クレンペラーのオムニバスCD

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CDジャケット

ポピュラー管弦楽曲集
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
EMI(国内盤 TOCE-9768-69)

DISC 1

ウェーバー

  • 歌劇「魔弾の射手」序曲
  • 歌劇「オイリアンテ」序曲
  • 歌劇「オベロン」序曲

フンパーディング

  • 歌劇「ヘンゼルとグレーテル」序曲
  • 歌劇「ヘンゼルとグレーテル」より”夢のパントマイム”

グルック(ワーグナー編)

  • 歌劇「オーリードのイフィジェニー」序曲

録音:1960年

DISC 2

J.シュトラウス

  • ワルツ「ウィーン気質」作品 354
  • 喜歌劇「こうもり」序曲
  • 皇帝円舞曲 作品437

ヴァイル

  • 「小さな三文音楽」〜音楽劇「三文オペラ」よりの管楽オーケストラのための組曲

クレンペラー

  • メリー・ワルツ

録音:1961年

 現在国内盤では2枚組CDとなっているが、企画したプロデューサーの意図を考慮すれば、もとの形で発売されるべきものである。元来は別の曲集であったのだ。前半の序曲集は"Romantic Overtures"、後半のワルツをはじめとする管弦楽曲集は"Golden Concert"と題された別のLPであった。輸入盤ではまだばら売りされていると思う。もっとも、片方を聴いたら、まず間違いなくもう一方を聴きたくなるはずだから、国内盤を買ってしまっても問題はないだろう。

 このCDには小規模な曲が沢山収録されているが、演奏の質の高さには誰もが驚くことだろう。そもそもクレンペラーはこういう短めの曲を単なる「小品」とは考えていなかったのではないかと思われる。一曲毎に感じられる辺りを払う威厳に接するとそう思わざるをえない。音楽に対して真摯に取り組む姿勢が聴き手の胸を打つ。

 "Romantic Overtures"

 「魔弾の射手」序曲:クレンペラーはイギリスのオケで演奏しているにもかかわらず、ドイツ的な音色を引き出している。ホルンの深々とした響き。主部もアクセントがはっきりしていて、音楽の輪郭が鮮やかに浮かび上がる。男性的な豪放さも十分で、名曲の名演と呼ぶにふさわしい。

 「オイリアンテ」序曲:高密度の充実した演奏。オケの圧倒的なパワーを見せつけられる一方、弱音も極めて美しい。特に弦楽器が好調ぶりを示している。クレンペラーの語り口はここでも巧みで、おおらかな歌があるし、音楽に内在する風格も如実に音にしている。威厳に満ちたクレンペラーの指揮が存分に楽しめる。

 「オベロン」序曲:ウェーバーの傑作にふさわしい最高の名演。前奏部分からただならぬ集中力を感じさせる。木管楽器の美しい音色が前面に出されているのも嬉しい。それだけではない。全曲に漲る緊張感が音楽に熱気を与えている。とてもスタジオ録音とは思えないほどの熱い演奏だ。

 「ヘンゼルとグレーテル」序曲:歌劇場生活が長かったクレンペラーにしてみればこの選曲は決して珍しくはない。今も昔も、クリスマス・シーズンでは各地の劇場で上演されている。しかし、これほど高度な演奏はめったに聴けないはずだ。叙情性、幻想性、ダイナミズムなど、どれをとっても超一流の演奏。まるで大交響詩のような壮大なスケールさえ感じさせる。

 「ヘンゼルとグレーテル」より”夢のパントマイム”:夢の世界。どう演奏すればこんな清浄な音楽になるのだろうか。静かに白熱する音楽が非常に感動的である。

「オーリードのイフィジェニー」序曲:これについてはお手数であるが、こちらをご参照。

 "Golden Concert" 全曲とも最高の音質。演奏も最上級。

 ワルツ「ウィーン気質」:ワルツはクレンペラーには似つかわしくないレパートリーだ。しかし、聴いてみると、どの楽器もニュアンス豊かで、暖かみのある自然体のワルツに仕上がっている。まろやかな弦楽器の響きにはうっとりする。ブラインド・テストをすれば、クレンペラーの演奏だとは誰も分からないかもしれない。第一級の演奏だと思う。

 「こうもり」序曲:「こうもり」にはさらに驚かされる。オペレッタの第一幕がこのまま始まってしまいそうだ。。この感動的な演奏を私の文章の力では語り尽くすことができない。是非ご一聴ありたい。

 皇帝円舞曲:音楽の愉悦に満ちた演奏。クレンペラーの高い音楽性が光る。次から次へと移り変わる情景描写が巧みで、歌に溢れ、要所要所のアクセント付けもきっちりと明確である。そのため、音楽がどんどん高揚してくる。華麗さにおいても文句なしだ。クレンペラーにしても自画自賛したいほどの演奏だろう。

 「小さな三文音楽」:クレンペラーが現代音楽の旗手であったことは良く知られている。もちろんクルト・ヴァイルとも親交があった。クレンペラーは自分が気に入っていた「三文オペラ」の組曲を作ることをクルト・ヴァイルに進言。ヴァイルはそれに応え、「小さな三文音楽」が完成した。クレンペラーが1929年に初演したという。楽器編成が変わっていて、弦楽器を除いた管楽器中心の編成である。

 悲しげな曲があったかと思えば思わず吹き出しそうになるほどユーモアに溢れた曲が続くなど、実に面白い曲だ。クレンペラーはそうした曲を大まじめに演奏している。どの楽器も楽しみながら演奏している感じが出ているし、そのプレーヤー達の喜びがひしひし伝わってくる。聴かなければ絶対損。なお、クレンペラーはこの曲をクロール・オペラ時代に早くも録音しているから聴き比べもできる。

 メリー・ワルツ:クレンペラーの自作自演である。世紀末の退廃的な香りがするワルツ。原曲はオペラ「Das Ziel」の一部。クレンペラーはそれを大管弦楽用に編曲した版を使用している。いわゆる現代音楽ではなく、大変楽しめる曲である。なお、ストコフスキーによる演奏もあるのでご一聴ありたい。

 

 

CDジャケット

ヤナーチェック:シンフォニエッタ
録音:1951年1月11日

バルトーク:ビオラ協奏曲
ビオラ演奏:ウィリアム・プリムローズ
録音:1951年1月10日

シェーンベルク:浄夜
録音:1955年7月7日
クレンペラー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管(ライブ)
archiphon(輸入盤 ARC-101)

 このCDはかなりマニア向けだと思われる。が、非常に重要なCDなので取り上げた。このCDに収録されている曲名、演奏家名を見ただけで、思わずCD屋さんに走りたくなる人がいるはずだ。

 クレンペラーは現代音楽の旗手として世界に名を轟かせた指揮者であるにもかかわらず、晩年にEMIに録音したのは古典派・ロマン派の曲ばかりで、この指揮者の芸術の片鱗しか伝えていない。したがって、こうした曲の演奏が、たとえモノラルであれ、現在に残されたのは嬉しい。EMIがその気になればこうしたすごいライブ録音が山ほど出てくるはずなのだが。

 まずはシンフォニエッタ。私をはじめこの曲を好きな人は多いと思う。大変楽しい曲だ。クレンペラーも非常にいい演奏をしている。暖かみもある。ボヘミアの音楽家でなくたってこうした風格のある演奏はできるのだ。最初のファンファーレから速すぎず、また遅すぎず、実にいいテンポで広がりのある音楽が進行するから聴いていて安心する。シンフォニエッタは当時の聴衆にとってはまだ現代音楽だったかもしれないが、今聴くとほのぼのミュージックだから、クレンペラーの演奏そのものを自然に楽しめる。

 クレンペラーはヤナーチェックにかなりの関心を持っていたらしい。歌劇「イエヌーファ」を初演後間もない頃から取り上げたばかりか、まだ完成していないシンフォニエッタをアメリカで初演したくてヤナーチェックに催促の手紙を書いている。完成の翌年にはヴィースバーデンで演奏、さらにクロールオペラでも取り上げているようだ。新しいもの好きだったのかもしれないが、音楽に対する共感がなければできないことだ。その結果こんな暖かみのあるシンフォニエッタになったのではないだろうか。

 バルトークのビオラ協奏曲。この名曲の成立事情をご存じの人はこのCDの価値がよく分かるであろう。最晩年のバルトークにビオラ協奏曲を委嘱したのが他ならぬこのソリスト、プリムローズである。バルトークは完成を見ずに1945年に他界。遺作を友人のシェルイが完成させている。この演奏は1951年1月10日に行われているから、この当時はバリバリの現代音楽であった。したがってこのCDの意義は非常に大きく、当時の演奏風景がよく分かる。プリムローズの演奏はモノラルながら克明に刻まれている。シャープなビオラということもできるのだが、私には極めてロマンチックに感じられる。むしろ甘美とさえ言えるかもしれない。クレンペラーが指揮するコンセルトヘボウも好演。

 シェーンベルクの浄夜。演奏時には既に作曲から半世紀たっている。それにしても現代音楽であったことは間違いないだろう。

 演奏はどうかというと、とても「現代音楽」を聴いているような雰囲気ではないのである。それこそヘルベルト・ケーゲルがこの曲を演奏したらこうなるのではと思わせるほど激烈感情移入型の爆演である。そう聞こえるのはやや乾いた録音のせいなのかもしれないが、繊細、ロマンチック、あるいは無表情な演奏が現代では多い中、クレンペラーはいつものイメージとは全く違う演奏をしている。一体クレンペラーはこの曲に何を感じていたのであろうか?

 最後に一言。どの曲もライブ録音である。が、演奏の精度が極めて高いので驚く。アムステルダムの市民はうらやましい。こうした最高のプログラムを最高の現代音楽理解者であるクレンペラーの指揮で、しかも世界最高のオケであるコンセルトヘボウ管で聴けたとは何と幸せなことであろうか。

 

 

CDジャケット

モーツァルト:交響曲第25番ト短調 KV.183
録音:1951年1月18日
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 作品92
録音:1951年4月26日
マーラー:
さすらう若人の歌
バリトン:ヘルマン・シャイ
録音:1948年11月24日
クレンペラー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
archiphon(輸入盤 ARC-109)

 モノラルのライブ録音。まず演奏から。

 モーツァルトがすさまじい演奏だ。演奏時間はEMIの正規録音よりも全曲で3分短い。物理的にはそれだけなのだが、聴感上はもっと速く感じる。特に第1楽章。あまりの速さにCDプレーヤーが壊れたのかと思った。ただし、私はこれが異常なテンポだとは思わない。速いテンポが生み出す緊迫感は最高で、このト短調交響曲にぴったりである。

 ベートーヴェンも速い。こちらも正規録音より速く、全曲で5分も違う。単に物理的条件を比較してもしょうがないのだが、クレンペラーのテンポは一般的に言われているように決してスロー一辺倒ではないのである。このベートーヴェンで特筆すべきは第1楽章で、テンポを変えずに演奏したといわれるクレンペラーがあちこちでテンポを急に変えたり、アッチェランドをかけたりしている(他の楽章でもやっているが)。面白い演奏だ。

 マーラー。これは意外とつまらない。バリトンの歌い方が素人くさいからということもあるが、どうもマーラーらしい苦悩が伝わってこない。クレンペラーはマーラーの伝道者として名高いし、コンセルトヘボウはメンゲルベルク以来マーラー演奏の長い歴史を築いているから期待して聴いたのだが、どうもいまいちである。バーンスタインでこの曲を聴きすぎたせいかもしれない。

 ところで、ここからCDの解説をもとにコンセルトヘボウでのクレンペラーについて書きたい。

 クレンペラーのコンセルトヘボウとの協演は1929年にメンゲルベルクが招いた時に遡る。両者はその後も親密な関係を維持していたようだ。コンセルトヘボウは戦後アメリカからヨーロッパに戻ったクレンペラーを最初に招いたオケのひとつであった。

 このオケとの協演は1964年まで続く。クレンペラーはコンセルトヘボウをかなり気に入っていたらしい。世界最高のオケのひとつであるから嫌なわけはないだろうが、団員をはじめ、関係者との間がうまくいっていたのだろう。クレンペラーの第1交響曲(作曲1960年)はコンセルトヘボウによって初演されている。オケの団員からも尊敬されていたようだ。いくつかの逸話が紹介されている。例えば、バッハの管弦楽組曲第3番を演奏した時のこと。小さい編成の曲だから、非番になった団員が会場で演奏を聴いていたそうな。非常にすばらしい演奏だったらしく、演奏終了後仲間の団員がオケに駆け寄り目に涙を浮かべながら絶賛したらしい。腕利きのプロが聴いて涙を浮かべる演奏をしていたわけだ。

 また指揮をする姿も団員に感銘を与えるに十分だったらしい。両手だけでなく、眼光がすごかったようだ。「彼は目で指揮をした」とある。

 面白いのは指揮台に向かうクレンペラーだ。クレンペラーは開演前には指揮をする作品に集中していて、演奏開始前に儀礼的に行われる聴衆の拍手が疎ましかったらしい。そのため、クレンペラーは指揮者のポジションに着くと、できる限り速くオケに体を向け、指揮棒を振り下ろしたらしい。実はこのCDにはそれを裏付ける証拠が入っている。マーラーの「さすらう若人の歌」の開始部分である。まず聞こえるのはオケの団員が一斉に腰を下ろすバタバタという音で、それが完全に終わらないうちにいきなりクラリネットが出てくる。おそらくクラリネット奏者はクレンペラーがすぐさま指揮棒を振り出すことを知っていて、いち早く楽器を持って構えていたのだろう。

 

An die MusikクラシックCD試聴記、1999年掲載