白押しだ。強引とも思える激しいテンポの揺れ、張り裂けんばかりに鳴らす金管楽器の扱い方など、いわゆる自然体のブルックナーを好む聴き手には、およそ堪えがたいと思われる。しかし、ヨッフムはブルックナーを好きで好きでたまらないのだ。ヨッフムの演奏を聴いていると、ヨッフムの指揮ぶりやにっこり笑った顔が容易に想像されてくる。「どうだ、ブルックナーっていいだろ。もっと聴きたくなるだろ?」と語りかけてきそうだ。そうした愛情があるからこそ、ヨッフムの演奏はどれを聴いてもすばらしいのである。

 ところで、ヨッフムと全く逆のスタイルを持つブル8をご紹介しよう。いわゆる自然体派である。

CDジャケット

ブルックナー
交響曲第8番ハ短調
ハイティンク指揮ウィーンフィル
録音:1995年
PHILIPS(輸入盤 446 659-2)

 

 これは大変な演奏である。なにしろ、指揮者の存在がほとんど感じられない。ハイティンクは今や大指揮者として知られているが、本当に不思議な人だ。彼が強烈な個性を打ち出した演奏というものを想像できない。このブル8も、聴く前から「きっとこうだろう」と思って聴き始めたが、案の定、没個性的な演奏であった。

 しかし、誤解しないでいただきたいのだが、これはこれですごい演奏なのである。なぜなら、強者揃いのウィーンフィルを指揮し、その豊穣なサウンドを徹底的に引き出しているからである。指揮者の存在は感じられないが、ウィーンフィルの圧倒的な存在感はすぐに伝わってくる。ウィーンフィルという比類なきオーケストラのゴージャスなサウンドを楽しむには打ってつけのCDといえる。

 では、ウィーンフィルを指揮してブルックナーを演奏すれば、いい録音ができあがるかといえば、必ずしもそうではないのである。少し気の毒な気もするが、ひとつだけ例を挙げてみよう。

非推薦盤

ブルックナー
交響曲第9番ニ短調
メータ指揮ウィーンフィル
録音:1965年
DECCA(国内盤 POCL 4326)

 

 メータは1936年生まれだから、この録音はメータ29歳の時に行われている。若かったから、というわけではないだろうが、メータはウィーンフィルを制御し切れていないようだ。今でこそ大御所の貫禄を見せるメータも、ここでは存在感がないどころか、オーケストラに翻弄されている。極端に言えば、指揮者がオーケストラの演奏に合わせて棒振りをしたようにさえ感じられる。まるで、「ブルックナーはこういう風に演奏するんですよ」とオーケストラに言われているような演奏である。当時メータはウィーンフィルに大変かわいがられ、相性は抜群であった。だからこそこんな大曲の録音企画が持ち上がったのだろう。しかし、これは悪い意味で指揮者の存在感がない。こうした演奏を聴くと、ハイティンクの演奏は実はとてつもなく非凡なのではないかと思われてくる。指揮者とオーケストラの関係というのはだから面白い。

 

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