クレンペラーのベートーヴェン
■交響曲第1番〜第3番■

交響曲第4番〜第7番第7番〜第9番

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CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第1番ハ長調 作品21
録音:1957年10月
交響曲第7番イ長調 作品92
録音:1960年10,11月
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
EMI(輸入盤 CDM 7 63354 2)

 クレンペラーの指揮するベートーヴェンはどれもいい。すごくいい。 いいと思って一枚ずつ集めていたら結局全集になってしまった。

 ベートーヴェンの交響曲を演奏するのは指揮者にとっては大変骨の折れる ことだろう。その指揮者の格がはっきりわかってしまうからだ。そこへいくと、クレンペラーのベートーヴェンはどこをどういう風にとってもいい。何番を聴い てもこの指揮者がいかに優れた造型感覚を持ち、流行に左右されない自分のスタイルを持っていたかを知ることができる。

 第1番:第1楽章が極めて印象的。第1楽章はベートーヴェンの若々しい意気込みが充溢する名曲であるし、颯爽とした演奏も予想されるかもしれないが、クレンペラーの演奏ではいきなり重厚な大曲に感じられる。少なくともこの楽章においては若々しさや、清新さなどは余り考慮されていないようだ。テンポは中庸であると思うが、作り出される音楽はスケールが大きく、有無を言わせぬ説得力がある。特に分厚い響きでぐおんぐおん唸りをあげる弦楽器の響きはベートーヴェン後期の作品をも連想させる。

 第2楽章。この楽章に入ると一転して軽い演奏になる。曲が曲だけに重厚さだけで押し通すことはできないと思うが、見事な変わり様だ。しかもクレンペラーはカンタービレしながらベートーヴェンの軽みの世界に遊んでいるようだ。第3楽章では重厚さと軽さの絶妙のコントラストを作り出しているし、第4楽章では自然体のベートーヴェンが聴ける。無理に壮大にすることもなく、音楽が自然に流れ、高揚していく。全体としてみると、第1楽章が際立って重厚であるが、充実した演奏であることに変わりはない。

 第7番:巨匠の風格溢れる演奏。55年盤よりもずっとテンポが遅い。星の数ほどある7番の演奏の中でもかなりゆっくりとした演奏だろう。そのかわりものすごい迫力だ。響きがもともと厚い曲なのにこれほどゆっくりしたテンポになると、その厚みで押しつぶされそうになる。第4楽章など、本当にすさまじい。煽り立てる演奏ではないのに、重厚さで圧倒されるのである。

 リズム感が最も重要なこの曲でこれほど厚い響きを作り出してしまうと、鈍重になると思われるかもしれない。しかし、そんなことはない。テンポが遅くてもしっかりとリズムを刻んでいる。ただ、ちょっと普通ではない。第2楽章以外ではすごい音楽風景が見られるのだ。まるで像が大群で踊っているような感じなのである。第1楽章終わりに炸裂する金管楽器は象の鳴き声みたいにも聞こえる。この「踊る像」という表現は運命の第3楽章を形容するものだが、私はクレンペラーのこの演奏にもっともふさわしいと確信している。像が地響きをたてて踊る姿、それは異様な光景だ。

 ところで、この演奏の有名な第2楽章は全くドラマチックだ。クレンペラーは感情移入型ではない。淡々と演奏する。その結果、こんな激しい音楽になるとは驚嘆のほかない。ゆっくりとしたテンポの中で盛り上がってくるその高揚感。

 なお、この交響曲で、弦楽器がうねうね唸っているはざまで聞こえてくる木管楽器の音色が何ともすばらしい。おそらく演奏当時はフィルハーモニア管の最盛期であったのだろう。

 
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ベートーヴェン
交響曲第2番ニ長調 作品36
交響曲第4番変ロ長調 作品60
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
録音:1957年10月
EMI(輸入盤 CDM 7 63355 2)

 いい組み合わせのCDだ。セールスの都合で他のをくっつけていて、最後に残ったのがこの2曲だからこうなったのだろうが、こういう組み合わせで聴くのもいい。

 第2番:第1楽章の序奏から巨大なスケールを感じさせる。この部分の押し出しの強さは聴いていて気持ちがいい。主部に移っても軽やかさの中に激しい推進力が宿っており、ティンパニーが強打されるなど、緊張感が高められていく。第2楽章。このラルゲットはクレンペラーらしい、全く淡々とした表情で演奏される。しかし、楽器の扱いは大変丁寧で、どこにも手抜きが感じられない。非常に短いフレーズも楷書体できれいに演奏され、とても美しい。演奏に際しては感情移入を殆どしなかったクレンペラーの職人的な仕事を見る楽章である。第3楽章のスケルツォはアクセントが強く、あっという間に終わるが、その次の第4楽章は実に生彩に富んだ演奏だ。この交響曲の演奏の中で最も生き生きと演奏しているように感じられる。他の楽章とは別の日の演奏なのかもしれない。クレンペラー特有の対抗配置の効果も最も活かされ、聴いていて大変楽しい楽章でもある。

 第4番:重厚さと躍動感、いずれをも兼ね備えたスケール雄大な演奏である。

 第1楽章。深遠な雰囲気を醸し出す序奏部分から、ただならぬ雰囲気を感じさせる。主部はアレグロ・ヴィヴァーチェだが、ややゆっくりしたテンポだ。弦楽器は分厚い響きをたてていながら、カミソリのように鋭いリズムを刻む。クレンペラーはややゆったりとしたテンポの中で、緩みなど全くない緊張感を作り出し、ぐいぐいオケを統率している。その結果、他の指揮者の演奏からは感じられない大きなスケール感が得られる。こうした演奏は一度聴いたら忘れられない。

 第2楽章。感興に満ち、情感が高まる演奏。木管楽器の音色の美しさ、伸びやかさは特筆すべきだ。ベートーヴェンがこの楽章に書いた天国的な安らかさがよく表現されていると思う。

 第3楽章。トリオの音楽的な愉悦。暖かく音楽が高揚していく。この楽章のテンポもアレグロ・ヴィヴァーチェというにはちょっと遅いかもしれないが、それがこの演奏には非常に有効だと思う。

 第4楽章:上記7番の第4楽章同様、煽るような演奏ではない。じっくりとしたテンポで、焦らず、しかし着実に前進する重厚な演奏。ダイナミックでもあるが、表面的には派手さがない。しかし、その迫力、発散されるエネルギーはすさまじい。聴き応え十分の演奏である。

 
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ベートーヴェン
交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
録音:1959年10,11月
歌劇「フィデリオ」序曲 作品72b
録音:1962年2月
「レオノーレ」序曲第3番 作品72a
録音:1964年11月4,5日
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
EMI(国内盤 TOCE-3197)

 雄渾なエロイカ。第1楽章からクレンペラーの真摯な姿勢が感じられる名演である。虚飾は全く感じられない。クレンペラーはただただベートーヴェンの書いた音楽を忠実に再現しているように思える。国内盤のリマスタリングが余り上出来とはいえず、やや薄っぺらい音になっているのが残念だが、どっしりとした重量感、安定感はクレンペラーならではのものだ。囁くようなピアニッシモから爆発的なフォルティッシモまでのダイナミクスも聴き手をとらえる、。

 第2楽章:一見(聴)何の変哲もない演奏。外面的な効果を狙った部分がなく、淡々と演奏しているようなのだが、音楽そのものが心に訴えかけてくる。特に後半部分ではクレンペラーの内面で激しく情熱が燃えたぎっているようだ。それなのにテンポを揺らさないまま、巨大な奔流の如き演奏を繰り広げているのである。その様はまさに壮観としかいいようがない。なお、この楽章に限らないが、木管楽器がきれいに浮かび上がってくるところは何度聴いても美しい。

 第3楽章:大きな波が寄せては返すような激しい動きを伴った演奏。ほのぼのとしたトリオとの対比が楽しめる。

 第4楽章:気宇広大なベートーヴェンがまさに天駆けんとする。その背後のオーラはゆっくりと拡大し、周囲を覆い尽くす。やがてベートーヴェンの魂はゆっくりと飛翔し、天を目指すのである。じわりじわりと高揚する音楽。

 「フィデリオ」序曲。この時期のクレンペラー特有の力強い演奏。弱音にも緊張感があり、わずか6分ほどの曲でありながら、きらめくような光を放っている。

 「レオノーレ」序曲第3番。クレンペラーは短い曲を演奏する際も極めて密度の高い演奏をした。一発勝負をかけ、完全燃焼をしてしまうようだ。ましてやこの「レオノーレ」序曲第3番ほどの名曲ではなおさらで、クレンペラーはベートーヴェンその人になりきってしまう。演奏はスケール雄大。序曲というより交響詩のような貫禄。聴き返す度に良さを感じる演奏だ。国内盤の録音も厚みがあり、聴きやすい。HS2088によるリマスターが成功した例である。

 
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ベートーヴェン
「コリオラン」序曲 作品62
交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
クレンペラー指揮ウィーン響
録音:1963年6月16日
ORFEO(輸入盤 C 233 901 A)

 ORFEOらしい、コンサートをそのまま収録したライブ盤。普通のレーベルでは序曲をおまけみたいにして最後に入れて発売しているが、興ざめだ。こうしたORFEOの良識が嬉しい。モノラルながら音質もよい。下手なステレオ録音よりよほど優れている。

 ピーター・ヘイワースの解説によると、この演奏は1963年6月16日、再建なったアン・デア・ウィーン劇場で行われたウィーン芸術週間のオープニングコンサートのものらしい。

 「コリオラン」序曲。バイエルン放送響との黙示録を垣間見るような超絶ライブもあるが、こちらも負けてはいない。オケの音は重心が低く、迫力満点。強奏部分では雷鳴が轟くような恐ろしさを感じる。これはもはや異次元の音楽だ。

 第3番:最初の一音から引き込まれる。これだけでこの先の演奏がいかに良いか分かってしまう。エロイカには上記59年のスタジオ録音や下記55年のスタジオ録音があるが、これはライブだけあって最も白熱感がある演奏である。クレンペラーは遅めのテンポで着実にリズムを刻むのだが、音楽には猛烈な推進力があり、前へ前へと怒濤のように進んでいく。なぜこんな演奏が可能だったのか? ヘイワースによればクレンペラーは「ある意味では解釈しない。音符を演奏するだけだ」と述べているが、それだけなのだろうか。私は神懸かりとしか思えないのだが。第1,第2楽章とも筆舌に尽くしがたい演奏だ。疾風怒濤の第1楽章、悲痛で劇的な第2楽章。全く呆気にとられる。第3楽章は同じ音型が弦楽器によってずっと刻まれるところがあるが、信じがたいことにザワザワザワ..と迫ってくるような気配を感じてしまう。音符が生きているのだ。第4楽章ではオケが完全に燃えている。血沸き、肉踊る演奏。ライブならではの音楽の高揚がある。

 
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ベートーヴェン
交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
録音:1955年10,12月
「レオノーレ」序曲第2番 作品72a
「レオノーレ」序曲第3番 作品72a
録音:1954年11月
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
EMI(輸入盤 CDM 7 63855 2)

 クレンペラーのエロイカはまだある。これは1955年のスタジオ録音。国内盤では出ていないようだ。モノラル録音だから日陰者扱いされているのだろう。さりとて、モーツァルトの場合のようにTESTAMENTレーベルに移管してもいないのはEMIにも迷いがあるからだろう。

 それは迷うに決まっている。なんといっても演奏がすごくいいからだ。モノラルとはいえ最上級の音質なのも嬉しい。貧弱なステレオ録音より厚みのある清澄な音を聴かせてくれる。迫力も申し分ない。

 演奏については上のORFEO盤を白熱の演奏と絶賛したが、これはさらにすごい。初めてこの録音を聴く人は大きな衝撃を受けるだろう。クレンペラーとフィルハーモニア管の発散するエネルギーに圧倒される。きっとこの演奏中はクレンペラーの背後にオーラが見えたに違いない。オケも最高の出来だ。おそらく心身共に最高の状態であったクレンペラーの指揮に見事に応えている。どの楽器もアインザッツが切れ味鋭いし、音楽の進行が怒濤のようである。弦楽器は鋭く、激しくベートーヴェンの音色を刻み、管楽器は艶やかな音色で魅了し、金管楽器は輝かしく英雄的な凱歌を聴かせる。宇野功芳氏風に言えば、「どのフレーズも有機的で意味深い」のである。こんな演奏がスタジオでなされたとは容易には信じがたい。

 クレンペラーはパッチワークをひどく嫌い、ひとつの楽章を通して演奏したという。それなら、80年代に山のように量産されたライブ録音という名のパッチワークより遥かにライブ録音と言うにふさわしいではないか。

 続くレオノーレ第2番、第3番もいい。第3番は現在出ている国内盤にも64年録音の演奏が収録されている。それはスケールが大きな名演であったが、こちらの方はより劇的である。

 ウォルター・レッグはクレンペラーと契約する際に、「厄介を背負い込むようなものだ」と周囲に忠告されたそうだ。事実これほど厄介な人間はいなかったろう。クレンペラーを知れば知るほどとんでもないクソジジイであったことが分かるから、レッグの苦心は並大抵ではなかったろう。しかし、こうした演奏を目の当たりにし、レッグは本当に契約をしてよかったと思ったろう。これは歴史に残すべき偉大な演奏だ。

 
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ベートーヴェン
交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
録音:1959年10,11月
大フーガ 作品133

録音:1956年3月
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
EMI(輸入盤 CDM 7 63356 2)

 「エロイカ」は上記国内盤と同一演奏。しかし、聴いた印象がずいぶん違う。国内盤がHS-2088によるリマスタリングを行っていて薄っぺらい、腰の浮いたような音になっているのに対し、こちらの方は厚みがあり、どっしりしており、量感よくでているように感じられる。やはり輸入盤の方がいいようだ。ただし、最近art方式によるリマスタリング処理による輸入盤も出ているからご注意。このリマスタリングによる音は非常にきれいなのだが、厚みがないように思える。曲によりけりだし、私もartによるCDをたくさん聴いたわけではないので何とも言えないが。

 ここで聴くのは「大フーガ」だ。ご存じのとおりこの曲は弦楽四重奏曲第13番の最終楽章として書かれ、初演された。が、あまりにも晦渋だったために別の最終楽章が作られ、この難曲は別に出版されることになったのだ。

 実は私はこの曲が苦手である。ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲はどれも好きでよく聴くが、これだけはダメだ。なんだか聴いていると恐くなってくる。ベートーヴェンが一体何を考えてこれを弦楽四重奏曲として作曲したのか知る由もないのだが、これを聴いて楽しめる人は相当な人だ。私はまだまだダメ。ではクレンペラーで聴くとどうかというと、弦楽四重奏の場合よりさらに恐い。オケで演奏するのだから迫力が違う。まるでナチスの重戦車が地響きをあげて進軍してくるような感じだ。音楽がふととぎれて静寂が支配するところなぞ、本当に寒気がする。コワモテのクレンペラーが演奏するのだから当然かもしれない。恐い物好きな人にお勧め。 

 
非推薦盤

ベートーヴェン
交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
録音:1962年11月19,20日
「エグモント」序曲 作品84
クレンペラー指揮フィラデルフィア管
録音:1962年11月26,27日
DISQUES REFRAIN(輸入盤 DR920045)

 「英雄」は1962年11月19-20日、「エグモント」は同26-27日のライブ演奏だとCDには書いてある。ということは海賊盤のくせに楽章毎に出来のいいところを差し替えたりしてCDを作ったのだろうか?

 実はこのCDをこのページに載せることには大変躊躇した。余りにも作りが粗悪なのである。上記差し替え疑惑だけではなく、音質面でひどすぎる。(これはメインの「英雄」だけの話なのだが、)一応ステレオとは書いてあるが、音場は著しく左に偏り、ステレオ感がない。というより左スピーカーからしか音が聞こえないのだから、ステレオとは言い難い。音は乾き切っており、オーマンディご自慢の100万ドルサウンドは全く味わえない。また、劣悪な音質にさすがの海賊盤制作者も気が咎めたのか、低音部にエコーでもかけているような気がする。ちょっと音量を上げると、聴くにたえない重低音に悩まされる。全くふざけたCDだ。これなら最初からモノラルにして売り出せばいいのに。事実、私はこのステレオ再生に我慢がならなくなったのでアンプでモノラル再生に切り替えたところ、非常に聴きやすくなった。マニア以外には勧められないCDではあるが、万が一このCDを買ってしまったら、モノラルで聴くべし。

 さて、演奏について。さんざん粗悪なCDであることを上で喧伝してしまったが、演奏自体は極めて立派なのである。どこから聴いてもクレンペラーのベートーヴェンだ。インテンポに近いテンポ設定の中で、一音一音を噛みしめるようにして前進する音楽作りは、クレンペラーならでは。アメリカ・フィラデルフィアでオーマンディがどれほどのベートーヴェンを演奏していたか今となっては知る由もない(そんなライブ盤はあるのだろうか?)が、これほど優れたベートーヴェンはめったに聴けなかったであろう。同じフィラデルフィア管でバッハを演奏したライブ盤はあまり褒められたものではなかったが、これはクレンペラーの音楽がオケに完全に浸透した例として注目される。やはり指揮者というものは自分の音楽をこうしてオケに徹底させてこそ一流である。聴き手はクレンペラーの卓越した手腕をここに見るだろう。

ところで、「エグモント」序曲は「英雄」より遥かに音質がよい。音の鮮度も、ステレオ感もしっかりしている。もちろん演奏も良い。「これがあのフィラデルフィア管だろうか」と驚く人もいるだろう。

 
CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
交響曲第1番ハ長調 作品21
クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管
録音:1970年9月25日
ブルックナー
交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
クレンペラー指揮ケルン放送響
録音:1954年4月5日
ARKADIA(輸入盤 2 CDHP 591)

 大変重量級のCDである。2枚組であるとはいえ、ベートーヴェンの交響曲がふたつにブルックナーというのは聴く方もかなりハードだ。しかもベートーヴェンとブルックナーは演奏時期が16年も離れている。いくら海賊盤とはいえ、もう少し一貫した思想を持ってCDを作れないものか。

 また、ベートーヴェンだけだが、このCDの録音はどうも変だ。録音というよりリマスタリングの問題だと思う。どうやらリマスター時に人工的に残響を加えたように思われる。まるでお風呂場。モノラル録音を恥じる必要はないのに。モノラルだって、すばらしい演奏を鑑賞する際に何の妨げにもならない。が、人工的に残響を加味するのは演奏そのものを傷つけることに他ならないのだ。最近疑似ステレオなどの音響処理が施されたCDを手にするたびため息をついてしまう。

 交響曲第3番「英雄」:1970年5月29日にボンで開催された「ベートーヴェン生誕二百年祭」におけるライブ。次の第1交響曲も同時に演奏された。オケは手兵のニュー・フィルハーモニア管。クレンペラーの故国ドイツでの最後の演奏会であったという。

 この「英雄」は何と一時間をかけて演奏されている。クレンペラー最晩年の遅いテンポのためだが、さすがにどこにも緩みが見られない。私はクレンペラーの遅いテンポは老化のためではないと考えているが、この演奏を聴いてもそのことがはっきり分かる。最後まで聴き手を唸らせる演奏だ。

 第一楽章:各声部の動きが透けて見えるような演奏。テンポは遅く、どっしりとした安定感がある。クレンペラーの「スコアの音すべてを聴かせるぞ」といった意気込みまで感じる。それが実現されているところがクレンペラーのすごいところだが、音楽の構造が分かって面白いだけでなく、重厚な迫力があるので、聴いていて圧倒される。

 第二楽章:この演奏の白眉。迫真の埋葬行進曲で、遅いテンポで演奏される息の長いフレージングの美しさ、弱音を活かした劇的緊張感の創出、細部の徹底した表現など、聴き逃せないポイントばかりだ。最初は木管楽器を重視したクレンペラーの指揮に聴き惚れているのだが、次第に音楽が重厚さを増していき、やがて壮麗な音楽ができあがってくる。威圧的ではない巨大な音楽が深い感動を誘う。

 第三楽章:悠々たる歩みのスケルツォ。ゆっくりしたテンポだが、強奏部分は破壊的なパワーを見せる。

 第四楽章:録音のせいもあるのかもしれないが、弦楽器の各声部の動きが明瞭に聴き取れる。テンポこそ遅いが、85歳の老人の指揮とは思えない力強さだ。仰ぎ見るような音楽の威容がある。

 交響曲第1番:重厚な第1番である。ベートーヴェンもこれを聴いたら驚くに違いない。

 第1楽章:この曲には珍しいほどの重厚さに驚く。とても第1番を聴いているような気になれない。まるで「英雄」に匹敵する貫禄だ。クレンペラーは遅いテンポで演奏することによって、作品に内在する雄渾な性格を露わにしたのだろうが、結果はそれ以上だったのではないだろうか。

 第2楽章:こちらも貫禄満点。旋律線を非常に丁寧に扱っており、実に美しい。

 第3楽章:何となくブルックナー的迫力があるメヌエットになっている。これではスケルツォそのものだ。重厚さと爆発的エネルギーの噴出がすあり、中間部のトリオでは軽やかな歌がある。

 第4楽章:力感のある見事なフィナーレ。ベートーヴェンらしい推進力を堪能できる。何といってもオケが最高に鳴り響いている。そうした響きが第1交響曲にふさわしいかどうかはともかく、大変充実した演奏だと思う。

 交響曲第4番「ロマンティック」:ライブ録音。スタジオ録音を含め、クレンペラーには他にも「ロマンティック」の録音がある。どれも金管楽器をガンガン鳴らし、メリハリが強く、爆発的なエネルギーを発散させている。それがクレンペラーの「ロマンティック」の評価を大きく分けていると思うが、これもそうした演奏のひとつである。全く剛毅なブルックナーで、華々しい金管楽器のファンファーレが聴き手を圧倒する。オケはケルン放送響で、大変好調だったようだ。特にホルンはドイツ的な響きを出しており、嬉しい。テンポは総じて速めである。

 第1楽章では速いテンポのため「森の響き」に浸れないのが難点だが、どこにもだらだらするところがなく、きりりとしていて好ましい。第2楽章も贅肉ひとつない精悍な演奏だ。第3楽章では金管楽器が猛烈。ここまでやると聴いていて痛快になる。第4楽章はクレンペラーの凄みを見せる。クレンペラー自身は冷静だったと思うが、大変激烈な演奏を繰り広げている。あまりのパワーに「えっ、どうしちゃったの?」と私でもびっくりしてしまう。ライブではクレンペラーもかなり激しい棒を振っていたのがよく分かる。

 なお、録音は余計な音響処理をしていないモノラルで聴きやすい。

 

An die MusikクラシックCD試聴記、1998年掲載