ブッフビンダー、スーク、シュタルケルによるピアノトリオ2曲を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

ベートーヴェン
ピアノ三重奏曲第3番ハ短調作品1−3
メンデルスゾーン
ピアノ三重奏曲第1番ニ短調作品49
ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)
ヨセフ・スーク(ヴァイオリン)
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
録音:1973年5月16日、シュヴェティンゲン音楽祭ライヴ
Haenssler-Classic (輸入盤 CD 93.724)

 

■ 日本では悪名高いブッフビンダー

 

 いわく、爆音系。いわく、デリカシーのない音楽性。いわく、雑で無神経な演奏家。いわく、指先だけの音楽家。いわく、バックにシンジケートが存在している。等々、日本では基本的に悪口雑言の限りを浴びている、そんなピアニストなのである。通常は、そもそも外来ピアニストの話題は指揮者の話題と異なりかなり乏しいのが、日本では一般的であるにもかかわらず、ブッフビンダーの評判は非常に悪いのである。

 しかし、一方ザルツブルク音楽祭に於いて、ベートーヴェンのピアノソナタ全曲演奏会を、ライヴ映像収録を兼ねて行われたり、そもそもハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらの全集を何度も録音したり、少なくとも独墺系現役ピアニスト中では、活躍が目立っている一人であるのも事実であるし、数年前のウィーン・フィルのジャパンウィークでは、指揮も兼ねてベートーヴェンの協奏曲全曲を日本で弾き振りしたのである。彼の地での評価が日本と同じであることはあり得ないピアニストなのである。

 事実、私自身も2014年のザルツブルク音楽祭でのベートーヴェンのピアノソナタ全曲演奏会は、そのうちの2夜にわたり会場で生体験をしてきたが、熱気に包まれた満員の聴衆の下でのリサイタルであった。つまり、彼の地で人気が高いことはどうやら確かであるのだ。この日欧のブッフビンダーの評価に関する大いなるギャップが、いったいどこからもたらされたのか、そんな理由の一端が若いころの室内楽奏者としての高い評価にあることを、かつての紛れのない名演奏を実際に紹介することでもって、示したいと思う。

 

■ このトリオ成立理由

 もともとは、ブラームスのソロピアノ作品と、ピアノを必要とする全室内楽曲作品の全集を完成させたアメリカ出身のピアニスト、ジュリアス・カッチェンが40代前半で急逝してしまったために、その追悼演奏会その他を実施するためにピアノを担当するピアニストを探していたスークとシュタルケルが、弱冠20代前半のブッフビンダーと意気投合したのが、このトリオ成立の発端なのである。

 スークとシュタルケルは、一度は著名な南米出身のピアニストであるクラウディオ・アラウとの共演を試みたものの、上手く三者の意思統一が叶わなかったような経緯があった。そこで、生粋のチェコ人であるスークと、生粋のハンガリー人であるシュタルケルが、チェコ生まれとはいえズデーテン地方出身のドイツ系の若いピアニストであったブッフビンダーと意気投合したのは、ある意味で奇跡が起きたのであろう。

 

■ このディスクについて

 

 特に、ベートーヴェンが名演であると思われる。ピアニストとして主張すべきところは主張し、脇役に回るところは脇役に徹し、スークもシュタルケルもまるで何十年もコンビを組んできたような、見事なアンサンブルを聴かせているのだ。かつ、ブッフビンダーのピアノが思いのほかタッチが軽く、軽妙なのである。後年のブッフビンダーへの批判のうち、ピアノのタッチの重さと奏でる音の異様な大きさは、ある意味で正しい指摘だと思うので、その点でもこの室内楽でのブッフビンダーの軽妙さには心底驚かされる。

 まさに、室内楽の醍醐味を掛け値なしに堪能できるのである。メンデルスゾーンはそこまで完ぺきではないが、これはこれで単独で評価するならば十分な名演奏であり、こんなコンサートを生演奏で聴いたら、室内楽のファンがさぞかし急増するだろうと思われてならないほどの極め付きの名演だと思うのである。ふだん室内楽を嫌っている方やほとんど縁のない方、さらにブッフビンダーをとことん嫌っている方にこそ、このディスクは何が何でも聴いてほしいとすら思うのである。

 

■ ヨセフ・スーク

 

 作曲家ドヴォジャーク(ドヴォルザーク)の曾孫、作曲家ヨゼフ・スク(ヨセフ・スーク)の孫である。チェコ語の発音に近い表現は「ヨゼフ・スク」であるが、ここでは慣例に従っておく。1929年、チェコのプラハ生まれ、プラハ音楽院卒、スークトリオを結成し、ヴィオラ奏者としても活躍した。2002年に引退、2011年逝去。

 

■ ヤーノシュ・シュタルケル

 

 1924年、ハンガリーのブダペストに生まれる。ブダペスト音楽院を経て、ブダペスト国立歌劇場管弦楽団およびブダペスト・フィルの首席チェロ奏者に就任。1946年に祖国を去り、1948年、アンタル・ドラティの招きでアメリカに渡る。1953年から58年まで、フリッツ・ライナーの下でシカゴ交響楽団に在籍。2013年、アメリカで逝去。

 

■ ルドルフ・ブッフビンダー

 

 1946年12月、チェコのリトムニェジツェにてドイツ系の家庭に生まれる。と、一般には書かれている。一方で、リトムニェジツェと言えば、プラハ北方のズデーテンラントの中心地の一つであり、1938年ミュンヘン会談の後ヒトラーによりドイツに併合。解放後の1945年8月ベネシュ布告により、ドイツ人とドイツ系チェコスロヴァキア人が追放された政争の地として有名。それゆえ、一般に紹介されているブッフビンダーの出自の詳細は、これ以上は真偽を含め不明である。5歳でウィーン国立音楽大学に最年少で入学し、それ以後終始オーストリアで活躍を続けている。

 

■ 現在のブッフビンダー

 

 ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの全曲演奏等で、きわめて幅広い活躍を見せる一方で、ヴィルトゥオーゾ系ピアニストとして、やや一般に眉を顰める向きもあるような超絶技巧的編曲物を、リサイタルや協奏曲のアンコールで取り上げることもけっこう多く、このことが日本での不人気の一因であるとも考えられる。しかしながら、彼のレパートリーに於いて、リストの楽曲を取り上げることは数少ないのである。このあたりが、ヨーロッパ本流の音楽家の、実に面白く複雑なところだと思うのである。

 本音を言えば、もう少しブッフビンダーの長所について、日本のファンは耳を傾けても良いのではないかと思ってならない。私が実はブッフビンダーの隠れファンであることは、たぶんどなたもご存じないだろうと思うのだが、そんな私の前でも、かなり語気を強めてブッフビンダーの批判をされる方が日本ではかなり多い。つまり、ブッフビンダーは日本では本当に嫌われているのであろう。私はそのようなことは決して不愉快ではないので、むしろ音楽というものの聴き手による判断や解釈の違い、さらには音楽そのものの本質について考えさせられる機会の多い、そんな現役ピアニストなのである。

 

(2017年10月11日記す)

 

2017年10月11日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記