「この音を聴いてくれ!」

第9回 懐かしい響き

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 オーマンディ指揮フィラデルフィア管の「英雄の生涯」
文:中村さん

CDジャケット

R.シュトラウス
交響詩『英雄の生涯』
オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団
録音:1978年2月15日、フィラデルフィア、スコティッシュ・ライト・カテドラル
BMG(国内盤 BVCC38120)

 

 今から四半世紀程前、1980年代の半ばだったと思います。大阪の堂島にあったレコード店(世の中の不況及びHMV・タワー等大型店の進出で、3〜4年前に閉店したそうです)の小型のスピーカーから流れる『英雄の生涯』の冒頭部分を耳にして、その響の美しさに思わず聴き入ってしまいました。私は楽器を演奏することが出来ませんので上手くは言えないのですが、弦の擦れ感とブーン″という胴鳴りのような共鳴音とが醸す軟らかい風圧が、私の耳には美しさと同時に、何故か懐かしい響と感じられました。

 当時の世の中は、CDがLPに取って代わった時期でもあり、新譜は殆どがCDのみの発売となった為に、CDプレーヤーが接続できなくなった機器を棄て、新たに買い換えざるを得ない状況になっていました。その為、休みの日にはオーディオ専門店に顔を出し、機器によってディスクの評価も変わってくる事を、朧気ながら認識し始めた時期でした。

 だから、これまでに感じたこともなかった反応を示したのかもしれません。スピーカーから流れるオーケストラの音色の美しさに感動したのは、この時が初めてでした。スピーカーから流れる旋律の美しさに感動した事は数え切れないほどあります。そして、その印象を「美しい音!」と表現した事はありますが、楽器の醸す音色に感動した体験は、多分一度も無かったと思います。当時の私は、再生装置ではそれが当たり前だと思っていたのです。

 それまでの私にとって幸運だったのは、安い料金でオーケストラの演奏を生で聴けた事でした。大学時代に京都市交響楽団の学生定期会員に加入していた私は、月に一度はコンサート会場に通っていました。チケット料金までは覚えていませんが、LP一枚を買うお金が有れば、定期演奏会を三度聴けるいう認識をもって、せっせとコンサートに通ったものでした。そのお蔭で、未知だった曲に実演で初めて遭遇し、その中から気に入った曲をLPで購入するという、今では信じられないような恵まれた音楽環境の中で学生生活を送っていたのです。渡邉暁雄のシベリウスの2番、森正のマーラーの1番、ショパンコンクールに入賞したばかりの初々しい中村紘子のベートーヴェンのコンチェルト3番等々、想い出に残る名演を数多く体験したものです。演奏が終わってからも興奮覚めやらず、当日初めて聴いたばかりの旋律を口ずさみながら帰途に就いたことが何度も有りました。そんな体験を重ねていた私は、我家の一体型ステレオ装置で聴く音が、クラシック音楽の真髄を伝え得るとは、夢にも思ってはいませんでした。 

 1980年代に入ると世の中にCDが出回り始めましたが、この新しいメディアは瞬く間に従来のLPをレコード店の片隅へと追いやり、ついには新譜のLPが発売されなくなりました。当時私が所有していた機器では、新しいメディアのCDを繋いで聴く事ができない事が判明。その事を理由に、新しくオーディオ機器を購入する決心をしました。

 偶々その頃、建売の自宅を購入した為に経済感覚が極めて大雑把になっていた妻の心の隙をつき、当時としては結構高価な機器を購入するように話を取り付けました。冒頭に述べた『英雄の生涯』に遭遇したのは、丁度そんな時期だったのです。

 ところがその美しい響への思いは、時間が経過するほどに高まってきました。まさかこれほどまでにその響に惚れ込むとは考えもしなかったので、迂闊にもそのディスクに関する情報を訊かずに帰宅してしまいました。後日、「この前流れていた『英雄の生涯』の演奏は…」と訊ねても、「さぁ…」と首を捻られるばかり…。唯、当時DENONからブロムシュテット指揮のカペレの演奏によるCDが発売されて間もない時期でしたので、多分それじゃないかと見当をつけました。カペレの音の美しさは、当時(今も?)『燻し銀』とか『シルクの感触』とか表現され、ウィーンフィルと並び絶賛されていました。ですから、「私が聴いたのは紛れもないその音であろう」と勝手に判断し即購入、試聴の度に持参したものです。

 ところが様々な組み合わせで試聴を繰り返しても、その音を再現する事はついに叶いませんでした。結局プレーヤー・アンプ・スピーカーの一つでも異なれば同じ音は再現されないないのだろうと、後ろ髪を引かれるような思いで合点せざるを得ませんでした。

 一年ほど前、東京に出掛けたついでに秋葉原のCD店で、オーマンディ=フィラデルフィアの『英雄の生涯』を何気無く購入しました。帰宅後、冒頭の響を聴いた途端、「あぁ、これだ!」と直ぐに閃きました。紛れも無く二十年前に店頭で耳にした、あの懐かしい響きが甦ってきたのです。これまでたった一度聴いただけの演奏でしたが、100%あの演奏だと確信できました。

 考えてみれば、オ−マンディ時代のフィラデルフィアは『華麗なるサウンド』と称されていましたが、その言葉を私は『ド派手な』と勘違いして解釈していたのです。私が初めて耳にした時、『華麗な…』と称される一方で『ビロードのような肌理の音色』と称賛されていた、まさにその音色を聴き取っていたのだという事が、漸く理解できたのです。

 余談ですが、私が通っていた小学校の講堂の舞台には、ビロードの幕(カーテン式)が掛けられていました。普段は舞台の袖に収納されているのですが、学芸会等の催しがある前後には、引き出されて舞台を覆っていました。そこは『かくれんぼ』には絶好の場所になる為、私達は先生の目を盗んで講堂に侵入、ビロードの幕を身体に巻き付けて隠れたものでした。その時の軟らかみのある温かさは、私の大好きな感触でした。敢えて『ビロードの…』に拘るつもりはありませんが、初めて聴いた時に懐かしさを感じたのは、そんな肌触りを思い出したからなのでしょうか…。

この演奏は、明晰な解釈に基づいた大変に素晴らしいものだと思います。とりわけ、終曲『英雄の引退と完成』で奏でられるコンサートマスターのノーマン・キャロルのソロは、冒頭私が感激した美しい音色そのものでした。逆に言えば、冒頭でのフィラデルフィアの弦楽セクションは、ソロの精緻な美しさそのまま延長したかのように、一糸乱れぬ音色を奏でていたと言って良いのかもしれません。

 私はこのコンビの魅力をもう少し体験したいと思い、チャイコフスキーの1〜3番、マーラーの1番(花の章が入っているゆえ)、シベリウスの5番等を聴いてみました。正直申し上げてチャイコフスキーやマーラーの歌には物足りなさを感じてしまいました。しかしシベリウスは、交響曲もさる事ながら同じディスクに収められた『伝説』『タピオラ』は特に素晴らしいと思いました。そして、嘗てLPで聴いた『四つの伝説曲』(不覚にも処分してしまいました)に感動した事をふと思い出しました。

 オーマンディという人は、私が聴いた範囲では『語り部』に徹し得るような曲を演奏する事でその本領を発揮するのではないかと、今思っています。そういった意味で、このディスクは『最高のアンサンブル』で聴ける『英雄の生涯』の名演と考え、投稿させて頂きました。

 

(2006年8月14日、An die MusikクラシックCD試聴記)