「この音を聴いてくれ!」

第6回 カラヤンの「田園」

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■ カラヤンの「田園」の秘密
文:ゆきのじょうさん

CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第6番ヘ長調 作品68「田園」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル
1976年録音
DG(国内盤 POCG3674 全集盤)

 

 カラヤン/ベルリン・フィルによるベートーヴェン(!)などというタイトルが目に入るだけで、顔をしかめたくなってしまう方が、おそらくはいらっしゃるでしょう。でも、しばしの間お付き合いください。

 私にとっては、あの1977年9月にカラヤンとベルリン・フィルによる、彼らにとっての二度目のベートーヴェン交響曲全集が発売されたときの興奮は、何ものにも代え難い思い出です。クラシック音楽雑誌がこぞって特集を組み、多大な期待を込められて、それでいてその期待をほとんど裏切らなかったレコードは、たぶん今後も現れないでしょう。

 当時、このレコードで話題になったことの一つは、録音に対する徹底ぶりです。黒田恭一氏によるレコーディング・セッションのレポート記事でも、第一交響曲を終楽章まで録音した後に、また第一楽章から録音をやり直していたなどという記事や、なんと言っても(スケジュールの問題があったのだとしても)、第九で合唱部分をウィーンで別録してミックスするなどという「録音芸術」の粋を極めたようなやり方なども、面白おかしく取り上げられたりしていました。

 当時買った国内盤の解説書を読んだだけでも、最終頁の録音データの一覧で、1975年、1976年、1977年と何度も繰り返されて録音を行っていることが、カラヤンのこの全集にかける執念のようなものを感じました。その中で一つ、気になることがありました。

 交響曲第6番「田園」だけが1976年10月19日、ただ一日だけで録音が終了していることです。カラヤンは他の曲を執拗なほど再録音をしているのに、「田園」だけがたった一日だけで完了していたのです。なぜ、この「田園」だけ、だったのでしょうか?

 この疑問はいろいろな書物や記事を読むうちに解き明かされていきました。でもヒントは同じ解説書の中に最初からありました。オーケストラメンバーの写真です。

 当代随一のきら星のような奏者たちが、パート別に思い思いのポーズで、でも格好良く「決まっている」写真の一つ、フルートのパートです。そこにはアンドレース・ブラウ、カール=ハインツ・ツェラーと共に、でも後列控えめに、あのジェームズ・ゴールウェイがいました。

 ゴールウェイは1969年からベルリン・フィルのソロ・フルート奏者でしたが、ソロ活動に専念するために退団してしまいます。このカラヤンの二度目の全集が発売された1977年9月頃には、既にゴールウェイはソリストとして名声を勝ち得ていました。彼が退団したのが1975年です。従って、この全集録音ではゴールウェイは最初のセッションしか在籍していなかったことになります。勿論、「田園」の録音の1976年10月19日は退団後です。しかし、何かの本にカラヤンは、この「田園」のためだけに、ゴールウェイをわざわざ呼び寄せてセッションを組んだとあったのです。

 「田園」でのフルートの見せ場は、あの第二楽章の最後、ナイチンゲールのさえずりです。当時カラヤンは、このパートはブラウでもツェラーでもなく、ゴールウェイに吹いてほしい、と考えたのでしょう。ゴールウェイが退団するときにはカラヤンは慰留に努めたということです。そこまで惚れ込んだカラヤンが、今一度録音に参加してほしくてゴールウェイを呼び寄せた。その三顧の礼(だったかどうかは知りませんが)にゴールウェイも応えた。しかし当時ソロ活動に多忙であったゴールウェイがセッションに参加できるのは限られていた。そこで文字通り「一発録り」で行われたので、「田園」だけがたった1日だけで録音が完了した。これが真実なのだと思います。

 この「田園」は、あのカラヤン・レガートが充満していて、大いに好みを分かつところが多いと思います。伊東様も80年代の最後の全集でも「田園」は「ベートーヴェンらしくない」と評しておられます。この76年録音も、そういった意味ではベートーヴェンらしくはなく、万人向きとは言えないでしょう。

 しかしこの演奏には、一つだけ聞いてほしい音があるのです。第二楽章最後、ゴールウェイの奏でるナイチンゲールです。それは、とても密やかに、けれど輝かしく響きます。それにウズラ(オーボエ、おそらくローター・コッホ)とカッコウ(クラリネット、おそらくカール・ライスター)が掛け合います。レコードでは、この第二楽章で1面が終わります。実際のセッションでは、この後の余韻でカラヤンと楽員はどんな表情をしていたのでしょう。顔には出ずとも至福のひとときであったに違いないと信じます。そんなふうに想像してこの楽章を聴き終えると、私も、ちょっとその至福のお裾分けを戴いたような気持ちになるのです。


2004年4月17日、An die MusikクラシックCD試聴記