ブレンデルが米SPAに残した、リストとシュトラウスの珍しい録音を聴く

文:松本武巳さん

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LPジャケット
LP

リスト
「クリスマス・ツリー」(全曲、ピアノソロ版)
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
録音:1951〜52年頃
SPA(米盤 SPA-26)12インチLP

LPジャケット
LP

リヒャルト・シュトラウス
「ピアノソナタ ロ短調」作品5
「ピアノのための5つの小品」作品3
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
録音:1954年頃
SPA(米盤 SPA-48)12インチLP

 

■ ブレンデルのVOXへの録音以前の珍品

 

 まだ存命であるものの、すでに引退して久しい名ピアニストのアルフレッド・ブレンデルは、モノラルからステレオ初期にVOXに大量の録音を残し、その後VANGUARDレーベルにも数枚の録音を残した後は、引退まで一貫してPHILIPSに大量の録音を残した。しかし、VOXへのモノラル録音には、結構貴重な録音が残されているものの、同じVOXへのステレオ録音以降は、ほぼすべてPHILIPSにも再録音を残しているためもあってか、コアなファンでもない限り初期の録音はどうしても忘れられがちである。

 ところが、ブレンデルは、実はVOXへの契約以前に、アメリカのレーベルであったSPAや、EVERESTレーベルにも録音を残しているのだ。EVERESTレーベルへの録音は、後のVOXへの録音集成盤に収録されているのだが、SPAへのデビュー録音を含む初期録音は、今なおほとんど日の目を見ていないのである。

 

■ いずれも、再録音が存在しない貴重盤

 

 たぶん、2枚ともにレコード会社からの企画を、ブレンデルが受入れた録音なのであろう。ブレンデルは、当時、与えられた録音の機会を逃すことなく、その後はほとんど演奏しなかった彼のレパートリー以外の曲を、かなり積極的にレコード録音しており、プロコフィエフやストラヴィンスキーの録音などとともに、当時の録音以外にブレンデルの録音や演奏記録が一切存在しない、そんな貴重な録音群となっているのだ。

 

■ リストのクリスマス・ツリー全曲について

 

 実は、1990年代の最後のべートーヴェン・ピアノソナタ全集のボックスセットの特典盤として、このレコードはPHILIPSからCD化された経緯があり、その際、私は初めてVOX以前の録音を聴く機会を得たのである。米SPAレーベルには、確か合計5枚のディスクが残されたと思うが、ここで取り上げるリストとシュトラウスはソロ作品である上に、その後の再録音が一切存在しないため、名ピアニスト・ブレンデルの足跡をたどる上で、とても貴重な録音であると言えるだろう。なお、リストのこの曲には連弾版の同曲が存在しており、そちらの方がソロ演奏版よりは多少有名であると思われる。

 さらに、録音データが多少曖昧ではあるものの、たぶんこのクリスマス・ツリーがブレンデルのデビュー録音であると考えられている。1951年または1952年の録音である。そして、終生多くのリスト作品を繰り返し演奏し、積極的に録音も残したブレンデルなのだが、このデビュー録音のクリスマス・ツリーは、その後演奏会で数曲を取り上げた記録はあるものの、全曲演奏は一度も行っていないし、当然再録音も残していないのである。

 

■ リヒャルト・シュトラウスの2曲

 

 こちらのディスクは、未だに正規のCD化は一度もされていないように思う。録音の著作権消滅後に何種類かの板起こしCDR盤が出たに過ぎない。ここで掲載したジャケットは、初出の12インチLPのものであるが、海外のオークション等を丹念に探せば、そんなに高額を投資しなくても、今でも十分入手可能であると思われる。私は2枚とも英国人が出品(いずれも個人)したレコードを、たまたま海外オークションサイトで発見し、運よく落札したものである。ちなみに、この録音は当該2曲の世界初録音でもあるようだ。

 なお、50歳で世を去ってしまったグレン・グールドの最後の録音も、実はこのリヒャルト・シュトラウスの2曲であり、ブレンデルとグールドという、凡そ共通点が無いように思える二人の性格の異なる名ピアニストに、このような不思議な接点があることは、録音史の観点からとても興味深いことであると言えるだろう。

 

■ 当時のブレンデルとその後

 

 いずれの曲からも、まだ20歳になったばかりのブレンデルの、実に瑞々しい演奏が聴ける。深みは確かにないしスケールも小さめではあるし、後年のような学究的な演奏でもない。優れた技巧を前面に押し出し、まさにストレートな若々しい演奏である。ブレンデルの長い演奏家人生のスタート地点で、ブレンデルは確かな技巧をもって演奏していた。その後、徐々に学究的な側面が増していき、演奏を深く掘り下げる傾向が顕著になり、最後には巨匠としての尊敬を、少なくとも欧州では完全に得ていたように思われる。

 今考えて見ると、ブレンデルは若いころに、本人のレパートリーでない楽曲でもチャンスと捉えて積極的に録音に取り組み、単に技巧面を磨くだけでなく演奏や録音のツボのようなものも、多くの経験を能動的に得ることによって獲得していったそんなブレンデルの原点が、この2枚のディスクにしっかりと刻まれていると言えるだろう。このデビュー当時の2枚が、ブレンデルのレパートリー以外の楽曲であったことは、かえってその後のブレンデルの足跡に大きなプラスとして機能したように思えてならない。演奏家のごく若いころの録音を発掘して聴くことも、それはそれで楽しい作業だと言えるだろう。

 

(2021年12月21日、クリスマス直前に記す) 

 

2021年12月21日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記