オルフェオの「シンフォニエッタ」と「ドヴォルザークの第6」

文:松本武巳さん

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CDジャケット

ヤナーチェク作曲 シンフォニエッタ
ドヴォルザーク作曲 交響曲第6番ニ長調op.60
ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団
録音:1981年10月16日(ライヴ)
ORFEO C552 011B(ドイツ盤)

 

■ 私の溺愛する両曲

 

 私はヤナーチェクが好きであることは前に書いたが、もちろんドヴォルザークも好きである。ただし、私の好きなドヴォルザークの曲はざっとあげると、交響曲第6番、弦楽セレナード、序曲「オテロ」、交響詩「水の精」、伝説曲、スターバト・マーテル、ピアノ曲「8つのユモレスク」(7番が異常に有名ですが他の曲も良いですよ! ルドルフ・フィルクシュニーの名演が残されています)等々、やや風変わりなラインナップであろう。ピアノ曲以外の全ての曲にクーベリックの名演が存在することに喝采を浴びせたい。こんな私であるから、このオルフェオから出されたライヴ録音は、ただでさえ私の垂涎のカップリングである上に、演奏も空前の名演であるとされているから、完全に私の激愛するCDである、と言いたいところであるのだが、今回このCDを採りあげる理由は別のところにあるのである。実は客観的にはDGへの正規録音より劣っていると、私自身は考えているにもかかわらず、どうしてもこのCDに触れないわけには私としてはいかないのである。

 

■ ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」

 

 さて、前座にヤナーチェクの「シンフォニエッタ」が置かれているので、こちらから書こう。この曲のCDは正規だけで5種類に及ぶ。1946年の亡命前のチェコ・フィルとのもの、VPO(ウィーン・フィル)との1955年頃のモノラルのスタジオ録音と、時期を接したライヴ録音、70年代に入ったばかりのDGへのBRSO(バイエルン放響)とのスタジオ録音に、この80年代のBRSOとのライヴである。録音の時期も適当にばらついており、比較しやすい特徴もあるが、VPOとの2種類は出来が芳しくない。むしろ、若いときに残したチェコ・フィルとの録音に魅力を感じる。DGとのものは、伊東さんがお書きになられている通り、とても優れた演奏である。客観的な安定した標準的名演として永く語られるであろう録音である。この1981年のライヴは、少々バランスはDG盤に劣ると思われるが、ヤナーチェクへのクーベリックの思いが、よりストレートに表出されている点で優れている。その分、リズムが幾らか刺激的に刻まれており、ヤナーチェクの語法が生々しく語られるさまは、好きな者にとって快感ですらある。ところが、刺激的にリズムを刻めば必ずしも良いわけでもない。その典型的な録音が、マッケラスとVPOによるDECCAへの録音である。これは世評も高く、確かにヤナーチェクを分かりやすい形でうまく表現し、聴かせ上手な仕上がりではあるが、私はこのマッケラスの録音で最も不満を感ずるのは、ヤナーチェクの特質であるモラビアの詩情や情景が浮かんでこない点に尽きる。

 

■ ドヴォルザークの交響曲第6番

 

 次に、メインのドヴォルザークの6番は、昔、クーベリックのDGへの全集が出たときに、6番もLPで分売された。一般的に分売されるのは7〜9番のみが普通であろう。実は私は、クーベリックの全集が国内外で廃盤であった頃に、この全集を探していた経緯を持つのだが、国内盤は当時8番と9番で2枚組LPが出ており、輸入盤で6番がオリジナル盤として生き残っていた。逆に7番は、探し始めて半年くらいたったころに、日本でレゾナンス・シリーズの1枚として復活した。その後、ヨーロッパで全集が再発されたので、私がオリジナル盤を所有している唯一の曲が第6番なのである。実はこのLPに当時のめり込んだのである。私がイメージするボヘミアの情景に最も近いのが、クーベリックのドヴォルザーク第6であるという基本的な考え方は、個人としては未だに変わってはいない(その後ドヴォルザークの第6番は、見かけたら必ず購入しており、既に30種類ほどの録音を聴き比べてきたが、少なくともこの曲におけるクーベリックの絶対的優位性は、私にとって一度も崩されていない)。ただ、DG盤とこのライヴ録音を比較すると、細部で相当な心境の変化がクーベリックに生じたことを吐露した録音とも言え、とても興味深い。それが彼の本質的な解釈の変化なのか、それともDG盤がBPO(ベルリン・フィル)で、このオルフェオ盤が直前まで手兵だったバイエルンのオケによるものかは、分からない。しかし、以前に私自身が書いたように、クーベリックは本質的な解釈自体をライヴであるからといって変えることはなかったので、私はクーベリックの心境の変化だと捉えている。

 

■ クーベリックの人生の転機

 

 そろそろ結論に入ろうと思う。私は客観的には両方の曲ともに、DG盤の方がどっしりと安定感のある名演であると考える。にもかかわらずこちらの録音を採りあげたのには訳がある。この演奏当時、クーベリックの体調はあまり優れなかったことが分かっているが、この演奏には健康を崩した彼の「影」のようなものを背後に感じ取れるのである。ある種の「翳り」が演奏に感じ取れることが、実はとてつもなく私を惹きつけるのである。クーベリックの健康の「翳り」と老境に立ち入った彼の年齢的な「翳り」を、私が感じ取れる最初の録音がこのCDなのである。ある種の感慨を持って聴き入ったこのCDは、大好きな両曲のカップリングであるにもかかわらず、そんなに何度も聴き返しはしないと思う。しかし、私はクーベリックの人生の中で、彼の「翳り」を感じ取れた最初の記録として、終生大事に取っておきたいと思う。

 

An die MusikクラシックCD試聴記 文:松本武巳さん 2003年8月21日掲載