古いチェコの音楽を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット
CDジャケット裏
ジャケット裏:クーベリック親子

1.

トゥーマ(1704-1774)

 

「パルティータ」ニ短調

2.

伝ミーチャ(1694-1744)

 

「シンフォニア」ニ長調

3.

ゼレンカ(1679-1745)

 

《ヒポコンドリア》

4.

ヴェイヴァノフスキー(1633頃-1693)

 

「ソナタ」

ラファエル・クーベリック指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1946年プラハ(または1944年12月)
SUPRAPHON(SU 3381-2 001)

 

■ このディスクについて

 

  第2次世界大戦終戦の前後に、クーベリックはバロック時代の古いチェコの作曲家たちの作品をまとめて録音した。録音の経緯とかはほとんど不明であるが、第2次大戦とチェコ人の国民意識またはナショナリズムの狭間から、まるで瓢箪から駒が出る如く残された録音であろうと考えられる。しかし結果的に、きわめてレアでかつ貴重な録音が残されたと言えるだろう。

 

■ 4名の作曲家の簡単な紹介(この項目は一部Wikipediaを参照しました

 

  フランチシェク・イグナーツ・トゥーマ(1704-1774)は、ボヘミア東部に生まれ、後にプラハに出て、イエズス会神学校で教育を受ける。その後チェコの貴族キンスキー伯の支援で、1722年ウィーンに移り、ウィーン在住のフックスの下で学び、1731年にはキンスキー伯に仕える。1741年にキンスキー伯が亡くなるが、その後も終始ウィーンで活躍した。ハイドンやモーツァルトが登場する前の時代のウィーンの音楽を、トゥーマから聴き取ることができる。トゥーマが生まれた時は、すでにバロック末期にあたり、バロックに重点を置きながら、実際にはその後の時代を想起させるような音楽であることが、彼の残した音楽の特長であると思われる。

 フランティシェク・ヴァーツラフ・ミーチャ(1694-1744)はチェコ人のオペラ指揮者・作曲家。1722年よりヤルメリッツで宮廷楽長を務め、ハプスブルク家の皇族のために数々のオペラを指揮した。5つの歌劇のなかでも最も重要なのは、1730年にチェコ語とイタリア語の台本に作曲された《ヤロメリッツの起源について》であろう。その他に、《聖墳墓のためのカンタータ》がある。このディスクに収録されている交響曲は、現在では甥のフランティシェク・アダム・ミーチャの作品であったと考えられているが、ここではディスクの表記に従うことにする。

 ヤン・ディスマス・ゼレンカ(1679-1745)は、プラハ近郊のロウノヴィツェで、8人兄妹の長男として生まれた。父は職業音楽家で教師兼オルガニストをしており、後に教会のカントールとなる。ゼレンカはプラハのクレメンティヌムで教育を受けたと思われる。またこの学校に楽曲を献呈していることから、信仰上の深いつながりがあったと思われる。1710年頃、ザクセンのドレスデン宮廷楽団(シュターツカペレ・ドレスデンの前身)のヴィオローネ奏者となった。ディスクに収録された楽曲は1723年に作曲されたが、生涯で最も華々しい活躍をした年である。"Hipocondrie"を含むオーケストラ曲の大半は1723年の作曲である。なお、1945年のドレスデン大空襲で自筆譜の多くが消失した。またゼレンカの肖像画は全く残されていない。

 パヴェル・ヨセフ・ヴェイヴァノフスキーはボヘミアの作曲家・トランペット奏者・合唱指揮者であるが、生年は確定できていない。1656年から1660年までトロッパウのイエズス会神学校に学び、ハインリヒ・ビーバーと親交を結ぶ。1664年から1670年まで、クロミェジーズにおける夏の離宮にて、ビーバーが指揮者を務めた楽団で演奏する。ビーバーが去った後は彼が後任になり、生涯その任に当たった。約100曲の作品が現存しており、クロミェジーズ城やプラハ国立博物館音楽部門に保存されている。管弦楽曲は、重層的な仕掛けが特徴的であり、彼の作曲様式は、ウィーンやヴェネツィアのバロック音楽を統合したものである。

 

■ 時代背景と、他の録音との比較

 

 前述したように、第2次世界大戦前後の録音であり、国際情勢とこの録音が行われた経緯を切り離して考えることは困難であると思われる。しかし、録音当時は、スメタナの「わが祖国」ですら、第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」を唯一の例外として、状況をほとんど同じくする楽曲の一つであったと思われる。その後の音楽界の推移が、各曲の認知度に大きな差異を与えたに過ぎないのかも知れないし、またチェコ国内でのドヴォルザークの取り扱い(一時期のチェコ国内では、ドヴォルザークの音楽はきわめて否定的に扱われた)とも関係しているのかも知れない。

 

■ ごく簡単なまとめ

 

 私は、たとえば冒頭に収録されたトゥーマのパルティータを例に挙げると、1996年にプロ・アルテ・アンティクア・プラハによる「世界初録音」と銘打ったチェコ・バロック作品集に収録された同曲のCD演奏と比べてみて、逆にクーベリックの斬新な解釈が、録音後半世紀のときを経てようやく証明されたように思えるのである。ここから言えることは、一つだけである。クーベリックにとって、録音の経緯を超越して、大戦前後に若い彼が残した録音からは、作曲家でもあったクーベリックの若い気負いを感じ取れるのである。その気負いこそ、その後のクーベリックを支えた原動力となったように思えてならない。彼が1948年に亡命し、1990年に劇的な復帰を遂げたことにどうしても重点が置かれがちであるが、彼の人生を真に支えた源を、この古いチェコ時代の録音から感じ取れた満足感に、多少の感慨とともに浸っているところである。

(2009年5月1日記す)

 

An die MusikクラシックCD試聴記 2009年5月11日掲載