ジャンルカ・カシオーリの弾く、ベートーヴェンのソロと室内楽を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

ベートーヴェン
 ピアノ・ソナタ第14番作品27−2「月光」
 ピアノ・ソナタ第17番作品31−2「テンペスト」
 エロイカの主題による15の変奏曲とフーガ変奏曲作品35
ジャンルカ・カシオーリ(ピアノ)
録音:2008年
DECCA(輸入盤 476 320-8)

CDジャケット ベートーヴェン
 ヴァイオリン・ソナタ第7番作品30−2
 ヴァイオリン・ソナタ第8番作品30−3
庄司紗矢香(ヴァイオリン)
ジャンルカ・カシオーリ(ピアノ)
録音:2011年9月、ハンブルク
DG(国内盤 UCCG 1586)
 

■ ジャンルカ・カシオーリとは何者か?

 

 1979年7月、イタリアのトリノに生まれたピアニスト、作曲家、指揮者。1992年、ディノ・チアーノ国際ピアノ・コンクール、ジュニア部門第1位。1994年、ウンベルト・ミケーリ国際ピアノ・コンクールで優勝。カシオーリのコンクールへの応募理由が、審査員にマウリツィオ・ポリーニがいたからだといわれている。モーツァルト、ベートーヴェンから現代曲、自作まで広いレパートリーと録音が存在しており、将来を嘱望される若手ピアニストの一人である。

 ジャケット写真を一見して分かるように、カシオーリは日本人のオタク顔に見た目が似ているが、そのためもあるのかどうかは不知だが、彼の実力相当の人気を未だ獲得していないように思える。残した録音も実力に比べると少なめである。また、演奏内容も考えつくした深い解釈なのか、非常に即興的なむしろ恣意的に近い演奏なのか、聴き手によって大きく評価が割れていると思われる。見た目で損をしているところもあるように見受けるのだが、私がここに取り上げる理由は、かつてサンソン・フランソワが描いた世界に近いが、技巧的にはるかに優れているうえに、カシオーリが古典派音楽を多く取り上げていることにあるのだ。

 特に、「ベートーヴェンはかくあるべきだ」と信じている人は、決して聴いてはならない演奏なのかも知れないと思う。一方で、ベートーヴェンのあまりにも押しつけがましい音楽に、若干辟易としている方がいらしたとしたら、カシオーリの演奏を聴くと、ベートーヴェンの音楽の持っている素晴らしさと幅広さを実感できるだろう。つまり、普段ベートーヴェンから距離を置いている人にこそ聴いてほしい演奏なのである。

 

■ 「月光」ソナタ

 第1楽章から、右手と左手の打鍵を少しだけずらして弾く弾き方をしており、この弾き方自体はピアノの奏法の一つではあるのだが、この時点で早くも違和感を持つ方がいるのかも知れない。しかし、ベートーヴェンの音楽を、肩の力を抜いて強音もソフトなタッチで鳴らし、かつ聴き手も一緒に力こぶを握りしめそうな場面で、フッと力を抜き、普段は気づかないような目立ちにくい旋律線を、きれいに浮き上がらせたり際立たせたりして強調するさまは、まさにサンソン・フランソワを彷彿とさせてくれるのだ。確かに、やや特異な「音」の強調も若干目立つし、少々アブナイ演奏であることは確かであるが、いわゆる様式逸脱の一歩手前で踏みとどまっているように、私には思えるのである。

 

■ 「テンペスト」ソナタ

 

 第1楽章冒頭から、いきなりリズムをやや崩しており、確かにやや抵抗がある演奏だとは思う。演奏の方向性は、前述の月光ソナタとほぼ同じであるが、別段落をわざわざ設けた理由は、終楽章のあまりにも美しい音楽作りをぜひ紹介したかったからである。通常この終楽章は、受験生が一生懸命弾くように淡々と弾き飛ばしていくものだと考えがちであるが、カシオーリの弾く終楽章の演奏では、非常にゆったりと抒情的にかつ崩すことなく進行する音楽は、本当に余りにも美しく、カシオーリの美点が集約したような見事な演奏になっているのだ。少なくともこの終楽章の演奏は、誰にもお勧めしたいカシオーリのベートーヴェンのソナタ演奏の白眉であると思うのである。

 

■ 「エロイカ」変奏曲

 

 この主題の演奏を聴いて、ベートーヴェンとナポレオンのイメージを変えるか、それともカシオーリの録音を拒絶するか、聴き手ははっきりと二分されるだろうと想像する。非常に柔らかく、かつ和やかな演奏であり、いわゆる英雄像であるとか、ベートーヴェンの音楽に対して一般的に期待し想起されるものを、あえて全て削ぎ取っている演奏といえるだろう。しかし、この演奏において本当に見事なのは、ベートーヴェンの残した変奏曲の変奏のありかたを、ここまで見事に体現した演奏は、初めて聴いたといえる点である。ベートーヴェンの変奏曲のありかたを、聴き手に正しく認識させてくれ、結果としてベートーヴェンの音楽の持つ訴求力とは少々異なった、ベートーヴェン自身の作曲能力をきちんと引き出してくれているこの演奏に、私は高い評価を与えたいと思うのである。

 

■ 2曲のヴァイオリン・ソナタ

 

 第7番冒頭のピアノの音を聴いた瞬間、これこそが「粋」な音である、と叫びたくなってくる。そして、同じ音型で引き続きヴァイオリン・ソロが入ってくる部分を聴いていると、ヴァイオリニストとしてはとても入りやすい伴奏となっていることに気づかされる。そして、第7番だけでなく第8番も同様であるが、一般に楷書体のピアノ伴奏と、草書体のヴァイオリンによる室内楽演奏であると考えがちなベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタであるが、この演奏は明白にピアノ伴奏の方がより草書体の演奏であり、その結果としてヴァイオリンが多少崩して弾こうとも、たとえ好き勝手に振舞おうとも、聴き手には硬固な古典派からロマン派前期の音楽に聴こえてくるのである。つまり、ヴァイオリニストとしては、このようにピアニストが伴奏してくれると、非常に弾きやすくなるのである。

 

■ 今回は脇役の庄司紗矢香について

 

  1983年1月、東京都生まれのヴァイオリニスト。親の仕事の関係で、幼少時から何度かヨーロッパに居住していた。1999年パガニーニ国際ヴァイオリンコンクールで優勝。現在は基本的にパリに在住して、ヨーロッパを中心に幅広く活動している。特にこれ以上の紹介は不要ではなかろうか。ただし、彼女は遺憾ではあるが、今回の試聴記の主役ではないのである。

 

■ これこそが、音楽における「アウフヘーヴェン」だ

 

 このデュオは、かりに兄弟や恋人でもそう簡単にはいかないようなレベルで、息が合っているのである。聴き手から言うと、まさに息を飲む思いで聴くことになるのである。そして、このような息の合わせ方は、有名どころのソナタよりも、この第7番と第8番のカップリングのディスクの方がより顕著にみられるのである。これは、二人が一般的な意味とは異なる次元で、まさに「同じ呼吸リズム」を持ち合わせているのだろうと思わざるを得ないのである。つまり、下世話な意味での息の合わせ方ではなく、生来的な本質的な息の合わせ方なのである。聴き手はデュオの醍醐味を味わうことができると思う。

 ともすると、庄司のヴァイオリンは意外に重く鈍重になることが時たまあるのだが、カシオーリのピアノ伴奏を得て、彼女はものの見事に飛んでいるのである。このような息の合った演奏により、二人がまさに「アウフヘーヴェン」するさまは、聴いていて実に爽快な気分にさせてくれるのである。近時、都知事がこのアウフヘーヴェンなる単語を唐突に持ち出したそうだが、音楽の表現としてはもとより時おり用いる単語でもあるので、あえてここで用いたとしても、特に顰蹙を買うことなく理解していただけるものと信じている。

 

■ ベートーヴェンの呪縛から解放してくれる名演奏

 

 固定観念化したベートーヴェン像に嫌気がさしているものの、ベートーヴェンの音楽を軽視できないことは重々理解している、そんな方がいらしたら、カシオーリの弾くベートーヴェンのピアノ・ソロ作品と、庄司紗矢香とのデュオのディスクをお聴きになることを、ぜひお勧めしたいと思う。ベートーヴェンを聴く素晴らしさと、実際にベートーヴェンの音楽が持っている幅広さを感じ取れるのではないだろうか。音楽も作品も作曲家も、歴史的評価とは異なり、決して固定観念化する必要など無いのである。自身が楽しめる範囲で、いろいろな音楽を楽しむことが大事だと思った時、このディスクをたまに思い出してほしいと念願している。

 

(2017年11月7日記す)

 

2017年11月7日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記