クーベリックは本当にライヴの人か?

文:松本武巳さん

ホームページ  WHAT'S NEW?  「クーベリックのページ」のトップ


 
 

 話題の発端

 

 今回は、最近クーベリックのライヴがもてはやされていることを、それ故に色々なかつては聴く術もなかった音源を入手できる幸せを享受している一方で、「ライヴの人」なる言葉の真意を探って、その言葉がクーベリックに果たして当てはまるかどうかという見地から検証してみたいと思う。

 

■ クーベリックの解釈の前進性

 

 クーベリックの解釈の大前提はゆるぎない確固たるものであったであろうか? その点について、彼の数多い「わが祖国」を例に説明を試みると、5つの正規録音の間には、細かい解釈の変更は結構見られる。そして彼の、多分今まで、誰も主張していないことと思うが、彼の指揮者としてのモットーは「わが道を前進あるのみ」であったと信じる。その理由は、新録音で解釈の変更を加えた部分を、それ以降の再録音で元の解釈に戻したことが、多分一つもないこと、に尽きるであろう。そして、実は彼のライヴ録音を、海賊盤を含めてアナリーゼしてみても、このスタンスは終生一貫していたと思われる(この点は留保つきです。なぜならば、私は彼が複数の音源を残した曲で、スコアを持っていない曲が存在しているからである)。

 

■ 正規音源での解釈の変遷例

 

 上記のことを例示してみると、1952年のCSOとの「わが祖国」の解釈を、1958年のVPOとの「わが祖国」では、実は相当大胆な解釈上の変更を多く見せている。ところが、1971年のBSOとの「わが祖国」は演奏の出来栄え自体は素晴らしいものの、1958年盤と本質的な解釈の点に絞って見れば殆ど酷似した解釈に終始している。また、1984年のBRSOとの「わが祖国」では、1971年盤よりは変更点が多くなる。しかし、1952年盤の解釈に立ち戻った部分は、私のアナリーゼ能力の範囲内では一箇所もない。そして、1990年のチェコ・フィルとの「わが祖国」では、実は一箇所も新しい試みは見せていない。この意味では、チェコ・フィルとの録音は5つの「わが祖国」の中では、余韻とも言える存在である。これは、それぞれの演奏の出来栄えを評論しているのではないことに、ご注意いただきたい。私は、演奏の前提たるスコアリーディングに特化した話をしているのである。

 

■ 海賊盤への当てはめ

 

 これを、海賊盤の録音とリンクしてみると、例えば1970年にイタリアのオケと演奏したものは、細部の解釈を追いかけながら聴いてみると、ちゃんと1958年VPOと、1971年BSO の両録音における解釈の中間であることが確認できる。つまり、ライヴ故の独特の解釈は一切取っていないのである。同様に1975年の海賊ライヴは、1971年BSOと、1984年BRSOとの間の解釈を取っていることを確認できる。要するにクーベリックのライヴは、複数の正規盤がある曲ならば、海賊盤の真偽性が検証できるのである。つまり、1970年イタリアライヴは、少なくとも『クーベリックの1958年正規盤以降のライヴで、かつ1971年正規盤以前のライヴである』ことが、彼の解釈の変化が前進方向に一点張りであることと相俟って、証明可能なのである

 

■ 本来的な「ライヴの人」

 

 これは何を意味するか、と言うと、本来的に「ライヴの人」と言われる要件である、演奏中に燃え上がってキレた演奏が結果的に痛快な演奏になった、あるいは、元々スタジオ録音とは全く違ったスタンスで、コンサートホールでのライヴ演奏はその日の状況で恣意的な解釈を取り、結果として爆演になるのを厭わず演奏する、このどちらのスタンスにもクーベリックのライヴ録音は全く合致しないのである。

 

■ クーベリックのライヴの魅力の本質

 

 では、何故クーベリックのライヴがもてはやされるのであろうか? これは、以下のように考える。彼のライヴは、とても息遣いが深く大きいのである。要するに、演奏の振幅が大きく、深い呼吸をしつつ、さらに場合によればうねりすら感じ取れる、まさにその部分が彼のライヴの素晴らしさであると言えよう。表現の幅がとても広がり、時には大地が鳴動するような指揮振りである。スタジオ録音での彼の「中庸の美徳」は微塵もない。だが、彼は、本質的な解釈は不動であるし、彼が我を忘れて、燃え上がった爆演とは全ての意味で次元が違っているのである。

 

An die MusikクラシックCD試聴記 文:松本武巳さん 2003年7月25日掲載