ルドルフ・ケンペ生誕100周年記念企画
「ケンペを語る 100」

ケンペのベートーヴェンを聴く(その1)

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  ■ はじめに
 

 ルドルフ・ケンペという指揮者の名前が一躍知られるようになったのは、おそらくは、ミュンヘン・フィルとのベートーヴェン/交響曲全集が日本レコード・アカデミー賞を受賞したからだと思います。そして、私がケンペを知るきっかけとなったのも、ベートーヴェンの、しかも「田園」でした。

CDジャケット
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交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」

ミュンヘン・フィルハーモニー

録音:1972年6月23-26日、ミュンヘン、ビュルガー・ブロイケライ
西独EMI 輸入盤 CDZ25 2116 2
DISKY輸入盤 DB 707082

EMIミュージック・ジャパン (国内盤 TOCE-14300)

 私はこの演奏をNHK-FMでのエアチェックで聴きました。その番組はケンペの追悼番組でしたので1976年だったと思います。つまり、私はケンペ存命中には聴いたことがなかったのです。何気なく聴き出した私はこの演奏に深く心を動かされました。以来、私はケンペにこだわり続けることになります。そのケンペの「田園」の特徴については、何よりも当サイト主宰の伊東さんによる「アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く」、における以下の記載が的確だと思います。

「重厚なサウンドを基調とした演奏なのだが、冒頭から、「ああ、これでは勝負にならないな」とまで感じさせる出来映えだ。何が違うのかというと、ケンペ盤からは、溢れ出す歌心、音楽に寄せる共感がじかに伝わってくるのである。わずかなフレーズの演奏においても、しっとりとした味わいがあり、それが聴き手を包み込んでいく。
(中略)
さらに、木管のソロが活躍する場面はこの録音の真骨頂を伝えている。ケンペがかつてオーボエ奏者だったから、という常套的説明はしたくないのだが、木管楽器の創り出す色彩感覚は、すばらしいの一言。」

 これに付け加えるべき言葉はほとんどありません。そして、ケンペ/ミュンヘン・フィルによるベートーヴェン/交響曲全集全般についても伊東さんが書かれた名文をお読みいただければ十分かと思いますので、拙稿ではミュンヘン・フィル以外の録音を採り上げながら、書いていきたいと思います。

 

■ 交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」

 

 ケンペの正規音源としては三種が存在します。まずは生前にセッション録音された二つを聴いていきたいと思います。

CDジャケット

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1959年9月3日、ベルリン、グリュネヴァルト教会
英TESTAMENT(輸入盤 SBT12 1281)


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ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1972年6月23日〜26日、ミュンヘン、ビュルガー・ブロイケライ
西独EMI (輸入盤 CDZ25 2114 2)
蘭DISKY(輸入盤 DB 707082)
EMIミュージック・ジャパン(国内盤 TOCE-14298)

 ベルリン・フィル(以下、BPO)盤は、第一楽章冒頭からあっと驚かせます。アインザッツがずれているのです。管楽器と低弦が先に出て、ティンパニと高弦が一瞬遅れて続きます。ミスなのかと思えば、2番目はぴたりと合っており、その後もアンサンブルは正確無比に揃っています。録音しなおしだってできるでしょうから、ケンペは意識的に冒頭の音をずらして演奏させた、となると、その目的はアクセントを弱めたかったのかもしれないと思いました。その後も縦の線はきちんと揃っているのに、意識的に弦の入り方は柔らかくしているところからも、ケンペは「英雄」において、聴き手の心を抉るような鋭利さを取り除いているようです。それならば薄っぺらい、なよなよとした「英雄」なのかというと決してそうではなく、「鋭い切れ味」という効果を採らなくてもスケールの大きさと迫力に事欠かないばかりか、むしろ気宇壮大とすら感じるのです。展開部後半から再現部に至ると曲想の変化に合わせてあざといくらいにテンポを変えてきたり、思わぬところで鋭く音の出だしを合わせたり、ここぞという決めの音でふっとアクセントを抜いてみたり、と変幻自在です。しかし、基本的には目立つような大きな仕掛けではないので、注意していないと聴き流してしまいます。比較的ゆったりとしたテンポを貫いて煽ることなくこの楽章は閉じられます。

 ミュンヘン・フィル(以下、MPO)盤ではテンポはかなり速くなっています。冒頭の2つの和音はアインザッツは揃っていますが、柔らかく入ってくるのは伊東さんのご指摘の通りです。しかし、その後の演奏はBPO盤とはかなり異なるように聴こえます。BPO盤では終始「一見」柔らかく演奏しているように感じましたが、MPO盤では比較すれば鋭さが増しています。しかし、思わぬところでちょっと間をとったり、音色やテンポが細かく変わったりと「色遣い」は多種多様になっており、それでいて全体を聴き通してみると一貫性があり、まるで一つの塊のような音楽になっているという重層構造になっているのです。素朴とか地味、質実剛健、奇をてらわない、などと評されることが多いケンペのベートーヴェンですが、これだけ様々な「仕掛け」を行いながら、聴き手にそのように思わせてしまうというのは、ケンペの目論見だったのかどうかは別にしても、その実力の高さ故のことであろうと思うのです。後半のあのホルンによる不協和音の箇所では、BPO盤ではこの上もなく美しく調和させていてそのバランス感覚の見事さに感心したのですが、MPO盤では一見何もせずに淡々と吹かせているように感じさせながらも、まったく違和感もなく「あれ、今、終わったの?」と思うくらいの自然さで演奏させています。

 第二楽章でもBPO盤はゆったりとしており、MPO盤より1分半ほど演奏時間が長くなっています。ドヴォルザークの「新世界より」でもそうでしたが、ケンペは若い時はゆったりとしたテンポで、年を重ねると速くなってきている傾向があります。全体としてゆったりとしたテンポで貫いていますが、管楽器群の息が続かないような不自然な遅さではありません。そしてよく聴くと曲想が変わるところでほんのわずかテンポを動かしているのが分かります。しかし、すぐ最初のテンポに戻してくるので、全体にインテンポのように聴こえているのです。158小節からフォルテッシモによる二つの二分音符がトゥッティで演奏される箇所がありますが、ここでのケンペの指揮と思われる興味深い回想があります。これはイギリスのクラリネット奏者アントニー・ペイによるものです。

『エロイカ』の緩徐楽章の大きな和音のところで、ケンペは下拍の終わりでがたがた手をふるわせる。どこでひいていいのか誰にもよくわからない。新しくはいったチェロの首席が大きな声で、「どうしてこんなふうにやらないんですか。」と、はっきり拍子をとって見せた。われわれはみんな、「おい、おい。」とたしなめたが、ケンペはにっこり笑って、注文通りにした。しかし本番では、もとのがたがたの振り方にもどって、自分の考えているとおりの成果をあげた。とにかくわれわれも、それでちゃんとそろって演奏しているのだ。
(『素顔のオーケストラ』214頁、アンドレ・プレヴィン編、別宮貞徳訳、日貿出版社、1980年、)

 さて、MPO盤ではテンポが速くなっているのですが、一つ一つの音の取り扱いはさらに深くなっています。そして曲想が変わるところ、例えば17小節や56小節のアウフタクトからテンポは、ふっと目覚めたかのように速くなります。そしていつの間にか元のテンポに戻ってくるのです。その揺れては返す妙技は、いつ聴いても呆気にとられてしまいます。しかも、他の指揮者なら強調するようなスタッカートや、アクセントがつきやすいスフォルツァンドにはあえて鋭さを除いているのです。ケンペは、ベートーヴェンにおいてはスタッカートはあくまでも音符を切り離す以上のものではなく、スフォルツァンドは速やかにダイナミクスを変えるものであって、音の出だしを鋭くすることではないと考えていたようです。

 第三楽章は、BPO盤とMPO盤ではさほど演奏時間の差はありません。BPO盤はベルリン・フィルの合奏力が魅了であり、トリオでのホルンの深くほの暗い響きを聴くだけでも価値のある演奏だと思います。一方、MPO盤は比較すれば、良く言うと凝縮、悪く言えばこぢんまりとした演奏になっています。BPO盤ではこの楽章の細部を描き出すように演奏させていましたが、MPO盤では勢いが増さり、たたみこむような動きが目立ちます。ならばMPO盤は雑なのかというと、そうではありません。各パートのバランスに乱れはなく、粗雑に取り扱った音は一つもないのです。ケンペのベートーヴェンにおいては、第三楽章は躍動感を前面に出す傾向がありますが、

 最終楽章でも両者は、アクセントは極力廃した演奏になっています。BPO盤は実に壮大なスケールであり、優美な弦楽器のやりとりが見事です。全体の構成もよく分離の良い録音も相まって、とても半世紀前の演奏とは思えない鮮度で迫ってきます。終結部では一気に熱くなって聴き手をつかんであっという間に聴かせてしまいます。変奏曲にケンペの特色が出るのではないかと思ったのはMPO盤の終楽章でした。まさに変幻自在、音と音の間の取り方を変えたり、テンポをふっと緩めたり追い込んだり、声部ごとの絡みのバランスも自在に変えています。副に回ったパートに思わぬアクセントを置くなど今までの3つの楽章で採用しなかったアクセントをここぞとばかりに投入するのです。そして、なんと言っても全曲に渡って要と思っているオーボエ独奏がここで一段と光ります。おそらくゲルノート・シュマルフスだと思うのですが、ともかく味わい深い音色です。最後はBPO盤を越える白熱した演奏となって、幕が閉じられます。

 ゆったりとしたテンポで圧倒的な合奏力を駆使して気宇壮大な演奏を繰り広げながらも、粗野にならずに品格を貫いたBPO盤、ありとあらゆる至芸を組み込みながらも全体は重厚さを失わないMPO盤、どちらもケンペの音楽のありようをきちんと出した演奏だと思います。

 さて最近になって、ロイヤル・フィルとのライブ盤が正規音源でリリースされました。それまで非正規音源でも聴くことができなかった演奏です。

CDジャケット

ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1974年5月22日、プラハ音楽祭、スメタナホール
欧IMG Artists (輸入盤 7243 5 75950 2 5)

 存在すらほとんど知られていなかった音源です。ロイヤル・フィル(以下、RPO)とプラハ音楽祭に参加したときの演奏のようです。もちろん基本的な解釈はMPO盤と変わらないのですが、テンポはゆったりしており、どちらかというとBPO盤に近い印象を受けます。わずか2年でケンペの解釈が変わったというわけではなく、これには理由があることをケンペ自身の言葉で伺えます。

ラジオ、テレビ、レコードのための製作には、演奏会の場合と同じ尺度は使えない。保存される演奏には当然、技術上の完璧がより一層望ましい。その結果、自然な演奏を困難にしてしまう無数の要素がある。そのうえ、演奏会の時とは全く異なった方法でやるべきことが多い。例えば、場合により強弱のバランスを変えるとか、テンポも、普通より少し引き締めなければならない。トゥッティの休止符は、普通より、時には大幅に、短縮する。聞くだけの場合は、視覚に訴えないため、時間の感覚が変わるからである。しかし、解釈の本質的な点は、このような要素には左右されないはずである。(ローベルト・C・バッハマン 大演奏家との対話 『指揮者ケンペ』増訂版 275頁、芸術現代社、2006年)

 上記でケンペが語っていることが、そのままRPO盤との比較においてMPO盤で実践されていると感じます。

 RPO盤はさらに魅力的な点があります。録音では採用されなかったヴァイオリンの両翼配置であるため、弦のやりとりがよく聴き取れることです。特に第二楽章ではそれがとても効果的に響いています。第三楽章からほぼアタッカで入る第四楽章では、BPO盤やMPO盤では見られなかった白熱した演奏を聴くことができます。テンポはぐいぐい加速し弦楽器は多少の雑音をものともせずに力を込めて弾ききっていきます。テンポはMPO盤と同じように揺らいでいくので解釈は変わらないのですが、実演ならではの大見得を切るところもあって、その知情意のバランスは絶妙としか言いようがありません。後半になるとアクセントは和らげられていて、オーボエ独奏をきちんと聴かせていきます。それにしてもRPOはケンペの指揮に敏感に反応していて、両者はお互いを理解しあっているのが分かります。コーダは見事な加速がついて華やかに幕切れとなります。

 このように素晴らしい演奏なのですが、一つ残念なことに録音がデッド気味でかなり音量を上げないと細かいニュアンスが伝わってきません。ケンペのベートーヴェンを味わうのであれば、やはりMPO盤が良いかと考えます。

 

 

 

 ここでちょっとだけ妄想を書きたいと思います。

 ケンペがMPOと録音したベートーヴェン全集は確かに名盤の評価を得ましたが、考えてみればなぜこの全集が作られたのか疑問です。確かにケンペは欧州では実力が評価されていたとは思いますが地味な指揮者であり、ミュンヘン・フィルも当時はさほど注目を浴びるどころか、近くにバイエルン放送交響楽団というスーパーオーケストラがいたのですから、影は薄かったと思います。地味な指揮者と影の薄いオーケストラでベートーヴェン全集を録音してもセールスは期待できないのではないかと、私でも思います。

 それではどうしてこの全集が実現したのか? 私はケンペの希望ではなかったかと思うのです。

 当時、EMIでは東独エテルナと共同でR.シュトラウス管弦楽曲/協奏曲全集のプロジェクトが開始されていました。オーケストラは縁のシュターツカペレ・ドレスデン(以下、SKD)、そして指揮者にケンペが選ばれました。当時、ケンペはRPOとMPO、そしてチューリヒ・トーンハレ管弦楽団(以下、TOZ)のシェフでもありました。このうち1972年に辞任するTOZはさておくとして、RPOとは断続的ながらRCAを中心に録音が行われていましたが、MPOとは1960年代後半、すなわちケンペが音楽監督になった直後にCBSソニーといくつかのセッション録音が行われた後は、ほとんど録音とは縁のない状態であったわけです。

 そこにSKDとの大規模プロジェクトが始まりました。ケンペとしてはRPOと同じくらい気心が知れたMPOとの録音がないまま、SKDとの膨大な録音をしていくことに抵抗があったのではないか? 確かにSKDの首席指揮者であったことはありますが、1970年代ではMPOも大切なオーケストラであったと思います。

 そこでケンペはMPOとのプロジェクトも推進したかった。SKDとのプロジェクトを受ける条件として、MPOとの録音を提示したかもしれません。それが妄想だったとしてもEMIとしてはMPOと専属契約を結んでどんどん録音をしていくつもりはなかったのではないか? だから、ケンペとMPOのEMIでの録音がベートーヴェン全集のみになった。そこに新興レーベルであったBASFが絡んできたのも大きかったのかもしれません。

 真実はともかく、ケンペがMPOと遺した全集は華々しくスポットライトを浴びていくことはなかったけれども、人々の心に確かな共鳴をもたらしたと思います。そして、それが私とケンペの巡り会いをつくったのでした。

 

(2010年10月1日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記)