クレンペラーのワーグナー

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CDジャケット

ワーグナー
歌劇「リエンツィ」序曲
歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
歌劇「タンホイザー」序曲
歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲
歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲
楽劇「ニュールンベルクのマイスタージンガー」前奏曲
「同」徒弟たちの踊りと親方たちの入場
録音:1960年2,3月
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
EMI(輸入盤 7243 5 66805 2 4)

 文字通りワーグナーてんこ盛りのCD。全曲を通して聴くのはかなりの体力と集中力を要するので、お勧めしない。

 「リエンツィ」序曲:長らく劇場の人であったクレンペラーの面目躍如たる演奏。ドイツ的重厚さと陽気さが見事に両立。やや遅いテンポで朗々と響き渡る「リエンツィの祈り」は実に雄大である。続く行進曲風の主題も極めて快活。そのまま幕が上がってしまうのではないかと錯覚する。

 「さまよえるオランダ人」序曲:全曲録音ではドレスデン版を使用していたが、こちらは通常の版で演奏されている。したがって最後に「救済のモチーフ」が登場する。聴き比べをすると大変面白い。

 演奏はこちらも迫力満点で、怒濤なような勢いで進行し、強力なブラス・セクションがオケを支配している。ホルンの響きは悪魔的。ティンパニーは雷鳴のように轟く。音楽の進行につれて緊迫感が高まり、巨大なクライマックスを築く。クレンペラーはこの1曲だけでも燃え尽きてしまったのではないかと思われるほどの集中ぶりだ。

 「タンホイザー」序曲:叙事詩的な世界を見るが如き気宇壮大な演奏。最後に金管楽器によって主題が輝かしく奏でられるところは、神々がゆっくり飛翔していくような神々しさがある。この曲で特筆すべきは弦楽器群の音だ。透明感があり、しなやかで、弱音にも力が漲っている。クレンペラーとしても、こうしたオケがあるからこそ実現できた演奏だろう。

 「ローエングリン」第1幕への前奏曲:静謐感が漂う空間の中で生まれる崇高な響きがすばらしい。テンポはやや遅め。クレンペラーは弱音を巧みに活かし、弦楽器が織りなす精妙な世界を表現している。弱音の美しさに陶然となる。

 「ローエングリン」第3幕への前奏曲:こちらは一転して速めのテンポに変わり、豪快かつ華々しい音楽を作り上げている。音の饗宴とも言うべきか。

 「ニュールンベルクのマイスタージンガー」前奏曲:威風堂々のマイスタージンガー。これ以上立派にはできない、極限的なスケール。オケの分厚い響きはまさにドイツ的。じっくりとしたテンポで重厚かつ祝典的な雰囲気を見事に描写していると思う。これ以上の説明が不要の名演。

 「同」徒弟たちの踊りと親方たちの入場:場面の描き分けが面白い。きびきびとしたリズムで演奏される前半の徒弟の踊りから、後半の親方達の入場になると堂々とした貫禄と熱気に包まれる。

 

 

ワーグナー
楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
楽劇「神々の黄昏」ジークフリートの埋葬行進曲
録音:1960年2,3月
楽劇「ラインの黄金」神々のワルハラへの入場
楽劇「ヴァルキューレ」ヴァルキューレの騎行
楽劇「ジークフリート」森のささやき
楽劇「神々の黄昏」ジークフリートのライン騎行
歌劇「タンホイザー」第3幕への前奏曲
舞台神聖祭典劇「パルジファル」前奏曲
録音:1961年10,11月

クレンペラー指揮フィルハーモニア管
EMI(輸入盤 7243 5 66806 2 3)

 クレンペラー70〜71歳の録音。解説によればクレンペラーは29歳になるまでに「ローエングリン」から「オランダ人」に至る、ワーグナーの主要な楽劇すべてを演奏していたという。そうしたクレンペラーが最晩年になってから録音したワーグナーであるからには凡庸では決してない。

 しかし、私個人としてはこのCDに収録されている曲にはいくばくかの不満がある。やや乾いた録音のせいもあるが、どうにもオケに色気がない。私はクレンペラーの録音を数多く聴いてきたし、他の演奏を聴いていてもフィルハーモニア管の音色はすばらしいとかねがね感心してきた。その私でも、この録音はいただけない。特にオーボエの音は薄っぺらく、乾き切っており、はなはだ音楽的でない。イギリス本国で開発されたartというリマスタリング方式はかなり鮮明な音質を提供し、国内盤リマスタリングのHS2088に比べても格段の高音質だと思うが、それでも聴いた後の印象は良くない。クレンペラーの指揮は重厚で、スケール雄大、立体感にも優れているのでどの曲を聴いても感心するのだが、この曲集に最も必要と思われる色気のなさは如何ともしがたい。クレンペラーほどの大指揮者にしてもワーグナーの、それも最高傑作とされる「トリスタン」や「指輪」、「パルジファル」をイギリスのオケでは演奏しきれないということだろうか。

 このCDについては私の理解不足もあると十分考えられるので、将来再度聴き直してみたい。

 

 

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ワーグナー
楽劇「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲
クレンペラー指揮ウィーンフィル
録音:1968年
MEMORIES(輸入盤 HR 4587)

 クレンペラーが最晩年の1968年にウィーン芸術週間でウィーンフィルを指揮した演奏のひとつ。CDは”Great German Conductors”というタイトルが付いているとおり、フルトヴェングラー、ワルター、クナッパーツブッシュ、R.シュトラウス、サヴァリッシュの指揮した曲がずらりと収録されている。言ってみれば寄せ集めのCDなのだが、それでもクレンペラー&ウィーンフィルの録音が聴けるのは嬉しい。

 演奏は期待に違わずすばらしい出来だ。フィルハーモニア管との「トリスタン」が意外なことに色気に欠ける演奏であったのに対し、こちらは濃厚な色気を感じさせる。さすがはウィーンフィルというべきか。クレンペラーはさほどテンポを落としてはいないのだが、何となく遅いテンポに聞こえる。余りにも濃厚な演奏のためだ。この演奏を聴き始めると、時間の流れが止まってしまい、暗い官能の世界を永遠に彷徨えるかもしれない(?)という気になる。この調子で「トリスタン」全曲が録音されていれば間違いなく世紀の名演奏になったことであろう。音質的には最上とはいえない。テープの経年劣化のためか、木管楽器がやや乾いた感じだ。しかし、それでもなお濃厚なエロチックさが聴き手を包む。すごいことだ。ウィーンの聴衆はさぞかし興奮してしまっただろう。

 なお、念のため、このCDに収録されている他の曲を列記しておく。フルトヴェングラーの「コリオラン」など猛烈な演奏が収録されていて、なかなか面白い。

  • フルトヴェングラー(Berlin,1943):ベートーヴェン:「コリオラン序曲」
  • ワルター(Paris,1956):モーツァルト:「フリーメイソン葬送音楽」
  • クナッパーツブッシュ(Vienna,1961):ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番
  • R.シュトラウス(Berlin,1928):グルック:「アウリスのイフィゲニア」序曲
  • サヴァリッシュ(Milan,1966):ワーグナー:「さまよえるオランダ人」序曲
 

 

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ワーグナー
ジークフリート牧歌
録音:1960,61年
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
EMI(国内盤 TOCE-)

 クレンペラーのこの録音はどういうわけか、継子扱いされているような気がする。輸入盤でも国内盤でもワーグナーの曲集に入れてもらえていない。輸入盤ではマーラーの交響曲第9番の余白に入っているし、国内盤ではR.シュトラウスの管弦楽曲集の余白だ(写真は国内盤ジャケット)。EMIはこの録音を高く評価していないのではないだろうか?もしそうなら、とんでもないことだ。長いこと私はジークフリート牧歌はつまらない曲だと思っていたのだが、クレンペラーの演奏で聴くと実にいい。本当にいい。この曲はワーグナーが自宅で演奏して自分の妻コジマを喜ばせるために作ったという経緯もあって、大ホールで演奏される曲に見られるようなこけおどしがない。地味ながらも清澄さや明朗さ、そして当時のワグナーの幸福感がそこはかとなく盛り込まれた佳曲なのだ。しかしながら、世の中に溢れるこの曲の演奏ときたら、ただダラダラ演奏しているものばっかり! そりゃ、この曲は「牧歌」だから、ほのぼのと演奏したいという気持ちも分からないではないが、いくらなんでも間延びしてはいけない。もちろん、クレンペラーの演奏はさすがに間延びの「ま」の字すら感じさせない。きりりと引き締まっているし、驚くべきことに幸福感がひしひし伝わってくる。おそらく、クレンペラー自身がこの曲に相当な愛着があったのではないかと思われる。まさに演奏家が自分の好きな曲を慈しむように演奏した典型例だと思う。「どうもジークフリート牧歌はつまらない」と思っている人がいたら一聴することを強くお勧めする。

 

 

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ワーグナー
ヴェーゼンドンクの5つの歌
メゾ・ソプラノ:ルートヴィッヒ
録音:1961年11月22-24日
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
EMI(国内盤 TOCE-3131-32)

 名曲の超絶的演奏。

 夜、静かにこの曲を聴き始めたら、おそらく誰もがあまりの甘美さに陶然となるに違いない。この曲にまつわる背徳的な事情を知らなくとも、静かに静かに高まるやるせない想いが聴き手を捉えて放さないであろう。暗く、内に秘めた情熱が名演奏家によって芸術的に昇華されると、これほどの神秘的な世界が描けるのである。解説には「背徳と浄化をとけあわせた異常な次元における精神の燃焼」という言葉が載っている。それは全くこの曲と、このクレンペラーの演奏にぴったり当てはまる言葉だ。これは「ヴェーゼンドンク」の最高の演奏に数えられるべき至高の演奏だと思う。演奏が始まった瞬間に冷気が忍び寄ってくるような錯覚まで感じる。聴き手は、作品の持つ魔力と、演奏家が醸成する神秘の世界を部屋にいながら堪能できるという贅沢を味わえる。

 もちろん、このような高次元の演奏はクリスタ・ルートヴィッヒという類い希な歌い手があって初めて実現する。この演奏にはワーグナー至高の芸術が、最高の奏者を得て目の前で甦ったようなリアリティがある。クレンペラーの演奏は一切の誇張がなく淡々としているようだが、細かい表現まで徹底させているようだ。オケもソリストも最高の出来。1曲毎に激しい切迫感を感じる。真に迫った演奏とはこのことだろう。

 この曲は短いがワーグナーの作品の中でも極めて重要な位置を占めている。やや玄人好みの曲でもあるわけだが、クレンペラー盤はこの曲を知る音楽ファンにとってはなくてはならない演奏のはずだ。クレンペラーファンでなくても隠れた名演として珍重している人も多いはずである。EMIは国内盤を作る際にカップリングの関係からなのか、重要な作品を省き、結果的に長い間カタログ落ちさせることが多いが、さすがにこの名演奏だけは残してくれた。

 なお、現行国内盤でカップリングされているのは1962年録音のマーラーの交響曲第2番「復活」である。こちらも極めつけの名演。

 

 

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ワーグナー
歌劇「さまよえるオランダ人」
録音:1968年2,3月
クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管
EMI(国内盤 TOCE-9755-57)

 強靱な力が漲るクレンペラー最高のオペラ録音。

 最晩年、既に齢83を数えるクレンペラーがこれほど力強いワーグナーを演奏できたとは。老化のかけらも感じさせない見事な指揮だ。まさに理想的なワーグナー演奏で、歌手達が力演している上に、オケが持てる最高の力を発揮している。ウォルター・レッグは「フィデリオ」をクレンペラー最高のオペラと言っているが、私はこの「オランダ人」だと確信している。曲自体が魅力的であることも手伝って、全曲を何度も聴きたくなってくる。ワーグナーの毒にどっぷり浸かってしまいそうな非常に危険なCDである。ワーグナーファンは決して近寄ってはいけない。

 ちなみにこの国内盤CDには「1843年ドレスデン・オリジナル版」と記載されている。しかし、解説にはその説明がない。なぜだろう? 解説が解説の役目を果たしていない。非常に重要なポイントであるので、これはそのままにはできない。

 実は、幸いなことに、この版についてはクレンペラー自身の解説がある。「クレンペラー 指揮者の本懐」(シュテファン・シュトンポア著 野口剛夫訳 春秋社)から『「オランダ人」の原典版』の項目をそのまま抜粋する。

リヒャルト・シュトラウス博士は<サロメ>を指揮したおりに、私たちがこれから<さまよえるオランダ人>を新しく手掛けるということを聞き、原典版を使うようにと忠告してくれました。この版は、1852年にヴァーグナーによってオーケストレーションが変更された版よりもはるかに優れているというのです。パート譜はチューリヒにあったので、そこから取り寄せて私たちは原典版で上演しました。
この版は改訂版とは本質的な違いがあります。序曲は轟くようなフォルティッシモで、救済のモティーフを全く奏さずに締め括られます。第2幕でオランダ人が登場する場面では、トロンボーンが鳴り響きますが、校訂された版では弦のピチカートのみです。私たちは、ヴァーグナーが当初考えていた通りに、このオペラを三つの幕によって上演しました。今では頻繁に一幕ものとして、あるいは二幕ものとして上演されています。一幕版はまだ許せますが、二幕版の方はとても酷いものです。

 この説明は大変わかりやすい。別のところでもクレンペラーは改訂版のオーケストレーションが響きを軟化させていると指摘しているが、実際に聴いてみるとそのとおりだ。この原典版では剛毅な響きに満ち満ちている。例えば、クレンペラーが説明するとおり、序曲の最後のところでは通常アンチクライマックスがあって救済のモティーフが出てくるが、原典版ではそれが出てこない。クレンペラーの演奏では序曲の集結部に向かって音楽が雪崩を打って突進しているような趣があり、そこでは金管楽器が「天よ割れよ、地よ裂けよ!」といわんばかりな鳴りっぷりだ。最初の序曲からして剛毅な響きに圧倒される。こんな演奏をされたのではクプファーのようなエロチックな演出はとても許されまい。

 ただ、クレンペラーの説明ではワーグナーが最初は三幕形式を望んでいたとあるが、本当だろうか。1843年にワーグナーが三幕で上演したのは当時の歌劇場の慣習に従ったからであって、ワーグナー自身は一幕形式を望んでいたと思うのだが。どなたか詳しい方、教えていただけないだろうか?

 ところで、このCDは録音もまずまず。「優秀」と書けないのには一つだけ大きな問題があるからだ。第三幕第一場でオランダ人の乗組員達とノルウェーの水夫達が掛け合いをする面白い場面があるが、なんと効果音として入れてある風の音で楽音が歪んでしまっている。これはひどい。せっかくの聴かせどころで演奏もいいのに。この部分を聴いた時には我が耳を疑ってしまった。マスターからここだけリミックスできなかったのだろうか。わずか四分しかない場所ではあるのだが、せっかくの名曲、名演奏であり、このシーン以外は名録音であるだけに残念である。

 キャストは以下のとおり。

  • ダーラント:マルッティ・タルヴェラ
  • ゼンタ:アニヤ・シーリア
  • エリック:エルンスト・コツーブ
  • マリー:アンネリーズ・ブルマイスター
  • かじとり:ゲルハルト・ウンガー
  • オランダ人:テオ・アダム
  • BBC合唱団
 

 

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ワーグナー
楽劇「ワルキューレ」から第1幕
第3幕より「ヴォータンの告別」
録音:1969年10,11月、1970年10月
クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管
EMI(国内盤 TOCE-9758-59)

 長い歌劇場生活の間に数多くワーグナーの歌劇・楽劇を演奏してきたであろうクレンペラーのワーグナーがわずかしか残されていないのは大変残念だ。しかし、わずかでも存在することを感謝した方がいい。このワルキューレだって、録音に着手するのがもう少し遅ければ、私どもは全く耳にすることができなかったのである。

 実はこのワルキューレはクレンペラー最後の録音のひとつになるのだ。この録音開始時、1969年にクレンペラーは84歳という高齢であった。「指輪」の中でもワーグナーの最高傑作であるワルキューレを先に録音しなければ「まずい」とプロデューサーはじめ、周囲の思惑が一致したに違いない。関係者は結構焦ったはずだ。その証拠に第2幕より先に、ワルキューレ最大の聴きものである「ヴォータンの告別」が完成されているのだ。このワルキューレ全曲が完成しなかったのは極めて残念だが、残された部分だけでもクレンペラーという巨人の至芸に触れることができる。

 第1幕。クレンペラーはワーグナーを演奏する時でも奇を衒ったりしないから、取りたてて変わった演奏のようには感じられないかもしれないが、実に濃厚な演奏である。高齢の割にはテンポが遅いわけでもなく、淡々と演奏している。それなのに音楽が次第に高揚してくる。もともと愛を高らかに歌い上げる作品だから、グッと盛り上がってくるのは当たり前なのだが、その盛り上がり方がまさにジワリジワリという感じなのである。煽ろうと思えばいくらでも煽る演奏ができたろうにそうしないのがクレンペラーらしいところだろう。波瀾万丈の人生の中で派手な女性スキャンダルもあったクレンペラーが描く愛の場面がこのようにじわじわと演奏されるとは! 煽りがない分すごくそれっぽい。<...実はもっとすごい言葉で書きたいのだが、公序良俗に反するのでご勘弁いただきたい。>ワルキューレでさえこんな演奏になるのだから、トリスタンを演奏したらどうなるのだろう? ものすごい官能大作になるのではなかろうか? 聴きたいぞ!

 第3幕ヴォータンの告別。こちらはややテンポが遅い。が、その分ヴォータンが言葉をかみしめるように歌うのでよりドラマチックである。私はこのくらいゆったりとしている方がこの大作の最後にはふさわしいと思う。ワルキューレはブリュンヒルデのまどろみの動機が奏でられる中、ヴォータンが舞台に背を向け消えて行くところで終わるわけだが、そうした部分のヴォータンの心の有り様がこのテンポによってよく伝わってくるので面白い。欲を言えばこれ以前のブリュンヒルデとのやりとりを聴いてみたいのだが、いかんともしがたい。

 ところで、このCDについてEMIには一言申しあげたい。貧弱な録音は致し方ないとしても、やはりこの曲には歌詞をつけていただきたい。歌詞を省くことによって低価格化を図ったことは良く知っているのだが、こと「指輪」に関してだけは困る。「指輪」では、それこそ言葉のひとつひとつにライトモチーフがついて回るから、歌詞がないとワーグナーが苦心して作った楽劇の意味が理解できないのである。もちろん、歌詞がなくともこの名曲を鑑賞することは可能だが、初めてワルキューレを聴こうとする人には難しすぎるだろう。何とかならないものだろうか。

 歌手名を記載しておく。どの歌手も大変な力演である。特にフンディングは非常に凄みがある。

  • ジークリンデ:ヘルガ・デルネシュ(ソプラノ)
  • ジークムント:ウィリアム・コクラン(テノール)
  • フンディング:ハンス・ゾーティン(バス)
  • ヴォータン:ノーマン・ベイリー(バリトン)
 

An die MusikクラシックCD試聴記、1998年掲載