クーベリックのモーツァルト

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CDジャケット

モーツァルト
交響曲第40番 ト短調 K.550
交響曲第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」
バイエルン放送響
録音:1985年5月10日 ORFEO

 古典の中の古典であるモーツァルトの交響曲第40番と41番「ジュピター」には掃いて捨てるほどの録音が生み出されている。名曲だけに需要も多いのだろう。しかし、優れた演奏がそうざらにあるわけではなく、市場を賑わせているのは単に有名になった指揮者によるルーティン・ワークであったりする。録音数自体が多すぎるので、新しい解釈もありそうな感じがしない。その結果、「今更モーツァルトなんて。どれを聴いても同じだし、つまらない」と思い込んでいる人もいるかもしれない。しかし、優れた演奏はよくよく数が少ないものの、そのどれもが独自の輝きを放っているし、聴き手に深い感動を与えてくれるものだ。クーベリックによる1985年5月10日のライブはそうした数少ない至高の演奏の記録である。こんな神々しい演奏会を聴けたミュンヘン市民は何と幸福であったことか。

 録音はライブのハンディが感じられない優れたもの。音場の自然さではSONYのスタジオ録音盤に一歩譲るが、オケの音の生々しさはこちらの方が上だ。特に弦楽器の厚みが全く違う。

 第40番:いろいろな形容詞を使ってこの演奏のコメントを書きたいと思うのだが、なかなかうまい言葉が思いつかない。余りにも優れた演奏というのは言葉を超越してしまう。全曲を通して聴かれる柔らかな、あるいはまろやかな響き、繊細かつしなやかな音楽の流れ、楽器間のバランスの良さなど、月並みな言葉しか思いつかない。テンポは第4楽章が始まるまでは速いわけでも遅いわけでもなく、何の変哲もない。しかし、こうした何でもないことをライブで実現するのは並大抵のことではないだろう。どこまでも自然体で、作為が感じられない。にもかかわらず聴き手には深い感銘を与えずにはおかないのである。聴き手は何の夾雑物も交えることなくモーツァルトの音楽に接してしまうため、モーツァルトの音楽が持つ根源的な力が直接に聴き手を包み込むのである。私が痺れるのは第2楽章Andante。人のため息のように演奏される木管によるカノン風の旋律。続く弦楽器による慰めに満ちた歌。この音楽はいつまでも続いてくれそうでいるのに、やがては終わってしまう。音楽が生まれては消えていくこのわずかな時間は何と切ないことであろうか。

 クーベリックの主観、主張が感じられるとすれば第4楽章であろう。さすがにこの疾風の如き楽章では指揮者の強い情感の高まりがあったのだろう。やや速めのテンポで演奏される。テンションは高く、聴き手を激しく揺さぶる。オケはクーベリックの指揮にピタリとついていく。すばらしい演奏である。しかし、この後演奏されたであろう「ジュピター」はこんなものではない。

 第41番「ジュピター」:奇跡的なライブ。テンションの高さはスタジオ録音の比ではない。そのすごさはもはや言葉にできない。特に両端楽章。第1楽章ではいきなりテンポの揺れに驚かされるが、全体としてはどっしりとした落ち着きのある歩みを見せる。実はテンポはやや速めなのだが、重厚さを維持しているために落ち着きさえ感じてしまう。この楽章がすばらしいのはそうした重厚さの中に全く虚飾が感じられないことだ。スター指揮者の中には重厚さや壮大さを何とか作り出そうとして音楽の自然さを損なう人が多い。巨匠的な演奏とは虚飾的な演奏だったりする。しかし、クーベリックにはそれがない。あくまでも音楽の自然な流れが大事にされている。それでいてクーベリックの作る音楽には天に飛翔せんとする躍動感や、聴き手をのめり込ませる求心力がある。最初の動機から聴き手は身動きもできずにこの演奏に聴き入ることを余儀なくされる。しかもそれが実に嬉しい強制力なのだ。オケは指揮者と渾然一体。完全に指揮者の音楽を理解したオケならではのすばらしいアンサンブルだ。この演奏を聴くと、バイエルン放送響がクーベリックの楽器としていかに理想的状態にあったかがよく分かる。長く在任したオケでなければこれほど一体化した演奏はできなかっただろう。

 さて、問題の第4楽章。一気呵成の猛烈な演奏である。テンポは速い。クーベリックがこんな演奏をしていたとは私も驚きであった。単に速いだけではなく、音楽に力が漲る。歌が溢れる。いや、それどころではない。これは宇宙の鳴動そのものではないか? 「ジュピター」は高々2管編成の曲であるにもかかわらず、ここで聴く音楽はまさに宇宙的な広がりさえ感じる。マーラーが1000人も使って意図した宇宙の鳴動が実は100年以上も前にモーツァルトの音楽の中で実現していたのである。クーベリックはそれを具体的に音にしたというべきか。さすがのマーラーもクーベリックのこの指揮を聴けば、天を仰いで嘆息したのではないか。

 

An die MusikクラシックCD試聴記