「この音を聴いてくれ!」

番外編 無修正ライヴと継ぎ接ぎスタジオ録音の狭間で

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 ブーレーズ指揮ニューヨークフィルによる「火の鳥」
文:松本武巳さん

CDジャケット

ストラヴィンスキー
バレエ「火の鳥」(全曲版)
ブーレーズ指揮ニューヨークフィル
録音:1975年
CBS(輸入盤 MK 42396)

 

■ 突然、沈黙を破って、書こうと思いたったきっかけ

 

 青木さん伊東さんのやりとりを読ませていただいて、不遜にもこんなタイトルで書こうと思い立ちました。非礼であるかも知れません。初めから謝っておきますね。でもこの命題は、レコード録音を収集し始めてからずっと考え続けていることであり、また世間での録音評価も、上記のどちらかに偏った方向からの評価がなされることが多いと思うからでもあります。そんなわけで、少々お付き合いを下されば幸甚に存じます。

 

■ スタジオ録音

 

 継ぎ接ぎの横綱格は、衆目の一致するところ、指揮者では「カラヤン」、ピアニストでは「グールド」であろう。一方で、スタジオ録音でも、一発ライヴ型の録音をする演奏家も多くいる。前者の録音型を取る演奏家の主たる理由は、「長く繰り返し聴かれることを主目的とするCDの録音は、まずはどんなに編集してでも、キズが無いことを大目標にしなければならない」と言うのが主流であろう(この点で、グールドは、このカテゴリーに入れてもやや異端である)。後者の方のスタイルを取る演奏家の主たる理由は、「スタジオ録音とライヴの差は、拍手のあるなしの点以外には、原則あってはならない。継ぎ接ぎの編集なんて、もはや音楽あるいは芸術ではありえない」と言うものであろう。

 

■ ライヴ録音

 

 本来のライヴ録音は、スタジオ録音の後者のグループの延長線上にあることは確実であろう。そして本来、ライヴとはそういうものであった。ところが70年代より、何回かの演奏会からの録音を編集するという、新しい方法でのライヴ録音が登場した。これは、継ぎ接ぎのスタジオ録音の弊害である、音楽の勢いや流れが失われる欠点を少しでも無くそうとする試みとして現われ、瞬く間に定着した方法である。

 

■ 私の思うこと

 

 私はスタジオ録音の本質は『教科書』の執筆であると考える。一方、ライヴ録音の本質は『参考書』であると考える。従って、一定の確実な安定感のある演奏をスタジオ録音に対しては求め、ライヴ録音に対しては一発激烈な爆演をも容認する。そのように考えている。要するに、両者から派生的に発生した方法を、個人としては中途半端な生煮えのディナーと考えているのである。とすると私の好きなレコード会社は、まさに「マーキュリー」や「デッカ」となるのであり、好きなライヴ録音は、表立っては書けないが非正規盤となるのである。

 

■ 火の鳥の場合

 

 ドラティの三大バレエはどれも素晴らしいと思うが、私が本当に好きなのは「春の祭典」のDECCA盤である。ところが「火の鳥」は踏み込みが今一歩に感じる。もう少し迫力が欲しいのである。私の「この音を聴いてくれ」にあげるレコードは、ブーレーズがまだバリバリの過激なおじさんだったころのCBS録音をあげたいと思う。これを初めて聴いた時のひっくり返りそうになったことを忘れはしない。そう、生まれて初めて完全全曲盤を聴いたのである。しかも、当時のCBSのスタッフは「火の鳥」の何たるかを知っていた。あのおどろおどろした、冒頭の音価を完全に捉えていたのである。多分メジャーでの全曲版初録音であったにもかかわらず・・・ 冒頭を聴き初めた瞬間に、不気味な寒気を伴うような感覚を持たせられた(恐怖心に近かった)のは、いまだにこの盤以外からは味わっていないのである。後年のDG録音は、すでにへなちょこになってしまっている。実にうまいが、うますぎてもいけないことが良く理解できる。ブーレーズはすでに当時の切れ味を失ってしまっていた。

 

(2004年4月13日、An die MusikクラシックCD試聴記)